内容が古くなっている場合があります。
この記事の構成
- 前書きと各コシナ・ツアィスの発売年年表
- 重箱の隅をつつくテスト(超広角が苦手とする粗が目立ちやすい条件での撮影例)
- 実際の撮影に近づけたテスト(周辺減光、テクスチャ、立体感などの例)
- Milvusについて考える
実写例23点
前書き
先日、Distagon 15mmをMilvus 15mmに更新したことを別記事に書いた。
上記の記事に書いたように、皆さん同様に導入したレンズを納得できるまでテストしてからでないと本気の撮影で使用できない。
超広角をテストする際はチャートを撮影しようとするとかなり近接するか、広大とも言えそうな大きなチャートが必要になる。こうした巨大なチャートがあったとしてもチャートテストをする気がないのは、どこかに出かけた際にぶらぶら試し撮りをしたほうが現実的で、むしろ強い逆光など超広角で問題になるシーンを試せるので好都合だからだ。
実は今回の記事に掲載した写真を撮影したあと本格的に使用しているがお仕事関係のものなので写真を紹介することができない。また片ボケのチェックやあれこれ細かな撮影もしたが、DistagonからMilvusに変わったことを端的に表すものではないので、これらも掲載していない。
またDistagon 15mmを既に手放しているため、まったく同じ条件で同じ被写体を撮影できなかった。客観性が担保されない比較になったが、つとめて正確な記事にするように心がけた。
とはいえDistagon 15mmを知らない人でも、即座にわかるほどMilvusが記録する像は圧倒的だ。
さてMilvusを考えるにはDistagon 15mmとの比較だけでは足りないので、 Milvusに移行したコシナ・ツァイス(現Classicの元となった「無印」)の発売年とニコンのデジタル一眼レフの発売年を合わせて年表にしてみた。(年表はコシナが公表しているものを元に加筆した。[発表]と[発売]の表記は元資料のままにした)
2000年代の初頭に現Classic(元は特に命名されていないZeissのため便宜的に「無印」と呼ぶことにする)一連のレンズが発売された。このとき写真はデジタル化へ本格的に移行しようしていたが、年表を見てもわかる通りニコンのフラグシップデジタル一眼レフが登場したばかりだった。つまりデジタル写真がどこまで普遍性を得られるかわからない時期で、まだフィルムで撮影し納品するのが普通の時代だった。
Milvus15mmと同じ光学系を持つDistagon 15mmと、こちらも手放せない Milvus 135mmの原型であるApo Sonnar 135mmが登場するのは、ニコンではD4、D800の発売から1年ほどの間だ。私はニコンユーザーなので同社のカメラを例に挙げたが、他社のカメラを使用している人はそれぞれのメーカーに当てはめて年表を見てもらいたい。
デジタル写真がフィルムに取って代わり、デジタルカメラが高度化したことが今から検証する内容と深く関係しているのだ。
なぜならMilvusは本格的にデジタル高画素に対応するレンズとして、無印コシナ・ツァイスを微修正して誕生したからだ。
Milvus 15mmの実写とDistagon 15mmの例
1 重箱の隅をつつくテスト
重箱の隅をつつく前に、さほど超広角の粗が目立ちにくい写真を見てもらう。
Milvus15mmで撮影。両サイドを壁で挟まれた幅の狭い階段。順光で明暗差がある場所。F8。ピントは壁の継ぎ目あたりに置いている。この画像を含め、現像時に特に操作を加えていない。シャープネスも完全にOFFだ。なお掲載にあたっては各画像ともリサイズしている。
垂直と平行が狂っているため、壁の継ぎ目の下側で歪曲が目立っている。
壁がニュートラルなグレーではなくやや赤らんでいるとしたらJPG圧縮時の赤の突出だ。
色乗りは同傾向だが、抜けがDistagonと比べ向上している。左サイドの壁と階段と階段のテクスチャーの出方はあきらかにDistagonより鋭い。
15mm級の超広角単焦点でちゃんと写るものは数少なく、エッジを効かせて解像感やディティールを出したくなるのだが、現像時にデフォルトでかかるアンシャープマスクを0にしてもこの通りだ。
次は完全に太陽が画角内に入る状況での近接撮影。F11。ゴーストの様子を見たかったので被写体手前側はアンダーにしている。アンダーのため花色が濃密なのはとうぜんだが、地面の色合いにツァイスらしさが出ている。
画角上部中央やや右に太陽が入り込んでいて、Distagonではこの状況で絞り羽根の形のゴーストがそれなりにはっきり出るところだ。太陽そのものの周辺にフレアが出ているが、同様の条件のDistagonより影響が少ない。
拡大するとゴーストが出ているのがわかる。しかしフレアの発生は限りなく抑制されているので花びらやシベがきちんと分離して見える。
この切り出しでは、中央やや下側の花にピントがきている。超広角といっても近接撮影ではそれなりに被写界深度が浅い。前述の理由でアンダーだが花びらの調子の出具合は十分だろう。
次に掲載するのはDistagon 15mmを使用した写真だ。条件が同じではないため比較にはならないが参考までに紹介する。太陽の条件が悪すぎて撮影時刻をあらためざるを得なかったときの捨てカットで、このくらい強烈な逆光ではどのレンズでも厳しい状態だ。
以下、どう考えても無理めの逆光でのDistagon 15mm
②は論外中の論外の逆光としても、①、③はMilvusと比較するとフレアがあきらかに大きい。この画像サイズではわかりにくいが、いずれの写真も水面にパープルフリンジが出ている。とはいえ、これだけ極端な条件下なのでがんばっているほうだ。
④はこれらの中で今回の試し撮りと比較しやすい写真だろう。①から③までと同一地点、同一時刻に撮影したカットで、画面右側から光が射している。対角線上、やや右上にゴーストが出ている。ゴーストを除けば木製の柵や下草からもわかるようにDistagon 15mmの描写力はかなりのものだ。
これまでDistagon 15mmを使い続けてきた経験と今回のMilvus 15mmのゆるいテスト、お仕事撮影で使った結果を比べると、やはり条件が悪いとき両者の差がありありと開く。
鏡胴デザインの変更によって四隅に切り込みが入った直線的なフードからエルゴノミクスデザイン化された花型フードになり効果が増しただけではないだろう。
では、またMilvusに戻ってみたい。
画角右上からの逆光。F8。オートで露光補正なし。ピントはマンホールの手前側に置いている。
逆光でも先ほどの八重咲きの花の例とは太陽の位置と光の向きが違う。
中央を横長にトリミング。
Distagonでは反射や照り返しの強い部分にパープルフリンジ(もしくは色づいた反射)が出る場合があったが、フェンスの強い反射、中央のマンホールのエッジ、白線に色づきはない。
こうした場合に気になりやすい電線を拡大。
ハイライトを踏ん張っているのがわかり、電線にパープルフリンジは出でいない。奥のフェンスのハイライトも正常だ。しかしゴーストが出ている。
レンズに入射する光の角度次第でゴーストやフレアの出かたは変わる。かなり意地悪な光線状態で撮影した例を挙げてきたが、あらゆる入射角でMilvusの逆光性能は向上している。
次は順光で撮影した例を挙げる。
完全順光の桜への近接。F2.8。中央の花が露光オーバーで飛ばないようマイナス補正している。極端に背景の空が暗いのは、露光補正より絞り開放時の周辺減光の影響だ。
四隅が引っ張られる感じになるのは超広角の特徴だが、Distagon同様に引っ張られかたが穏やかでこれまでに掲載した写真のようにまったく気づかない場合もある。
中央の花。
F2.8開放だがフォーカスがきている部分はキレキレだ。
この画像だけ見ると解像、像の状態ともに15mmの超近接撮影とは思えないものがある。近接撮影ではDistagonも良好だったがMilvusの美点が現れている。
パースの強調が感じられない切り出し(トリミング)によるクロップ画像のせいでもあるが、50mmや中望遠で撮りましたと言っても通じる超広角のネガティブさがない写りと言ってよいのではないか。
2 実際の撮影に近づけたテスト
先ほど逆光時にDistagon 15mmで撮影した海景を掲載した。撮影場所は異なるがもう一枚参考までにDistagon 15mmで撮影した写真を紹介する。
この写真の発色傾向を記憶してもらいたい。
次から掲載する写真はMilvus 15mmだ。
鉄パイプにフォーカスを合わせたF2.8開放の写真。
同F8。
絞り開放のF2.8がアンダーになっているのは周辺減光が大きいためだ。中央部から目に見えて減光がはじまり周辺部ではかなり暗くなる。これは他の超広角でも同じだ。EV1.5〜2程度露光量を上げると絞り込んだ場合と明るさの見かけを揃えることができる。
絞り開放時のボケがなかなか気持ちよいので周辺減光と合わせて雰囲気を出すことができる。
Distagon 15mmとMilvus 15mmの周辺減光の特性は同じと言ってよい。
絞り開放では周辺減光が影響し彩度があがっているが、F8に絞っても偏光フィルターをかけたかのような色合いだ。(これから紹介する写真はいずれも偏光フィルターを装着していないし、意図的にアンダー目に露出したり現像時に操作してもいない)
Distagon 15mmはコシナ・ツァイス一族のなかでは発色がやや淡白なところがあったが、 Milvusは時と場所を問わず濃密で濃厚な色を出す。ツァイスのTessar T* 35/F3.5を搭載したフィルムコンパクトカメラTプルーフの色を思い出すのは、まあ年寄りだけだろうが。
灯台を撮影した写真とはロケーションが違うし、光線状態もまったく同じでないとしても、これまでに挙げた例からみてMilvusの発色が圧倒的に濃厚なのが理解できると思う。
同様の例。空だけでなく岩肌と砂の色が濃い。岩肌に入り混じる色がちゃんと描写されることでリアルさが増している。
このような色は彩度を上げただけでは得られない。
次はテクスチャの再現を見てもらいたい。
岩のヌメッとした描写と砂つぶを几帳面に解像した描写によってリアリティーが醸し出されている。それぞれクリックまたはタップで大きなサイズを表示できる。
輝度差が大きい状況を次に示す。
白とびを嫌って露光量を切り詰めたのでハイコントラストな描写になっている。つぶれた暗部を現像時に持ち上げてもしっかりデータが残っているのでうすらボケた表現にならない。
次は建築物の部分を写した写真。日陰でフラットな光線。素材や素材の状態をどのくらい再現できているかクリックまたはタップで大サイズの画像を表示して見てもらいたい。
これまで示してきた画像同様にシャープネスは現像時にデフォルトでかかるものもOFFだ。小さな表示サイズではぴんとこないかもしれないが、拡大表示すると鉄やレンガややぶれた土嚢がリアルに描写されている。薄曇りの日陰なのでフラットな光線だがここまで描写できる。
こうした質感描写にDistagon 15mmとMilvus 15mmの違いが現れる。
Distagon 15mmは Milvusと比較するとピーキーな特性だった。両者を客観的に比較する画像を残せなかったのが悔やまれるが、ファインダー像を見ただけでかなりの違いを感じる。
超広角という画角からして反則ものでチート枠とも言えそうなためDistagon 15mmのピーキーでハイコントラストなところがそれはそれでマッチしていたとも言える。いっぽうMilvus 15mmのハイコントラストかつ階調幅が広く随分大人の描写になっている。
Milvus 15mmのほうが記録できる階調の幅が広く、岩の曲面のぬめっとした描写だけでなく、ペイントが剥がれて錆びだらけの鉄扉の写真のようにメリハリも効いている。
階調性がピーキーな場合シャープに見えることもあるが、正確にディティールを再現するMilvusのほうが用途を選ばない。レンズが描写できなかったディティールを捏造するのは不可能だが、現像時に捨ててピーキーにするのはいくらでも可能だからだ。
Milvusについて考える
Distagonのピーキーさが溶けてなくなりMilvusは成熟感のある描写になった。これが最大の違いだろう。
Distagon 15mmからMilvus 15mmへ光学系とコーティングを微修正しただけとアナウンスされている。
しかし同じ焦点距離で同じ口径比、微修正のみ受けたレンズと頭ではわかっていても、撮影中のファインダー像から受ける印象がかなり違う。
違いはファインダー像の見た目だけでなくフォーカスの合わせやすさにも影響している。
Milvus 15mmは微妙な階調を余すことなく像にしているため、 圧倒的に情報量が多くフォーカスを合わせるのに戸惑いを覚えるシーンがあった。ピントの山が見えないのではなく、被写体の微妙な明暗差までファインダー像に映し出されヌメヌメ感さえあるリアルな像になったので撮影者がこうした像に慣れる必要がある。
白黒二階調がもっともピントを合わせやすく、微妙なグラデーションは合わせにくいというのと同じだ。
ヌメヌメしたリアルさはハイビジョンと4K、8Kの違いに例えればわかりすいかもしれない。
もちろんファインダー像にとどまらずリアルさは写真に記録されている。
画像(Distagon 15mm ③)の流木や(同④)の木の柵や下草からわかるように、Distagonも超広角としては驚くほどディティールを記録できるレンズだった。だがMilvus 15mmの花の描写には花びらの柔らかさや湿り気が素直かつリアルに再現されているし、岩肌の描写は現実を超えたリアルさがある。
光学系の微修正とコーティングの最適化によって、
[再現できる階調の幅が広がった]
[状況を問わず発色が濃厚になった]
のだ。
ここでもう一度、コシナ・ツァイスの発売年を思い出してもらいたい。
いくつかのコシナ・ツァイスを試してみて採用したものと採用を見送ったものがあるのを以前の記事に書いた。
もちろん好みの画角でないものが選択から外れているが、好みの写りではないものやツァイスとしての必然性が弱いものを除外している。
私が手放せないレンズは Milvus 15mmと135mmだ。
どちらも、新製品の登場が途切れたあとOtusが登場する直前に発売されたレンズだ。
この時期(2010年代初頭に)、コシナ・ツァイスは明らかに変わった。想定する用途のうちフィルム撮影より圧倒的にデジタル撮影への比重が大きくなった。年表に書き加えたデジタルカメラの発売年と合わせて考えるとなかなか興味深いものがある。
たとえば、だ。Distagon18mmは細かく解像するより塊で見せるレンズのように思う。そのほかの点も写りの雰囲気としてDistagon 15mmとは違う。私感だがフィルムを使用していた時代の超広角のようなレンズだと感じる。もちろんこうした18mmのほうが好きだという人もいるだろう。
MTF曲線を比べるとDistagon18mmはすっきり高次元なまとまりがあり、より解像しているように見えるDistagon 15mmは暴れまくっている。MTF曲線だけで写りまではわからない最たる例だ。
すこしだけ試した Milvus 18mmは、15mmがそうだったようにDistagon 18mmと基本的なところは変わらないが描写が向上した印象を受けた。18mmを使用している人が愛している描写に、この記事に示したような Milvus化の恩恵が現れている。
元の性格を反映した変わりかたをしているのがMilvusなのだ。
いずれにしろ、Milvus化でデザインが変わって価格が高くなっただけではないのは確かだ。
いまだに Milvus化前のコシナ・ツァイスの新品が流通している。かなり前に廃番になったものが突如姿を表したりする。希少価値さえありそうなKマウント版が出てきたこともあった。
前述のようにコシナ・ツァイス(無印)は設計された時期により性格が違っていて、無印から派生したMilvusにも個々の性格が継承されている。
レンズの好みは人それぞれだが、本格的にデジタル写真の時代が到来する前に設計されたものは現代の感覚で古さを感じる。
しかし前述の18mmがMilvus化で変化があっただけでなく、Distagon 35mm F1.4で気になるフリンジが Milvus 35mm F1.4では改善されている。無印末期のApo Sonnar 135mmはもともと堂々とした銘玉だったが、やはりMilvus化の恩恵を受けている。
選択の余地がなかったり価格優位性を重んじる場合は別として、 Milvus化の恩恵はかなりのものなので現在使用しているカメラの性能とこれから更にカメラが高性能化することを踏まえて購入を考えるべきだ。
なおコシナ・ツァイスのニコン用CPU搭載レンズ(Ai-Sだが距離情報伝達がないAi-P)はZマウト機にアダプターを介して装着したとき、動作と表示すべて機能しているのを確かめた。
光学の知識に欠けるので勘と経験からの憶測にすぎないが、大口径でフランジバックが短いZマンウトの優位性がはっきり現れるのは超広角から105mmくらいまでだろうと思う。この通りであれば、100mm、135mmの Milvusはこれからもしばらく色褪せないだろう。
Zマウントの標準、広角、超広角を含むズームの写りを見ると驚くべきものがある。それでも15mmを Milvusに更新したのはDistagonとともに私の感覚に合う好ましい写りだからだ。いつ本格的にミラーレスに移行するか具体的な計画はないが、Zマウントに軸足を移してもアダプターを介してMilvus15mmを使い続けるだろうと思う。
© Fumihiro Kato.
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古い写真。