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我々は色に囲まれて暮らしている。なのだが、案外と色について理解していない。あたりまえと思っているからこそ、各自の中の「あたりまえ」から先へ理解を進める気になれないのである。理解を先へ進めたからといって人生が一変するとは思えないが、写真に関しては何かが一変する可能性があるから色について考える時間を持ったほうがよいだろう。
・色と心理の基本
あらゆる(無彩色を含む)色は、どのような光量下で見ても同程度の明度の色と認知される。光量に正比例して明るく、暗く見えるわけではない。18%の濃度(明度)のグレーの板があったとする。この板を晴天の太陽光下に置いても、室内の薄暗がりに置いても同程度の濃度(明度)のグレーと認識される。これを「明るさの恒常」と呼ぶ。
また、太陽光下で緑色に見える板を白熱電球で照らされた室内で見ても、やはり緑色の板と認知される。これを「色の恒常」と呼ぶ。白熱電球が発する光はスペクトルに偏りがありオレンジ色をしているため、緑色は補色関係にあることから板はかなり黒っぽくなるはずだが、肉眼で見て脳が判断した結果はほぼ適正な緑色のままだ(実際に板から反射される光の色より、元の色に近い)。
ただしいずれの場合も程度の次第ではこの通りにはならない。街灯やトンネル内の照明に用いられるナトリウム灯はオレンジ色の光のみに傾いた得意なスペクトル構成をしていて、こうした状況では「色の恒常性」は大いに崩れる。たとえば人間の顔色に多い暖色系のベージュは青黒く濁った色に見え、かなり違和感を抱く。
・色彩対比
継時対比
一面真紅の物体を数十秒以上見つめた後に黄色い物体を見ると、黄色い物体は実物より緑がかった色と認識される。これは真紅と黄色に限ったものでなく、長時間ほぼそれだけを見つめたとき他の物体は、あたかも見つめていた色の補色関係にあるフィルターを通して見たような印象になる。
同時対比
ある色と異なる色が接しあっているとき、色相・明度・彩度が影響を受ける現象。
(以下、模式図を参照のこと)
a.色相対比
図中のオレンジ色はまったく同じだが、赤っぽい囲みの中にあるオレンジ色が明るく見える。網膜に写る色のうち比率が大きい色への感度が落ちるため発生する現象。赤の色成分が大きいとき視覚では赤の感度が落ちるためオレンジ色から赤みが引かれた色彩として認知され、黄色の成分が大きいときは黄色みが引かれた色に見えるのだ。
b.明暗対比
暗い色に囲まれた色は、より明るく。明るい色に囲まれた色は、より暗く見える。
c.彩度対比
彩度が高い色に接している色は、彩度が低く見える。彩度が低い色に接してる色は、彩度が高く見える。
d.補色対比
補色関係にある色は、同系の色と接している場合より彩度が高く見える。
e.縁辺対比
中央のグレーと、より暗いグレーが接する部分周辺は、実際より明るく見える。より明るいグレーが接する部分周辺は、実際より暗く見える。これまで説明してきた他の同時対比も、接する部分でより対比が強く現れる。これによって対比される色の形状によっては、グラデーションをかけたように見える。
他の錯覚
a.面積効果
面積が大きいものほど明るい色に見える。
b.膨張-収縮
一般的に明るい色、暖色系の色ほど面積が大きく見える。また、接する他の色との差が大きいと、さらに.膨張-収縮の度合いが高まる。
c.同化現象
図に示した背景の赤はまったく同じ色だが、前面に暗い色を配置したときより暗く、明るい色を配置したとき明るく見える。
(模式図はサイト掲載のため縮小されるので、それぞれの現象を感じににくくなるケースがある点を容赦願いたい)
これらの要素を撮影したとき、データとして記録される過程で変化が起こらないとするなら、そのままを写真として後々肉眼で見ることになる。こうした写真を見る際にも、我々は実物を見たときと同じ錯覚をするので「見たまままの印象と変わらない」とも言える。これはこれでまったく問題ないが、実物と等倍の像を写真像とするのはなかなか難しく大概は縮小された像を鑑賞することになる。(模式図はサイト掲載のため縮小されるので……)と注意書きを添えたように、像として縮小された場合に、実物を目視したときと印象の度合いが変わる点は注意しなければならない。
また事前に色(あるいはグレーの明度)の組み合わせを設計して撮影に臨むケース、たとえば主たる被写体と背景、衣装と背景、メークを施すなどの場合には、想定していた色の効果と実際に組み合わせられたときとで印象に大きな差が現れることがある。
ここまではフルカラーを意識した話題であったが、モノクロ化する画像では色に騙される異なる現象が発生する。私たちは明度によるコントラストのほか同系または補色関係によって生じる色の違いを目視のうえコントラストとして認識している。問題は二点ある。プログラムによって自動的にモノクロ化するか、なんらかの方法で撮影者が行うかの違いなく、彩度を失ったとき色の違いによって生じていた対比が消えてなくなる。同様に自動かそうでないかの違いなく、フィルムで撮影する際に気にしなくてはならなかった「感色性」を忘れてはならない。
カメラ内プログラムもRAW現像ソフトも、私たちが見慣れたモノクロ像にするため、色相ごと均等に明るさ暗さを割り当てていない。かつてモノクロフィルムは全ての色に対して感度が均一ではなく、フィルムの種別ごと青や赤などの波長にのみ感度があった。これでは万能フィルムと言い難いため、やがて全ての波長に対して感度を持つ「パン・クロマチックフィルム」に進化した。特殊用途を除きモノクロフィルムはパン・クロマチックになり、これが見慣れているモノクロ写真に使われているものであるが、それでも光の波長の長短全てにおいて感度が均一だったわけではない。こうしたパン・クロマチックフィルムの感色性を模してRAW現像ソフトなどがフルカラーデータをモノクロ化するのだから、色の対比は自ずと特有の癖をもった明度の階調に置き換えられる。なりゆきでモノクロ化し、ソフトに実装されているフィルター効果を使って明暗の差を演出できるとしても、やはり色の違いが明暗の差に置き換えられるときの特性は頭に入れておきたい。
Fumihiro Kato. © 2017 –
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