そりゃスマートフォンの人のほうが写真がうまくなるよ

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調査したり統計を取ったわけではないから狭い世界から見た狭い世界の見えかたでしかないが、スマートフォンで写真を撮っている人の腕というか感覚が立派なカメラで撮影している人のそれらより上かもしれないと感じる例が増えた。

直感に対して素直に気負わず撮影して、撮影した写真が人目に晒される可能性がけっこうあって、撮影と写真を誰かに見せる・見られる状態とをけっこう頻繁に繰り返していればうまくなって当然だろう。

このうち「直感に対して素直に気負わず撮影」について、いろいろ思いつくことがあるけれど当記事では[レンズ1本での撮影]を取り上げる。

スマートフォンで撮影する場合、機種ごと機能はいろいろあれど多くの人はデフォルトの画角のまま寄り退きで構図を整えて撮影しているように見受けられる。

ここ二十数年レンズ交換式のカメラを買うなら標準ズームとのキットで手に入れる人が多いというか、むしろ(ライカ判フルフレームなら)50mm標準レンズを買うのは特殊なことになっている。

三十年前より昔は50mm標準レンズだけで何もかも撮影してから交換レンズを買うのがあたりまえだった。コンパクトカメラなら35〜45mmくらいの単焦点レンズが固定されたままだった。

過去は過去、今は今だとしても、標準または準広角だけでやりくりするところから始めるのと24-70mmくらいのズームを写真をはじめた日から使うのではあまりにも違いがある。

これがスマートフォンの「直感に対して素直に気負わず撮影」のうちの[レンズ1本での撮影]との違いだ。体が動いて寄り退きするのが直感からの行動であって、直感でズームする段階で既に直感でもなんでもなくなっている。

私たちは何かに興味が惹かれたときは注視して、それでも足りなければ体ごと寄って行く。広い範囲を見渡したいときは首を振って見回して、それでも足りなりなければ退いたり離れた場所にある高い位置に移動したりする。曖昧な位置に立ったままズームリングを回すのとは意味が違う。

過日別記事で24-50mmズームについて特性を書き、24・35・50mmの画角と24-70mmズームの70mmの位置付けについて実例を挙げて説明した。

ここにもう一度、24・35・50・70mmの画角を例示する。

24mm
35mm
50mm
70mm

被写体と4〜5mの距離をとったとき
・場の状況を大きく取り込み説明できる24mm
<中央にあるパイプ等をY字路の構造、環境と雰囲気、状況ともども包括的に説明できる>

・場の状況を整理したうえで説明できる28mm
<画像を用意しなかったが、包括的な状況説明であっても24mmの情報から切り捨て可能なものを整理でき情報の密度が上がる>

・人物など対象を大づかみできる35mm
<撮影者の身長なりの高さで構図を取ると、正面の位置にいる人物(成人)の全身像が撮影できる。このように主たる被写体メインの写真が撮影できると同時に周囲の環境についても説明可能>

・被写体に意識を集中させる50mm
<カメラの高さを下げると正面の位置にいる人物(成人)の全身像が撮影できる。身長なりの高さから撮影すると人物の上半身が撮影できる。周辺というより背景が状況を説明する助けになる>

・50mmの画角を詰めて整理する70mm
<50mmの構図を切り詰めて整理した画角。人物などを主体にした写真では85mmや105mmが欲しくなるが、これらより背景で状況を説明できる度合いが高い>
という使い分けになる。

かなり離れた位置からも被写体を発見できるが、10〜20mくらいで何がどうなっているのか把握して4〜5mまで近づくと上記したように常用焦点距離のレンズで撮影意図を反映しやすくなる。かつて35mm、50mmでスナップ写真が量産された理由も理解できるはずだ。

もちろんもっと寄ってもいいし、数歩後ろへ退いてもいい。4〜5mは目安にしやすく、表現の端緒にできるワーキングディスタンスなのだ。(小型車の全長が4m程度、フルサイズワゴンは5m程度で4〜5mとは乗用車1台分。八畳間の長辺くらいだ)

これが興味を惹かれたものへ寄って行く、ある地点で立ち止まって撮影するということだ。10〜20mくらいの位置に立ったまま24-70mmのズームリングを回して望遠端の70mmで撮影するのとは違う。

スマートフォンは機種ごとの違いがあるしライカ判フルフレームとはアスペクト比も違うので同列には語れないが、デフォルトでは28mmもしくは35mmくらいの広がり感のある画角と言ってよいだろう。

そしてスマートフォンで撮影を繰り返している人は、スマートフォンの画角が脳内に想起できるようになっていて、撮影しようと思って被写体にレンズを向ける段階でほぼ適切なワーキングディスタンスが取れるようになっている。

もし被写体へ意識を集中させたいなら、上記したライカ判フルフレームの例よりぐっと前進してスマートフォンを構える。広い範囲を撮影したいなら被写体を見つけた位置から退いたり、どこから高い場所から見下ろしたりと移動する。

こういう直感からの判断と肉体との同期ができるなら、撮影勘がよい訳だし写真がうまくなって当然だろう。直感で移動できるのだから、画角と画角へ期待するものが言語化できていなかったとしてもわかっていることにもなる。

標準または準広角を定義する方法はいろいろあるけれど、煎じ詰めると汎用性が高い画角ということになる。人間の視野は意識のありかたでだいぶ変わるが、漠然と視線を向けるとき水平方向へライカ判フルフレーム28mm相当の広さを見ることができる。50mmは興味が惹かれるものへ意識を向けたときの視野相当だ。つまり50mmの画角はかなり狭い。

それでも50mmが標準レンズとされているのは、このくらいの画角のときの遠近感描写が人間の感覚にもっとも近いからだ。35mmの遠近感描写でさえ人間の感覚より誇張されて大げさになる。

視野と画角、視界の遠近感とレンズの遠近感描写。これらの塩梅から50mm程度を標準、35mm程度を準広角とカテゴライズしている。35mm、40mm、45mm、50mm、55mm、60mmとそれぞれ違いがあっても、これら以上以下の焦点距離より画角と遠近感描写の特性に汎用性が高いとされているのだ。(私は45mmがもっとも肉体とシンクロさせやすい)

スマートフォンのデフォルトの画角がやや広めな理由はわからない。たぶんスマートフォンの使用実態からしたら、このくらい広めのほうが扱いやすく、[場の状況を整理したうえで説明]する用途が主になるだろうと考えられていそうだ。

いずれにしても標準または準広角だからといって、汎用的であってもいつでも何に対しても標準的に使える訳ではなく寄り退きが前提になる。こうした寄り退きがあたりまえになっているだけでもスマートフォンユーザーはすごいのだ。

場末にある当サイトを見つけたくらいの方なら、ズームレンズをつけていようとどんなカメラを使っていようと装着レンズの画角が頭に入っていて、直感から即ワーキングディスタンスを適切化できるだろうと思う。

そして当サイトの読者は30〜40代がもっとも多いとGoogleが言っていて、これを信じるなら標準ズームで写真をはじめた方々で、直感即撮影の最適化に至るまでそれなりの経験を踏まれたのだろう。

ただし、これより以前の人々や35〜50mmくらいのレンズ1本でしばらく撮影をした人とは明らかに経験の内容が違う。どちらが良い悪いの話をしたいのではなく、感覚を支える肉体の生理からして違いが生じてしかるべきなのを指摘している。撮影勘など、たったこれだけで表現と直結する感覚は随分違うものになる。

農業をやっておられる方は土を見ればさまざまなことを把握できるが、私には水はけの良し悪し程度しかわからないのと同じだ。

スマートフォンでよい写真をいっぱい撮影している人は、世の中にあふれるカメラユーザー向けの[写真情報]だけでなく[写真とは何か]の意味とも無縁で、撮影行為や写真をもっと別の何かとして捉えているのではないか。一眼レフやミラーレス一眼を持ち歩く人とは撮影の意味がそもそも違っていても不思議ではない。

でも写真は理屈をたくさん知っている人より撮影した人が数段偉いのであって、撮影結果の写真だけで評価されるべきものなので、この記事のテーマ「スマートフォンで写真を撮っている人の腕というか感覚が立派なカメラで撮影している人のそれらより上」という事態だって発生する。

何より直感即撮影の最適化は重要で、その第一歩が表現意図=目的に合わせたワーキングディスタンスの最適化だ。被写体を見た瞬間に体が動いて最適化される状態のことだ。これは特定の画角を持つ1本のレンズで鍛えられ。交換レンズをたくさん持っていたり、ズームレンズをごくごく当たり前の存在として使える現代の撮影者にとって忘れらがちな点だ。

重要なのは[1本のレンズ]云々そのものではなく[表現意図=目的に合わせた最適化が直感で可能]になっているかどうかだ。直感で最適化できるなら、意図と目的もまたはっきりしていることになる。

ズームレンズを悪者にするつもりはない。ただし画角とともに遠近感描写の特性が無段階に変わり、当然変わってしかるべきワーキングディスタンスが曖昧になるズームはうっかりしていると撮影意図と目的=写真表現が曖昧になりがちだ。撮影意図と目的が曖昧だから、曖昧なワーキングディスタンスで被写体に向かっているとも言える。

直感から最適化された動作をあたりまえに取れるスマートフォンユーザーは正しいのである。「直感に対して素直に気負わず撮影」して、素直な正解が導きだされるくらい正しいのだ。

© Fumihiro Kato.
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・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なる人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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