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センスとは『1 物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの。「文学的なセンスがある」「センスのよくない服装」「バッティングセンス」2 判断力。思慮。良識。「社会人としてのセンスを問われる」』ということらしい。
そう言われても正体がわからないのがセンスだ。たとえば「写真センスがある」とはどういうことなのか。
センスは「解決策が常に用意されている」と言い換えられると私は思う。
提案とか提示とか、現実の場に結果を具体的に差し出せなければセンスがあるとは言えない。提案や提示は問題や要求に対する解決策である。口でうまく言い繕う能力もセンスかもしれないが、ちゃんと問題や要求に対する解決策になっていなければならない。
では、用意万端な人がセンスある人なのか? それでいいのか? と言われそうだ。
ファッションセンスがある人は、服を着ることについていろいろ気付く人である。自分の体型、顔貌、髪型、合わせる服、靴などについていろいろ気付くのである。
もっとも気付いて分かっているのは自分の体型と顔貌だ。ポジティブな面とネガティブな面について観察と考察が行き届いている。だから気付けるのである。
肉体にまとうファッションは、肉体のポジティブな面を生かしネガティブな面をカバーし場合によってはポジティブに転化させる解決策である。ファッションセンスがある人は、好みの傾向と別傾向の服を着る必要があるときも的確なチョイスができる。常に解決策が用意されているからだ。
このようなファッションセンスがある人は、自分の肉体と自分が着る服だけでなく、他人が着る服についても的確に提案できる。これまでの経験と考察から、「解決策が常に用意されている」のである。
「この色とこの色を取合せるのは難しいが、このようにすると効果的な配色になる」というのも解決策だ。色の取り合わせや微妙な丈の調整などは、美的直感のように言われがちだが、神がかった無から生じているのではなく、観察と考察の結果の引き出しから生じる解決策なのだ。
気付く人は過去からの観察と考察があったうえで気付いている。気付けて、解決できるからセンスがよいことになる。
では、「写真センスがある」とはどういうことなのか。
写真センスがある人という場合、知識が豊富な人ではなく、よい写真をコンスタントに撮影している人を指して言うだろうし、よい写真とは気が利いているとかアイデアに満ちているとか独自であるとか洒脱であるとか過不足なく意図が反映されているとか、傾向はいろいろあれど凡打に終わらない写真である。
みなさんは写真をとても意識的に撮影しているだろうから合点がいったと思われるが、凡打や使い物にならない写真で終わらず手応えのある写真を撮影できるとしたら、一期一会の撮影に登場するポジティブな要因とネガティブな要因を手なずけて我が物にする「解決策が常に用意されている」からだ。
どんな撮影にも大なり小なりリカバリーしなくてはならない何かが登場する。場合によっては絶望的な要素ばかりということもある。そうだとしても、自分の写真かつ一定水準以上の写真にするには「解決策が常に用意されている」かが問われる。
ファションセンスがある人は、自分の肉体、他人肉体、服や靴や小物などにいろいろ気付く人だった。気付けるのは、観察と考察が行き届いているからだった。ファッションにぼやんりしている人は気づかないし、こういう人は真面目に考えることがないので観察と考察が行き届かず気付けないのである。
写真センスがある人は、自分の傾向、自分の技能、被写体、外的要因、その他撮影に関わることにいろいろ気付く人である。気付けるのは、観察と考察が行き届いているからだ。こうして引き出しが多くなり、突発的な出来事に対処可能になる。
センスは生まれついてのものでもあるし後天的なものでもある。
観察と考察は後天的なものだが、先天的に観察と考察が不得手な人がいる。また解決策はひとつではないし、人それぞれ選択する策が違い、その策によって実現される結果には優劣がある。引き出しの多さは後天的要素であるし、何を選択するかに先天的要素が関係している。
写真センスがある人は比較的早い段階にセンスを発揮する傾向がありそうだが、カメラを手にした初日からヒットを打ち続けるわけではない。どれだけ過去の作品を見てきたか、どれだけ場数を踏んで経験を蓄積したか、写真以外の教養が十分にあるかなどなど観察と考察の材料を得ているところが重要ではないか。
© Fumihiro Kato.
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