レンズは情報の質と量を判断して焦点距離を決める

どの教本を読んでも交換レンズの選択は画角で選べと書いてある。広い範囲を撮影したいなら広角、遠くのものを撮影したいなら望遠といった感じ。もちろん間違いではないし、とても当たり前でもあり、あまり写真について詳しくない人には十分なのだが、こういう意識のままではダメだなと感じる。「レンズは情報の質と量を判断して焦点距離を決める」のが正しい。屁理屈を言いたい訳ではなく、実際の撮影で画角を選択する最良の方法について話をしたいと思っているのだ。

ここで言う情報とは、撮影しようとしているものと周囲にある物体や状態だ。超望遠で鳥を撮影するケースを想定してもらいたい。なぜ鳥を超望遠で撮影するのだろう。鳥が遠いところにいて、鳥そのものが小さいからだ。これが「広い範囲」か「遠くのもの」かで焦点距離を選ぶ発想だ。

別の側面から鳥の撮影を考えてみる。鳥以外の要素はほとんど不要だから、鳥だけを撮影するに適した超望遠が選択肢になる。鳥の周囲にある植物、岩、家、電柱などといった情報は要らないとしているのだ。ある人は800mm以上でないとダメと言う。同じシチュエーションでも、600mmでよいという人もいる。実際のところ理由は様々だろうが、次に挙げる例のように選択するケースが多いのではないだろうか。800mm以上を選択する人は鳥そのものだけに絞って、鳥のディティールを撮影したいのだ。600mmを選択する人は鳥そのもののディティールを撮影したいのではなく、生態と環境を撮影したいのだ。

次にズームリングを回す意識を思い出してもらいたい。ここに24-70mmズームがある。とりあえずカメラを構えてファインダーを覗くと柿の木が見えた。柿の実にズームしたい気持ちになったとしたら、これは柿の実の情報だけに集中したいのだ。柿の木の全体像や、柿の木が生えている場所を見たい気持ちになったとしたら、さらに複雑な情報を得たいからである。もしかしたらカメラを縦位置に構えなおしたかもしれない。これもまた、情報量の最適化である。

知り合いをモデルに24-70mmズームで街頭スナップ撮影をしていると想像しよう。知り合いをバストショットで撮るか、全身像のみにするか、背景の街並みを含む構図にするか決めるだろう。これもまた情報の質と量を、撮影者それぞれが瞬時に判断して最適化しているのだ。情報の取捨選択、情報への集中のため私たちは画角を選択しているのだ。このとき、広い範囲込みで撮影したいなら広角、遠くにいる知り合いを撮影したいなら望遠というだけで焦点距離を選んでいるとするとロクな写真は撮れない。

ここを読んでいる人は、画角が違うレンズであっても同じ広さを撮影できるのを知っているはずだ。広角レンズで寄って撮影される範囲は、望遠レンズで離れた場所から撮影できる。

ワーキングディスタンスの取り方次第で、焦点距離が違う(画角が違う)レンズでも同じ範囲を撮影できるのを上の図は示している。図は女性を一列に並べて撮影する様子だが、背後に男性が点在している。この状態を24-70mmズームで撮影しなければならない。このとき広い画角で寄るか、狭い画角で離れるか、つまり24-70mmのどの焦点距離を選ぶか問題になる。ボケの処理やらいろいろあるだろうが、背景の広さ=背景の人物が映り込む範囲を最適化するため意図に応じて画角を選びワーキングディスタンスを決定する。

そんな考え方はしないという人は、足を使った撮影が習慣化していないのだ。ワーキングディスタンスの最適化とは、1本のレンズがカメラについた状態で寄り引きするだけでなく、異なる焦点距離の選択肢を含めたものだ。

ある会社のホームページ用の写真を発注されて社内を取材しているとしよう。これが図で示した撮影である。引きが比較的自由に取れるとして、24-70mmズームの何mmで女性たちを撮影するだろうか。人物が集まった状態だから50mmくらいとか、女性は中望遠に近い70mmくらいがよいだろうと考えるだけでは依頼主の要望に答えられない。ここはスタジオではないのだ。情報がたくさんある社内でわざわざロケをしているのだから、こうした情報をどのように描写するかが問われている。クライアントは社屋が広々していると自慢したいのか、活気を人々に見せたいのか、女性社員の存在そのものに言及したいのか要求しだいで焦点距離とワーキングディスタンスが決まる。

背後の広がりの違いは、情報の密度の違いにもつながる。主題となる女性たちと背後の密度、背後の状況そのものの密度が選択する焦点距離とワーキングディスタンスによって変わる。

広い範囲を撮影したいなら広角、遠くのものを撮影したいなら望遠ではなく、「情報の質と量を判断して焦点距離を決める」発想は頼まれ仕事に限った話ではない。知り合いを街頭でスナップ撮影する前述の例だってそうだ。ルポルタージュもまた主たる被写体と周辺の情報を最適化しなければならないし、ポートレイトや風景であっても同じだ。静物だって。

写真は現実に存在しているものしか撮影できない。現実の状態から情報の取捨選択、集中といった作業で撮影意図を反映させるほかないのだ。また情報の数が同じでも、情報が密度を持って集約されているか、密度が疎で点在しているかの違いでかなり印象が異なる。情報の取捨選択と集中はライティングや露出でも可能だが、もっとも影響力が強いのが構図である。構図とは、フレーム内に必要な要素が入っているだけでよい訳ではない。

次に情報の質と集中について考えたい。

自写像は撮影も公開もしたくないが、このまえ撮影した美人の顔だったらどんどん公開したいという写真家は多い。自分の顔なんてものは世界の人々に見せるほどではないという意識があるから公開したくないのだ。だから自写像を撮影する人はとても少ない。自分にとってありふれた顔なんてものに価値なんかないと感じているのだ。ではなぜ美しい人の顔をまじまじ見つめるような写真を撮影するのか。これは質が高い情報と思ったからにほかならない。喩えだからジェンダーがどうこう重箱の隅をつつかないでもらいたい。顔にまつわる質が高い情報は男にも女にもあるし、シワ、表情、髪型その他さまざまでもあり、なかなか人前に顔を晒さない有名人は希少性という意味で情報の質が高いと言える。

スナチャでセルフィーを撮る女性は多いし、どんどん公開している。これは顔の一部を隠したり、エフェクトをかけたら公開に値するものと考えているからだ。本人がどれだけ謙遜したとしても、自分の顔の情報性は高く、なんだっら質も高くて他人にとっても価値があるとしているのだろう。鳥を超望遠で撮影する話もまた、撮影する人が「鳥は情報の質が高い」と評価しているからアップで撮影する必要性を感じるのだ。鳥そのものの情報に無頓着な人は、鳥のために高価な超望遠レンズなんて買わない。鳥の姿そのものより鳥が生息している環境や、鳥がいる風景を撮影したい人は超望遠でも画角が広い部類のレンズ持ってフィールドに出るだろう。

何が質の高い情報を持っているか、評価は撮影者の価値観しだいである。

私は鳥に対して興味がほとんどないので、鳥がアップになっただけの写真に惹かれることがない。しかし風景の中にある廃屋や棒杭の情報性には敏感である。では風景のなかの棒杭をアップで撮影しようと思うかとなると否だ。棒杭は、他の情報とともにあることで意味を持つと考えているからだ。他の情報をどの範囲まで求めるかが重要になる。求める情報の範囲は画角とワーキングディスタンスで決定される。

価値を感じる質が高い情報には程度が存在している。それそのものが稀有であり単独公演できるスター歌手なみのものから、流行りのガールズグループのようにたくさん集まったことで何かが生じて価値が生まれるものまである。前者なら情報に集中する構図になり、後者ならその他大勢が必須な構図になる。情報の質はレンズを変えてどうなるものではない。そうなると、他の情報をどのように添えるかが課題になる。画面に占める比率の違いか同列か、疎か密かが集中の程度を決めるのだ。

広角レンズは情報を収集する範囲が広いレンズである。だが望遠レンズで引いて撮影すれば、広角レンズより広い範囲を撮影できる。望遠レンズは情報を収集する範囲が狭いレンズである。だが広角レンズであっても対象に寄ることで複雑な情報を省いて特定の情報に集中できる。これらは矛盾していない。もちろん画角とパースペクティブ描写の特性あっての焦点距離だし、これらを無視なんかできるはずがない。しかし、広い範囲を撮影したいなら広角、遠くのものを撮影したいなら望遠とする考え方はあまりに一面的すぎるし、撮影と構図の可能性を狭くする。情報の質を見極めて、情報を取捨選択する行為が撮影の本質であるのを見逃している。

撮影に習熟した人は「レンズは情報の質と量を判断して焦点距離を決める」ものとして写真を撮っているはずだ。情報の質と量の判断は複雑で、この項に例示したり説明したもの以外にもある。レンズをズームさせるとかレンズを交換するときの瞬時の判断は、頭の中で高度な情報の処理を日常的にしていると言える。でも、「レンズは情報の質と量を判断して焦点距離を決める」ものという意識で構図を考えたことがあるだろうか。「密度」の考え方を含めて。

広さや遠さではなく、情報の質、量、密度をどうしたいかで画角とワーキングディスタンスは決まるのだ。こうしてレンズの焦点距離が決まるのである。

Fumihiro Kato.  © 2018 –

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Profile

F.Hiro.K
加藤(文)文宏 / Fumihiro Bun Kato a.k.a Hiro.K
写真家・作家 / Photographer Author
・北海道北見市生まれ。
・大学卒業時までに詩集「無題あるいはサラバ」、同「Cadenza」発表(共に絶版、在庫なし。「Cafebza」別装丁私家版のみあり)。
・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。
・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他)
・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。
・不二家CI、サントリークォータリー企画・取材、Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告、武田薬品工業広告、他。アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材、MIT Museum 収蔵品撮影 他。
月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。
・長編小説「厨師流浪」で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」他、小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。
・獅子文六研究。
・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。
・各メディアにおけるスチル撮影。
・オリジナルプリントの製作、販売。
・JSAHP正会員
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