写真の出来栄えをお金で買う発想を捨てさる

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何をどうやって見極めて買えばよいか書いていこう。

はじめに

昔がよかったとはまったく思わないし、写真はますますよい時代になっていると痛感しているが、近頃蔓延している出来栄えをお金で買う風潮だけは滅びるべきと考えている。

繰り返し指摘してきたことだが写真機材の情報が溢れかえっていて、大半は広告収入を期待したりメーカーとの関係に気を使った煽り記事や提灯記事だ。

これらを真に受けて「大三元」などと下品な命名をして実のないものに翻弄されている様子は、出来栄えをお金で買えると信じ込んでいる状態を端的に表している。

必要な機材は撮影次第であり、値段が高かったりカタログ値が高度なら写真の出来が比例して高まるなんて妄想にすぎない。

撮影の頻度が低くなり、情報を漁る頻度が高くなっているなら自ら情報を遮断する。

昨今は数ヶ月ごと各社から新製品が入れ替わり立ち替わり登場しているが、既に使用している機材が新製品の登場とともに使い物にならなくなるわけではないから、新製品情報に敏感になる必要なんてない。

新製品情報に疎くても何らかの理由で新たな機材が必要になったとき、日々撮影をしている人なら何を基準に何を買ったらよいか他人の言葉に頼らず選択できる。

必要な機材はフラグシップの位置付けのものとは限らない。

たしかに私はF2.8通しのズームを所有しているしツァイスのレンズも使用している。いっぽうでF4クラスのズームや旧製品になっているレンズも使用している。

選択の基準がカタログ値の人は、考えて撮影をしていない人なので自分にとって必要なものがわからない状態だ。クルマを買う際に自宅駐車場の面積やかたち、使用頻度、主に誰が乗りどこへ行くのかわからないまま、見かけだけでコロコロ新車を選ぶ人と同じである。

クルマ使用のプロとも言える農家の人は仕事用に軽トラを使っている。これを写真機材に置き換えると、プロが携帯性重視の小型機を使うようなものだ。

巨匠セバスチャン・サルガドはライカも使用しているがキャノンの普及機にパンケーキレンズの組み合わせでも撮影して堂々たる写真を残している。

ではセバスチャン・サルガドの作品を見て、パンケーキレンズを使った写真をライカもしくはペンタックスの中判で撮影した写真のなかから選別できるだろうか。

フィルムで撮影しているので中判についてはわかるだろうがパンケーキレンズについては選別できないし、そもそもこんなことでサルガドの写真を選別する意味なんてまったくない。

出来栄えをお金で買えるなんて妄想にすぎないのだ。

撮影しやすく、撮影中に機材の性能や特性から生じるやっかいな問題に悩まされないものが必要な機材だ。つまり日々ちゃんと撮影を続けていれば自ずと答えが出る。

撮影に集中するためには、もしかしたら小型軽量なほうが向いているかもしれないし、絞り開放よりある程度絞ったときの性能に期待したいかもしれないし、はたまたまったく逆かもしれない。

解像や歪曲について撮影中に心配になるなら、何がどのようなとき心配になり心配をなくすためにはどの程度の性能が必要か自分自身の中に答えがあるはずだ。

私が超広角でMilvus 15mmを使用しているのは、超広角がどうしても必須なのに世の中の15mm近辺のレンズがことごとく解像と歪曲と周辺減光について納得できないからだ。もともと解像性能が期待しにくい焦点距離とはいえ甘さが目立ち、なかには歪曲が樽型と陣笠型が入り混じるものもあり、周辺減光のパターンが美しくないものばかりだ。

だが性能を重視したMilvus 15mmは大きく重い。地形、気候、天候その他の理由によっては超広角ズームを使うが、こちらはフラグシップとされるものではなくニコンの18-35mm F3.5-4.5だ。目的にかなっているからこちらのほうがよい。

とはいえ両者はあたりまえだが同じではない。

F3.5-4.5の超広角から広角では照度が低いとF2.8と比べフォーカスが決めにくいし、ズームゆえに歪曲が大きい。歪曲が気になって現像時に補正すると、18mmの画角をまるまる使えない。また解像のしかたも違う。

こうした前提で画角や描写を単焦点に近づける撮影をする。近づけられないなら無意味だが、傾向の違いを最小限に留められている。

またMilvusにくらべ手数と手間が必要でも、世の中に存在する他のレンズより役どころにぴたりとはまる。

両者に限らず傾向の違いを最小限に出来るか出来ないか買って使ってみなければわからないところはあるが、ある程度は事前に察知できるし、なんだったらメーカーのショールームで試写したり機材レンタル店で借りてみればよい。

不思議なもので撮影をコンスタントに続けていると機材勘が働くようになる。

こうした見極めや勘はレンズに限ったものでなく三脚・雲台、ストロボ等々からこまごました用品にも言える。

写真に費やすコストのうち何がなくても機材以外の撮影そのもの(交通費や宿泊費やモデル代など諸経費)に使うのが順当で、残りの機材購入費は買い物の失敗ぶんを見当しておくべきだ。

撮影そのものにお金がかけられない予算組みでは、何のために機材を買うのか本末転倒する。

買い物の失敗はつきもので、とくに新しい試みのための機材や初物機材は経験値が役立たないので無駄が多い。目的にぴったりあっていなくても、いずれぴったりの用途が見つかるものもあれば単なるゴミだったりする。

いずれゴミを引き当てない勘も養われるが、人それぞれ使用実態と要求が違うのだから一流メーカー品にも失望する場合がある。

こうなると、機材に使える予算は誰だって厳しくなるのがとうぜんだ。使い捨て前提か長らく使うか、めりはりをつけなければならない。

そして繰り返しておくが、撮影そのものに投資しなければ写真は成り立たない。写真の価値は機材の金額では決まらず、何を撮影したか次第だ。

機材が自分に合っているか否か、メーカーが要求に応えられるか否かによっては機材に毅然と見切りをつけられるようにしなくてはならない。

趣味の撮影をしている人のなかには、必要なレンズがいつまでも発売されないとか、サードパーティー製も廃番が続き対応マウントの新発売がなくなったと困りながら、メーカーへの愛着などとつまらない言い訳をしている人がいる。

撮影愛より機材愛が強いなら構わないが、撮影に支障が出たり将来性に不安を抱えているなら停滞しているメーカーや製品に引導を渡すべきだ。そして下取りが有利なうちに売却して余計な心配と支出を減らさなくてはならない。

困ったことにカメラ評論家はメーカーからお座敷がかかるのを期待したり、文字通り広告塔としてユーザーの期待や機材愛を煽っている。彼らはこれで仕事をまっとうできているがユーザーの撮影が滞るなら害悪でしかない。

メーカーに忠誠を誓えばよい写真が撮れ、新たな写真の領域を開拓できるならよいがそんなことはまったく有り得ない。

そもそも写真だけ見て何レンズを使っているとか何カメラを使っていると常に判別できるだろうか。もういちどサルガドの例を思い出してもらいたい。

機材の選択では写りそのものもあるが、実用するうえで滞りなく心配なく余計な手間がかからず運用できるものを選択すべきだし、撮影者固有の事情を反映しているものを選ぶのが正解だ。

どの企業に対してもユーザーが従順な羊になったらおしまいだ。また、羊の中の長になるため人生の貴重な時間を費やしたり神経を遣っている人物はもったいないことをしている。

私は誰かさんからちゃらちゃらされた扱いを受けるため写真を撮影しているのではないし、はした金を稼ぐためサイトに記事を上げているわけでもない。だからここに書き連ねた考え方は撮影者本位のものだし、自分が実践していることを寝るまえなどにまとめたものだ。

経営者の思惑、社の思惑、技術者の思惑なんて関係ない。ちゃんとしたものは買うし、どんどん使い倒す。ただこれだけだ。

© Fumihiro Kato.
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・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なる人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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