2017年はまさにそういう年として記憶されそうだ

「2017年という年はたぶん」という日記を2016年11月8日に書いた。

来年2017年は、弱っていた部分がポキと折れる年になりそうな気がする。と同時に、執着。

弱っている、には金属疲労のようなものもあれば、傍目からもどうしてこんなものが存続しているのかというものもある。いずれにしろ、金物をぐねぐね折ったり戻したりしていて脆弱な状態になっているところがポキっといったり、まだ続いたり。こういったものからの連想。執着によって続けられていたものが切断されたり、大問題視されながら翌年へ持ち越す、そんな年かなあ。ぐだぐだ続いていたものが終わるというか、引導を渡されるというか。

こんな内容だった。

私は具体的に何がどうなるとは書かなかったが、ざっくり想定していたのはアメリカから始まるポリティカル・コレクトネスの息切れだ。そして、本邦においても似たような状況になるだろうと思った。いずれも「金物をぐねぐね折ったり戻したりしていて脆弱な状態になっているところがポキっと」いったので大外れではなかろう。

想定外の要素は北朝鮮が弾道ミサイルでアメリカをここまで挑発し水爆実験に成功した点だ。想定外であったが、核の傘あるいは国連中心の秩序の矛盾や無理が「脆弱な状態になっているところからポキっと」折れたのは間違いない。国境を一歩跨いだ外の世界は国と国を統治する強制力がないのだから、元から文字通り無政府状態であり、アナキズムが標榜する国家や権威を必要としない調和的な社会結合なんてものすら存在しない。だからこそジョン・レノンのイマジンは美しいのだが、では明日をどうするとなったとき何者にも頼れない荒涼とした世界があるのみである。なのだが長らく国境の内側で平和が続いたせいで、こうした現実が見えにくくなっていたと言える。「傍目からもどうしてこんなものが存続しているのかというもの」が、日本では「ポキっといったり、まだ続いたり」が今日このときだ。調査によれば核兵器の保有に賛成の日本人が過半数を優に超えたそうだ。

私はあくまでも印象を語るにすぎないのだが、北朝鮮の「執着」に端を発した国際的な諸問題は「翌年へ持ち越す」だろうと昨年末の予想通りに想像する。年内に金王朝が崩壊したとしても、一族の執着からはじまった問題は何ら解決されず、影響はまだまだ数年尾を引き続けるだろう。そして我が国内では「どうしてこんなものが存続しているのかというもの」(これが何か書かなくてもわかるだろう)が崩れさり、なんらかの(とぼかしを入れて書くが)暴力装置を手にするところに至るだろう。平和であろうとするなら、である。正直なところ某国の☎︎を殺すしかないのではないか、と思うときもあるのだけれど物騒な話はやめておく。いずれにしても、アメリカを頼りにしていても本邦の望む安全を得られるとは限らないという事実に考え至った人は多いのではなかろうか。所詮アメリカも他国である。

一昨日あたりの朝日新聞投稿欄の初っぱなが「非核三原則を現実に即して見直せ」とする内容だった。朝日にしてから、こうなのである。これには驚いた。つまり、あの朝日新聞が現実路線への方向修正に向けて観測気球を上げたということ。私たちのほとんどは侵略戦争なんてものは爪の先ほども望んでいない。なのにこの国と国民が侵略戦争に向かっていると言い続けていた朝日が、当の朝日の中の人でさえ信じていないこんなたわごとを書き続けてきた新聞が、「非核三原則を現実に即して見直せ」という投書を選び出し、投稿欄の初っぱなに掲げたのである。要するに、「憲法9条を死守すれば安全である」という夢想を読者が抱けなくなっていると新聞はやっと気づいたと言える。まさに「傍目からもどうしてこんなものが存続しているのかというもの」である。核兵器は北朝鮮によってカジュアルな兵器に様変わりしたのだ。北の核保有を認めるとなれば、小国はこぞって核開発に進むか北朝鮮から技術と兵器を買うだろう。認めなくても、このままなら北は水爆を太平洋側へ向けて配備する。

核廃絶が世界規模で一斉に達成できるなら、これほどありがたいものはない。だがアナキストが夢想する理想でさえちゃんちゃらおかしく見えるほど世界は荒涼としていて、国と国を統治する強制力がないのは前述の通りである。実際に、現実のできごととして、北朝鮮は周辺国になんか御構いなしに水爆の開発に到達したではないか。我が国の理想や法と無関係に相手が増長し有害な行為をしても止められないのだ。この問題が本年中に決着し、きれいさっぱりするはずがない。何が起こっても、「ポキっといったり、まだ続いたり」なのだろう。

 

Fumihiro Kato.  © 2017 –

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Profile

F.Hiro.K
加藤(文)文宏 / Fumihiro Bun Kato a.k.a Hiro.K
写真家・作家 / Photographer Author
・北海道北見市生まれ。
・大学卒業時までに詩集「無題あるいはサラバ」、同「Cadenza」発表(共に絶版、在庫なし。「Cafebza」別装丁私家版のみあり)。
・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。
・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他)
・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。
・不二家CI、サントリークォータリー企画・取材、Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告、武田薬品工業広告、他。アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材、MIT Museum 収蔵品撮影 他。
月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。
・長編小説「厨師流浪」で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」他、小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。
・獅子文六研究。
・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。
・各メディアにおけるスチル撮影。
・オリジナルプリントの製作、販売。
・JSAHP正会員
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