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以前も記事にしたように「線が細い、太いレンズ」という表現は、数値化されている解像度や一目瞭然の二線ボケなどと違い主観的な言い回しで、どのような現象を言っているのかはっきりしない謎の用語だ。しかも、どのような現象を指しているか定義したうえで「線が細い、太いレンズ」について説明する人はいない。これでは評価としては箸にも棒にもかからない「お気持ちを察してくれ」という態度だ。いきなり「線が細い、太いレンズ」と言いだす人はこの程度の人物なので、したり顔の評価に耳を貸す必要などない。そもそもカメラやレンズのメーカーは「線が細い、太いレンズ」と口にしていないのだ。
レンズの線の細さ、太さとは何を見て評価しているのだろう。
この表現を使い始めた人が定義していないので類推する他ないが、次に挙げる古いレンズで撮影した画像から読み取れるものがありそうな気がする。Mamiya C330 105mm F3.5、XP2をラボ現像の写真だ。クリックすると一辺3000ピクセルの画像を見ることができる(フィルムに付着したホコリは修正していない)。
「線が細い、太い」は階調描写にまつわる表現ではないかと私は考えている。これについては以前にも記事で指摘済みで、この画像では材の導管とボケとなって描写されているツタに顕著にみられる特徴こそ階調描写と関係した「太さ」だろうと考えられる。
線の細さ、太さは解像度と関係しているように思われているかもしれない。空間周波数が高い線の集まりを解像しているから細く見え、解像できず団子になっているから太いという訳だ。しかし「レンズの線」が語られる文脈では、解像度の話と別のものとして扱われている。解像度は高いが線が太いなどと書かれていたり、解像度は数値で表して評価しつつ線の細さ、太さについて述べられているのは皆がしっているだろう。したがって「レンズの線」は解像度以外の何かを言い表わそうとしていると考えられる。
分解能が高いだけでは解像感がよいと感じられないのであって、階調をありのままに近く、段つきでなく連続的に描写していなくてはならない。「線が細い、太いレンズ」という評価は解像度と無関係ではないが、階調再現性に重点を置いた評価軸なのだ。なお解像度と解像感は別物であり、数値で表現されものが解像度で、見た目上の評価が解像感である点を忘れないでもらいたい。前掲のC330で撮影した写真は見方によってはシャープだが、材の導管周りの階調が失われて見え、導管そのものが太く見える。背景のボケの中にあるツタは白い紐のように写り、植物らしいディティールが失われている。
球面収差が大きかったり内面反射が多かったり、構成枚数が多い、硝材が悪いなどによって画像が曖昧になりすっきりした像が得られない現象をレンズの抜けが悪いと言う。抜けが悪いレンズは分解能と階調再現性がともに悪く階調再現性が劣る。ソフトフォーカスレンズは階調再現性を悪くしてディティールを省略するレンズで、たとえば顔の皮膚感、皺を描写しないようにするレンズだ。C330の105mmは現代の感覚では収差などにより抜けが悪いのだろうが前掲の写真では特に問題視するほどではない。
ここまでを整理する。
・レンズの分解能と階調再現性がともに高次元でバランスしているとき線が細く、両者のバランスが低レベルであったりバランスが取れていないとき線が太い写りになる。
・レンズの抜けが関係して、線が太いレンズとされるものがある。
! 階調を十分に再現できない場合、再現できるレンズと比較して「線が太い」と表現されると考えてよい。二つ以上のレンズと比較したときの相対評価だ。
模式図で階調再現性と線の細さ、太さを説明する。
この世に存在するディティールは白と黒の二値で構成されたものではない。ディティールは明度のわずかな違いが複雑に入り混じりながらかたちづくられている。微妙な明度の違いが表現できないレンズでは、明暗の差が団子になった塊として描写される。あるレンズがディティールを描写できるのに、別のレンズが同条件で明度の差を団子=塊でしか表現できないなら、後者は線が太いレンズである。
模式図のように階調再現性が劣れば、いくつかの階調がまとめられて団子状態になり、結果として物体が太く見える。これはフォーカスがきている部分だけでなくボケにも言える。線が細いとされるレンズでも、階調の幅を狭める操作=コントラストを上げれば相対的に線が太く見える。わかりやすくするため模式図では暗部で太さを表しているが、明部が太ればこれもまた線が太く見える原因になる。前掲の画像の背景のツタは、明部が太った状態だ。
ここで陰影の基礎を振り返ることにする。
目の前に円柱があり、こちらから見て完全逆光の方向から光を浴びているとする。こちらから見える円柱は暗い陰になっているだろうが一様の暗さではない。背後からの光が立体に回りこむため境界域は明るく内側の中央がもっとも暗くなる。
模式図では誇張されているが実際の光の回り込みはわずかなものものだ。しかし、このわずかな幅にある階調が描写されないなら円柱は太く見える。こうした条件ではレンズの線の細さ、太さが明確になるので空を背景にした柱やパイプ、電線等を撮影したときレンズの線の細さ、太さが際立つケースがある。
勘がよい人は薄々気づいているかもしれないが、同じレンズであってもカメラ側の解像性能と階調再現性能が違えば撮影結果が変わり、ここに線が細い、太いの違いが生じる。DxOが公表しているレンズの格付けは、カメラが変わると各検査項目の数値が変わる。この変わり方は画素数の差に比例して変わるのではなく、各項目まちまちな変わり方をしている。カメラが変わればセンサーが別物になり回路も変わるのでまちまちになるのだ。つまりカメラが変われば撮影結果が変わり、線が細い、太いの違いが生じる好例と言える。
線が細い、太いという評価は冒頭にも書いたように主観的なもので、客観的な数値を基準にしたものではない。さらに相対的な評価なので、AレンズとBレンズを比較してBを太い描写と評価したあと、BとCレンズを比較してBを細い描写のレンズと評価されるケースがあり得る。さらにカメラの画素数をはじめとする特性と密接に関係しているため、あるレンズをAカメラに装着した場合とBカメラに装着した場合では線の細さ、太さの評価が割れるケースがあり得る。
評価する人によって見解がぶれるうえに、限られたレンズ同士の主観的な比較で、レンズとカメラの組み合わせで次第で変わるのがレンズの線の細さ、太さだ。したがって誰かがレンズついて線が細い、太いと言ったとしても、条件が曖昧なままなら鵜呑みにはできないのだ。
では、使用するカメラの画素数が変わることによってレンズの線の細さ、太さがが変わる例を挙げる。
先日の記事でたまたまAI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dを検査した画像が、上記の条件を満たしているので比較に利用する。
上段右がD810でAI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dを使い撮影した画像、
左がD850でAI AF Micro Nikkor 105mm F2.8D、
下段はD850でAF-S VR Micro-Nikkor 105mm f/2.8G IF-EDを使い撮影した画像だ。
画像をクリックすると長辺5000pixelの画像が表示されるのでまじまじと細部の違いを見てもらいたい。AI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dはデジタル化以前のレンズとはいえクラシックと言うほど古くないレンズで、条件がよければ現代のレンズと遜色ない写りをするが、細かなことを言い出して現代のレンズと比較すると線が太めではある。
まず元画像。これは拡大表示されない。
次は前掲の画像から切り出して比較した画像(拡大表示できる)。
線の細さ、太さで評価するなら、D810+AI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dの組み合わせが太いと言える。シャープネスの違いと同時に、枝や葉や果実の塗り分けが大雑把に表現されているし、下地のマチエール(絵肌)も表現が甘い。拡大しなければわからない差だが違いは違いだ。もっとも線が細いのは、D850+AF-S VR Micro-Nikkor 105mm f/2.8G IF-EDで目が痛いくらいマチエールが再現されている。枝の塗り割けや筆の運びは階調の明暗で成り立っているので、線が太い描写では枝はただの「棒」のようだし、線が細い描写では画家が表現した通りの「枝」になっている。赤い果実もただの赤い「丸」か質感のある表現かの違いがある。この他の箇所も同様に言える。
もしD850との組み合わせがなかったら、AI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dを線が細いと評価する人がいるかもしれない。また同レンズが発売された1993年からデジタル撮影に最適化されたレンズが発売されるまでは、線が細いレンズの筆頭株だったのも忘れてはならない。つまり自分にとっての線の細さ、太さは自分が使用するカメラに依存し、その他のカメラで撮影されていたりあまりに古いレビューはまったくアテにならないと言える。
この例は絵画の複写だったが、自然界を撮影しても同じだ。階調を緻密かつ正確に、段つきでなく連続的に描写できれば、物体内部にディティールが表現でき抑揚がつく。これは模式図で示した通りだ。ディティールが表現できないなら塊でしかない。遠くに小さく見える樹木の幹や枝を撮影したときそれぞれの分離感が乏しく、かつ内部の明暗差を表現できないなら太い塊に見えるだろう。解像性能と階調再現性能が高度にバランスしているか否かの違いによって、だいぶ見た目が違う写真なる。
ここでもう一度、C330+105mm F3.5で撮影した写真を掲載する。
線の細さ、太さをは解像性能と階調再現性能のバランスで成り立つものなので、解像しているが線が太いという場合がある。解像しているが線が太い場合、線や細い物体に描写が太い特徴が端的に現れる。この写真の、材の導管の描写に端的に表れている。乾燥した木材なので導管がはっきり浮き出ているとしても、本来ここに微妙な階調が存在しているので単純な明暗二値に近い写りにならないはずだ。この画像ではペンで線を描いたような導管の描写になっている。文字通り「線が太い」。
シグマのレンズは線が太い(階調描写に難がある)傾向があり、有名どころの70mmマクロはかなり線が太い。このレンズはカミソリマクロと言われているが、線が太いことで見かけ上の解像感が高く感じられ、これが「切れ味」の元になっている。チャート撮影で評価するある種の解像度テストでは、線が太いことで点数を上げるものがあるのだ。このようにペンで線を描いたような描写が好きな人にとっては驚嘆する描写でも、そうではない人にとっては大した性能ではないレンズというものが存在している。階調描写ではコシナ・ツァイスのMilvus 135mm F2が相当なレベルにあり解像度も相当高いが、こうしたレンズはカミソリとは呼ばれない。
毛髪や動物の毛並みでも、線が細いレンズとの描写の違いが目立つ。解像しているので毛髪や獣毛がきちんと分離できるが毛髪や獣毛一本一本の表現に差が現れる。光線が一本ごとの毛髪・獣毛に描く小さな明暗差を階調として描写できるか、ほとんど二階調、三階調のような大雑把な描写になるかの違いによって生じる差だ。線が太いと実際以上にざらっとした感じで、ピアノ線やテグスのような質感として描写される。
C330のレンズで撮影した写真でもわかるように、画像をモノクロ化してみると線が太いレンズでは漫画の線描による毛髪表現に近い状態に見える。細部と細部で構成される面が平面的とも言える。線が太いレンズは劣ったレンズに分類されるのが常だが、このような特性を利用して絵画的な写真に仕上げることもできる。ヘアカットのお店で宣伝用の写真を撮るなら線が細いレンズのほうがよいだろうが、力感がある絵画的表現では線が太いレンズほうが向いている場合もある。
線の細さ、太さは主観的な評価かつ相対的なものであった。またレンズとデジタルカメラの組み合わせ次第で写りが変わり評価が変わる可能性が高いものでもあった。C330のレンズはあまりに古く、またデジタルカメラに装着できないが、AI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dは先ほどのように条件を変えて検証が可能だった。ではAI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dを現代のレンズとの比較で線が太いと言い切ってよいのか、である。
次の画像はD810+AI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dの組み合わせで撮影したススキの穂だ。この写真を見て線が太いレンズと感じるだろうか。まず掲載されている倍率で見て、その後画像をクリックして長辺5000pixelの画像で検討してもらいたい。
どの倍率で見ても線が太いと感じる人がいるかもしれないし、ここまで綿毛が描写されているなら普通ではないかと感じる人がいるかもしれない。この記事はレンズの線の細さ、太さをテーマに書かれているし、細さと太さについて検討してもらいたいと私が書いたので気になっているだけで、そうでないなら線がどうこう感じないまま素通りするのではないだろうか。また「レンズの線」は相対評価なので、比較する具体的な対象がないと検討することもできないのだ。
絵画の複写で行なった比較でAI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dは現行のマイクロ(マクロ)より線が太かった。この傾向は間違いないが、条件が異なれば(パープルフリンジなどで減点されるかもしれないが)実用上問題ないレンズとしてよいかもしれない。線の太さが気にならないシチュエーションがある、とも言える。
ただ撮影している私は、私が知っている他のレンズとの比較で前掲の写真に線の太さを感じる。線の太さを感じるのは背景の暗部の落ち方と、ススキの茎の描写だ。暗部ががっつり落ちている点と茎の描写のつるりとした描写に、現代のレンズとの違いを感じる。暗部にもとうぜん明暗の差=階調が存在しているが一様に暗くなっている。ススキの茎も同様でのっぺり描写されている。どちらも程度問題の微々たる差であろうが、撮影者だから気付くのだ。主観に基づくレンズの線の細さ、太さとは、C330+105mm F3.5の例のようによほど顕著でなければ、こうしたものなのだ。そしてこれがカメラ評論家が言うレンズの細さ、太さの正体だ。
RAW現像時の調整しだいで細部のディティール暗部の落ち込みは調整できる。これもまた程度問題であるが、線が太いレンズで撮影した写真を線が細いレンズで撮影したものに近づけられる場合も多いのだ。ただしレンズの素性は消し去れないので、目的に応じて描写を検討すべきではある。
© Fumihiro Kato.
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