「オリンパス映像事業を売却」の報から考える

オリンパスはデジタルカメラを中心とする映像事業を分社化して、投資ファンドの日本産業パートナーズ(JIP)に売却すると報じられた。私は経済の専門家でもオリンパス社内の事情に詳しい事情通でもないので、いろいろ思うところはあるがそういった話をする資格はない。だが「いろいろ思うところ」について、かつてユーザーだったこともあるので話をしたいと思う。

オリンパスは一貫性でオートフォーカスの波に乗れず、デジタルで規格ありきに硬直した。

オリンパスのカメラ部門は二つの異なるものを選択することを許されない状況にあった。

この二つをどうしても「いろいろ思わざるを得ない」のである。スチルカメラとしての4/3(Four Thirds System)とm4/3を中心としたオリンパスへの雑感だ。

私はオリンパスについて当サイトに次のような記事を書いている。以下、直近のものから。

オリンパスE-510を持ち出した話/2019-09-29

一周回って4/3なんて話はまったくないけど/2020-01-29

道に迷いいつかの道なのか/2020-01-29

m4/3はどうなるんだろうね/2019-01-28

機材に見切りをつける前提で機材を買う/2018-04-27

このほかにもいくつかオリンパスや同社のカメラに言及している記事があるし、古くなりりすぎて削除したものもあるが、タイトルを見てもわかるように私はオリンパスに対して厳しい態度を示してきた。これもいろいろ思い、考えてきた道のりの一端だ。

上掲の記事を読んでもらえばわかるが、私はフィルムからデジタルの移行期に4/3(Four Thirds System)機を使用したし、90年代のある時期(当時はキヤノンユーザーだったが)フィルムカメラのOM3、OM4は「カメラはこういうことでいいんだよな」とさえ思った。OM3、OM4への畏敬の念があればこそ4/3機を試してみたのだ。

「カメラはこういうことでいいんだ」。つまりOMシリーズの小さなボディとレンズには必要十分が余すことなく詰まっていた。凝縮である。

ここでOMシリーズが行き着いた地点OM4について説明する。

OM4は最大8点のマルチスポット測光機構を持っていた。これは単体露出計のスポットメーターが搭載されているようなもので、測光露値を記憶させ複数回スポット測光を行った結果を演算して露光値を決められるシステムだった。スポット測光を持つカメラは存在したが、ここまで測光と露光値決定の過程と結果を極めたのはOM4のみだろう。

かなり過剰な機能ではあるし、どこまで使いこなすか撮影者のスタイルと能力次第でもある。そうだとしても露光値の決定で撮影者が意図を反映できるのが本筋というOM4のコンセプトは明快であったし、オリンパスの開発者は写真をわかっていたし、必要十分が余すことなく凝縮されていたと言える。

OM1から4までヒエラルキーによる差別化とか陳腐化といったものと基本的に無縁で、必要によってボディを選択するシステムという立場だった。そしてOM4に至っても、OMシリーズのモータードライブやらファインダースクリーンは共通に使用できた。設計と開発の思想に一貫性があり、この美点は後にオートフォーカス化の波に乗れなかった原因にもなっただろうと推察される。

OMシリーズと言えば米谷美久(まいたに よしひさ)さんであり、米谷さんなくして巨大化していたライカ判カメラの小型化はなかったか、小型されるまでに時間がかかっただろうし、停滞していたオリンパスのカメラ事業はそのまま衰退していたと思う。なぜこのように思うかと言えば、1972年のOM1発売から1984年のOM3、1987年のOM4の快進撃を見ていたうえで当時の空気感を肌で感じ知っているからだ。

1960年代の10年間オリンパスに限らず後発の他社ふくめハーフ判が普及するが70年代に入ると人気に陰りが出て、この頃M42マウントの一眼レフの開発に失敗した同社はかなり危機的な状況にあった。ハーフ判で一眼レフシステムまで構築していたが、いまいち本流ではなくオリンパスに先進性のイメージは薄れていた。平たく言えば貧乏くさくなったのだ。

どん底にあったオリンパスを第一線のメーカーに復活させたのがOM1だった。開発者の米谷美久さんはオリンパスペン(フィルムハーフ判)の発明者であるし、前述のようにOMシリーズを開発したオリンパス中興の祖でもある。オリンパスのカメラ事業は米谷美久さんによって近代化の基盤が築かれ、デジタル化以後も小型軽量をウリにして[Pen]の愛称を使いまわしていたのだから未だに米谷イズムを利用していると言える。

ただし「利用している」のであって、フィルムハーフ判のオリンパスペンやOMシリーズと4/3(Four Thirds System)やm4/3の間には大きな断絶または溝があると思う。これは4/3機を使用してm4/3は選択しなかった経験に基づく私の感想だ。米谷美久さんを個人崇拝する必要はないし、OMシリーズまでのフィルムカメラとデジタルはまったく違うのはわかっているが、企画から製品化の筋の通し方を間違えたまま修正の機会を逸して(修正の余裕すらなく)今に至った点を指摘したい。

4/3(Four Thirds System)規格が制定されたときからしばらくオリンパスとコダックは4/3型(約17.3mm×13mm)イメージセンサーこそデジタルカメラで使用するセンサーとしてベストサイズであると言っていた。実際は大型センサーの歩留まりの悪さと、大型センサーをハンドリングする技術の困難さが4/3規格を生んだ訳で、これは規格制定の2002年時点では現実的問題解決策のひとつだった。

しかし2008年のm4/3規格制定までに4/3型イメージセンサーの説得力はかぎりなく低下していた。

何に対しての説得力低下だったか。

表現力で4/3型より大きなフォーマットに差をつけられたままだった。そのうえAPS-C判と4/3(Four Thirds System)機のボディサイズは大差なかった。誰も4/3(Four Thirds System)だから多少画質に問題があってもいいとか、ボディサイズで特にアドバンテージがなくてもかまわないとは思わなかった。

4/3(Four Thirds System)機はフォーマットの小ささゆえに最後まで光学ファインダーが使い物にならなかったし、画素あたりの受光体のサイズが小さいゆえにダイナミックレンジがあまりに狭かった。またフォーマットが小さく同一画角を得るのに必要な焦点距離が他より短いことで、絞りによる被写界深度のコントロールの幅があまりに狭い。

絞りによるコントロールは別として、4/3(Four Thirds System)機の反省に立った出直し規格がm4/3であった。

ところが後々無視できない影響力を持つようになるスマートフォンやアクションカムにあった写真や動画への新たな提案がm4/3(Four Thirds System)にはなかった。

寄り道ながら、スチル撮影での絞りによる被写界深度のコントロールについて書く。

絞りのコントロール幅が狭い問題に対応すべくサードパーティー含めF1.2、0.95といった大口径レンズが発売されているが、イメージサークルが小さいゆえに大口径化へのハードルは低くても、わざわざこの手のレンズを選択しなければならない不自由さはつきまとう。絞りによる被写界深度のコントロールが必要なら、4/3型イメージセンサーより大きなフォーマットを選択したほうが話が圧倒的に早い。

ライカ判フルフレームでは一般的な開放値F1.8〜4くらいのレンズで得られる絞り値と被写界深度の変化を、4/3型(約17.3mm×13mm)イメージセンサーを採用する4/3(Four Thirds System)・m4/3では前述のとおりF1.2、0.95という別枠製品で実現することになり、それでも準広角から中望遠域で変化の量が少ない。

「これはこういうものだ」として使えばよい話でしかないし、中判でライカ判フルフレームと同じ絞りの効果が得られないからといって憤慨する人はいないだろう。4/3型(約17.3mm×13mm)イメージセンサーなら、被写界深度が深いことで恩恵を受けられる分野の撮影をすればよいだけだ。しかし、どんな撮影にも不自由せず欲求不満に陥らない[カメラの常識]のようなもののメートル原器がライカ判フルフレームなのだから、4/3(Four Thirds System)・m4/3はいつまでも被写界深度の深さをとやかく言われる。

とともに、オリンパスは4/3型(約17.3mm×13mm)イメージセンサーこそデジタルカメラで使用するセンサーとしてベストサイズと言い切ってしまったし、ライカ判フルフレームや APS-C判と同じ土俵で存在意義を説明し続け、あらたな分野や価値観を積極的に提案するのに失敗した。

要望があり、サードパーティーからも製品が出るくらいだからF1.2、0.95といった大口径レンズを本家も用意するのは当然だろうが、しかたないとしても同じ土俵で相撲を取る姿勢には矛盾の苦しみがともなった。

後にボディサイズを徹底して小さく(薄く)し、ファインダーの実用性を高める必要もあってミラーレス構造のm4/3規格が制定されたが、それでもスマートフォンやアクションカムに等しい提案はなかった。むやみに高画素化するのは正解と言い難いとしても、4/3型(約17.3mm×13mm)イメージセンサーでは画素数を増やすのも容易ではなかった。取り回しのよさで他を圧倒するというセールストークはあったものの、ではメリットは? への本質的な解答をオリンパス自体が見失ってはいなかったか。

他に言いようがなく、オリンパスは取り回しのよさを主張し続けていなかったか。

4/3型(約17.3mm×13mm)イメージセンサーを使うカメラの存在意義は、ライカ判フルフレームや APS-C判と背比べして本領を発揮するものと私には思えないのだった。

軽量コンパクトであることは、フィルム時代のOMシリーズが証明したように圧倒的なアドバンテージを持つ。私だって機材を小さく軽くしたいけれど、いまのところm4/3では思うような撮影ができない。他の人もそれぞれのメリットとデメリットでm4/3を評価しているはずだ。はっきりしているのは、積極的にm4/3を選択する人よりスマートフォンやアクションカムに期待する人のほうが多かったことだ。

くどいようだが、m4/3にどれだけ写真や動画への新たな提案があったか、その提案に説得力はあったかだ。

APS-Cフィルムの規格が普及していたか疑問だったとしても、デジタル一眼レフ初期の標準的なセンサーサイズがAPS-Cだった。その後実用化されたライカ判フルフレームは過去から延々と続く規格のうえにある。中判やAPS-C判でさえ、なにかとライカ判フルフレームと比較される。4/3(Four Thirds System)と4/3の出直し改良版のm4/3なら尚更に既存フォーマットにないものを提案できなければならなかったし、それはスマートフォンやアクションカムくらい画期的な違いでなければならなかった。

これからもオリンパスがm4/3規格で引き続き開発を続けるなら、十年一日の取り回しのよさの主張に止まらない新たな価値観の創造を期待したい。なぜなら、そこにお客さんは多くなかったのだし、期待している人もすくなかったからだ。お客さんを十分に獲得できず企業経営を圧迫する要素になっていたため映像事業は分社化、売却に至ったのだ。

この期待と願いは私に限ったものではないだろう。面白いものが出てくれば振り返る人はかならずいるはずだ。そのシステムに釣り合うか別としてもすでにかなりの数のレンズがラインナップされ、現像ソフトはRAWフォーマットに対応しているのだからポッと出のカメラとは明らかに違う。しかし、新たな価値観を問う余裕があるのかここ数年の成り行きを見ると心配が募る。

正直なところ、いまさらオリンパスにm4/3以外の第二の選択肢を用意できるとは思えない。他のフォーマットのシステムカメラをつくれるなら、とうの昔に実現していただろう。複数の選択肢を並行させられず、選択と位置付けで失敗したまま袋小路に入ったのだ。

選択、発展。提案、説得力。これらをOMシリーズから振り返ってみようと思う。

OM1からOM4へ至るOMシリーズは、当初ユニットを自由に入れ替えられるボディ構造を持つカメラとして発想された。ファインダーとボディを分割するだけでなく、個々の機能・機構までユニット化して取り替えられるシステムだ。

ユニット構造ではハッセルブラッドが先行していたが、さらに多様なユニットを用意する交換機能ボディとも言える新機軸は精度や設計の自由度で実現性に乏しく「宇宙からバクテリアまで」をうたうOM1のシステムへ方向転換する。方向転換ではあるが、カメラボディすらシステムを構成する一要素として企画された。

と同時にシステムすべてで圧倒的な小型化が実現された。ユニット化を捨て凝縮へ舵を切ったのだ。

ブツ撮りやポートレイト含む「宇宙からバクテリアまで」撮影した人は存在しなかっただろうが、システム全体が軽量小型であったのは他にないメリットであったし、(現時点で振り返れば万全でない部分はあったが)OMシリーズの基本思想や設計は一貫性と建て付けのよさがあった。そういう一眼レフシステムは他になかった。

ここまでは理想通りだった。

だが1980年代に一眼レフのオートフォーカス化が進行すると、小さなボディ内を徹底的に整理整頓して機能を凝縮していたOMシリーズにオートフォーカス用機構を押し込むのが難しくなり、外付けしようとしても高速かつ精度の高いオートフォーカスシステムはボディ一体でマウントを通じてレンズと通信する方法へ早速技術の潮流が移行していた。

OMシリーズの一貫性からはずれたオートフォーカス・全自動カメラの別ルート(レンズマウントは共通)をOM707で提案したが成功したとは言いがたい。キヤノンT80と同じアイデアのカメラで、どちらも売り上げが悪く失敗作とされがちの機種である。

キヤノンは後にFDマウントを捨て、一眼レフシステムをEOSへ大転換した。ニコンはFマウントのまま力技でオートフォーカス化させた。ペンタックスもまたKマンウトを拡張して乗り切った。オートフォーカス化の先鞭を切ったミノルタは、AF初代機α-7000で過去のマウントやシステムと決別していた。

OMシリーズの一貫性を維持してオートフォーカス化は困難だった。だが新たなシステムとOMを共存させる手法、二つの異なるものを選択することはカメラ部門に許されなかった。そして、これによって1980年代後半から2002年の4/3(Four Thirds System)化までオリンパスのシステム一眼レフは時間が止まったのである。

時間が止まったオリンパスのシステム一眼レフは4/3(Four Thirds System)として蘇った。

ところが4/3(Four Thirds System)登場から今日までの日々で、写真とは何か、いつどうやって撮影するかが激変した。この写真と機材をめぐる状況の激変にさらされ続けたのが2002年登場の4/3と2008年登場のm4/3だった。

APS-Cやライカ判フルフレームと比較してどうだこうだと言っているうちに、従来型のユーザーとともに相手はどんどん先へ行くし、先へ行った相手は振り返りもしなかった。こうして従来型のユーザーが大半を占める世界で居場所を確保できないままだった。

4/3(Four Thirds System)とm4/3が追うべきだったのは従来型カメラではなく、写真と機材をめぐって激変する潮流のほうだったのだ。オリンパスのシステム一眼レフの時間が止まったときとは、まったく違うニーズでまったく違う撮影をしたい人たちへ4/3を訴えかけるべきだったろうし、m4/3に至ってはいつまでも従来型のユーザーを囲い込むことことだけでよかったとは思えない。

4/3(Four Thirds System)とm4/3はOMシリーズと決定的な違いがあった。

オートフォーカス化で出遅れたまま時間が止まっていたオリンパスはシステム一眼レフのデジタル化へすんなり進める訳がなかった。そこで4/3型(約17.3mm×13mm)イメージセンサーをデジタルカメラで使用するセンサーのベストサイズとして4/3(Four Thirds System)を提唱してデジタル一眼レフに参入した。前述したように当時は問題解決の方法として間違っていた訳ではない。

ただし余力がなく、それでも起死回生のためデジタル化を急がざるを得なかったゆえの選択であり、OMシリーズの規格のままオートフォーカス化が困難なため他社のようにボディ機構をデジタルで共有化できなかったゆえの割り切りと諦めと言えよう。

それでも4/3(Four Thirds System)が夢見ていたのはAPS-C判からの置き換えや共存だった。だから従来型のユーザーの囲い込みに腐心し続けた。

これもまた繰り返しになるが、m4/3で出直す2008年までに4/3型ベストサイズ論は行き詰まっていた。

4/3(Four Thirds System)が現実的な解のひとつだった時代は2008年までに終了していたのだ。センサーはドッグイヤーで進歩していたし、そのときの事情で採用された方針つまりカメラや写真の本質と言い難いものだったのだから役割の寿命が短かくてもしかたないだろう。

企画から製品化の筋の通し方を間違えたのである。

またそのときの事情で採用された方針なのだから、過去とはがらりと様相を変えた写真事情に対しても説得力のある提案ができるはずがなかった。

それでも開発部門は4/3(Four Thirds System)の枠組みのなかに独自性を打ち出そうとしていた。

m4/3が登場する2008年までの期間では、一眼レフで初のフルタイムライブビューを搭載したりファインダーの飛び出しデザインを廃したE-330(2006年)は攻めの姿勢が強烈な機種だった。E-330はデジタルカメラでこそ可能な機構と撮影とは何かを問うカメラで、ここからいくらでも4/3型センサーを使用する意義を提案する機種を開発できた可能性がある。

だが先代E-300とE-330は主にデザインで従来型のユーザーから否定的に受け止められ、売れ行きが芳しくなかったため後継モデルが出ることはなかった。以後オリンパスはいかにもカメラっぽい外観の従来型のユーザーを追う製品を現在まで開発・販売し続けている。m4/3で出直す際に、懐かし路線でフィルムハーフサイズ判のペンのイメージに回帰させたのは象徴的なできごとだった。

2015年にオープンプラットフォームカメラOLYMPUS AIR A01が登場するが、これが4/3型センサーとm4/3システムの本質を問う試みの最後だったのではないか。ソニーに同類DSC-QX1が既にあったが、試みとして無駄だったとは思わない。

E-330を正統進化させられず(むしろ他社の他のフォーマットにエッセンスを吸い取られ)、OLYMPUS AIR A01によって新地境地が切り開けなかった2点で、オリンパスは保守的にならざるをえなくなったのではないか。海のものとも山のものともわからない、存在しているかどうかも知れない新たなニーズ探し、m4/3の真の居場所探しなんてやっている余裕がなくなっただろう。そしてm4/3への投資が絞られたり止められたりして現在に至った。

OMシリーズを語るとき「オリンパスの開発者は写真をわかっていた」と書いたが、4/3型(約17.3mm×13mm)イメージセンサー採用、E-330での挫折、OLYMPUS AIR A01の試みの失敗と順を追って写真がわからなくなっていったのかもしれない。写真がわからなくなっても続けざるを得ず、保守的に硬直した状態を一貫性とは呼べまい。

企画から製品化の筋の通し方を間違えたまま修正の機会を逸して(修正の余裕すらなく)今に至ったと指摘し、OMシリーズとの違いを説明した。

また、オリンパスはオートフォーカス化でOMシリーズと別立てのシステムを開始して並存ののちに移行させる手法が取れなかった。デジタル化では4/3(Four Thirds System)と他のフォーマットを並存させる手法が取れなかった。オリンパスのカメラ部門が二つの異なるものを選択することを許されなかったことで、どちらも修正の機会を逸して(修正の余裕すらなく)今に至っている。

オリンパスのカメラ部門が二つの異なるものを選択することを許されなかったのは、企業がどれだけカメラを開発・製造する部門に投資できるかの問題である。

これは事情と背景が違えど他のシステム一眼レフを開発・製造・販売するメーカーに共通したテーマと言える。

以前の記事で指摘したように、システム一眼レフが売れに売れた時代はどうかしていたのだ。さらに現代ではスマートフォンできれいな写真が撮影できるうえに、プリントだけでなく様々な共有方法が提供されているのだから古色蒼然としたシステム一眼レフが必要とされる分野は限られている。

こうなると現在絶好調のカメラメーカー(カメラ部門)も、近い将来どうなるかわかったものではない。オリンパス同様に写真と機材をめぐる状況の激変への対応、そのうえで何に集中するか問われている。写真と機材とメーカーが20年前の感覚と同じである訳がないし、スマートフォンとアクションカムが興隆してきた10年前からも大きく変貌しているか、変貌しなければならないところに来ていると言える。

© Fumihiro Kato.
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・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なる人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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