写真はどうやって練習したらよいのか

写真に限らずなにごとも基本の動作、操作は練習でしか向上しない。カメラの機能に頼って練習しないのではどうしようもなくダメなのだ。音楽なら楽器なり歌唱の基本を毎日なぞるし、絵画表現もデッサンや諸道具の使い方を技術に結びつけている。ところが写真は「感性だ」とうそぶいて撮っていれば上手くなるとか言いつつ、実はカメラやレンズに実装された機能におんぶにだっこでまったく基礎・基本の練習をしない人が多い。なぜ、写真だけ? と疑問すら抱かないとしたら、これまで体系だてて写真の基本を身につける練習を考える人があまりに少なかったからで、初心者用の教本はカメラの構え方を最初に述べて、あとはボケだ構図だとやりはじめるものばかりだからだろう。撮影が簡単になって、なにごとも簡略化されるのはよいことしかないのだけどね。

場数とか誰かの写真とそっくり撮るとかで誤魔化さないで練習しろよと言ったところで、「じゃあ何が基本なのよ」と不機嫌に反論されがちだ。私は「意思通りに撮影するためのすべてが基本」と思っている。つまり偶然なんてものを徹底的に排除するように体の使い方を矯正するのが写真の基本で、瞬間を記録する写真ではどんなに偶然性を排除してもちゃんと何割かの偶然が舞い込むから心配することは何もない。そして、他人が描いた絵や漫画を見て「下手くそ」と感じる感性が自分の写真に向かい、いかに自分が下手くそかはっきり自覚するためにも練習は必要なのだ。

どっかの誰かさんが撮影する様子を見て常々気づくのは、風景からブツ撮り、ポートレイトに至るまで、被写体の発見・お膳立てにはじまる段階で完成せさたい画像と一致する立ち位置、アングル、ワーキングディスタンス、アングルを見極められていない人があまりに多いことだ。カメラを構えた人を見て「ああ、あの人はこんな写真を撮りたいのだな」とわかるだろう。そんなとき、「その画角のレンズ、そのアングルではいくらファインダーを凝視しても山(とか花)は動いてくれないだろ」と感じた経験はないだろうか。ファインダーを凝視しても構図を最適化できず、少し移動するもののまた最適化できない人は、そもそも肉眼で被写体を発見できていないと言える。自分では最適化されていると信じている人も、以下の練習をすると撮影結果に愕然とするかもしれない。

誰しもが通る道だが、カメラに触れてから1年経ってもこんな経験を繰り返す人は画角とパースペクティブの関係が肉体化できていない。これは音楽なら正確な音程すら取れていないし、音程のはずれを意識すらできないレベルで、絵ならデッサンが狂いまくりのレベルだ。どうして1年も経って肉体化できないかというと、ズームレンズのズームリングを適当に回してどうにかしようとする撮影しかしていないので、目の中にフレーム枠がつくりあげられていないのだ。フレーム枠が肉体化していれば自ずと画角なりのパースペクティブの感覚も身につく。身についていれば、被写体を発見したりお膳立てした段階で何が撮影できるかはっきりした答えがイメージできる。ファインダーを覗いてはじめて、写り込む範囲や注目していたもの以外の位置関係、写りかたに気づくようではどうしようもない。

では、どうしたらよいかの答えは既に前記の一段落ではっきりしている。ズームレンズを使わず練習するのだ。広くもなく狭くもない画角である標準域の単焦点レンズだけであらゆるものを撮影する練習をするのだ。もちろんオートフォーカスは使わない。この中庸な画角のフレームとパースペクティブさえ肉体化していない人が多い。私は「標準レンズが苦手」という人の気持ちがまったく理解できないのだけれど、苦手だろうと得意だろうと標準レンズで撮影する練習を楽しめないとしたら、はっきり言って写真の難しさも面白さもまったくわかっていないと言える。標準域とは、画角が肉眼の視界に近いために「標準」というよりも、パースペクティプの描写が肉眼に近いのだ。標準レンズの画角は、「凝視していないが何らかの意思を持って物体を見ているときの視界の範囲」で、特に何かを見ているわけではないとき28mm相当くらいの範囲を人間は視界として知覚している。標準レンズだろうと何mmだろうと、特に何かを見ているわけではないとき相当の28mmっぽい画角と大きく乖離しているのだから、目の中にフレームがある状態にしなければ直感的に構図を取るのは不可能だ。そういう意味では28mmはとても簡単なレンズと言える。漠然とした雰囲気そのもの、意図を取り立てて明らかにしなくてもよい画角だ。

標準レンズだけで撮影をして、標準レンズの画角相当のフレームを目の中につくると、あとはレンズが何mmだろうと撮影される範囲とパースペクティブが容易に肉体化できる。標準レンズが苦手な人は、漠然と世界を見る際の28mm相当の視界と、ここからかなり狭い画角の標準レンズのファインダー像とのギャップを吸収しきれず戸惑うのかもしれない。あるいは被写体を発見した際に、50mmではパースペクティブは肉眼で見ていたままに近いのに画角がはっきりイメージできないので周囲の物体をどのように処理したらよいのかとか、手前と奥側の処理をどうしたらよいかをファインダーを覗いてから組み立てなおすから難しくなるのかもしれない。より画角が狭いレンズは肉眼で注視したものや、大きく拡大して見たいと思ったものだけを切り出すので、撮影しようと思った時点のイメージとの乖離が小さい。広角レンズはパースの誇張の迫力に酔っている間は簡単だが、雑多な要素が入り込む上に画角、遠近の描写ともに人間の生理的感覚とかけ離れているため、撮影しようと思った時点のイメージとの乖離がかなり大きい。撮影で重要なのは画角よりパースの処理ではないかと私は個人的に思っていて、パースを誇張するのも限りなく静かに見せるにもコントロールが必要で、まず肉眼に近い標準レンズの遠近感の描写を体に叩き込むことから何事もはじまると言える。

いまどきは28mm単焦点はあまり人気がないのだが、かつてはスナップの定番レンズだった。その前は35mmが定番としてスナップに使われていて、これは28mmが超広角と位置付けられ設計するのも一苦労だった時代ゆえであり、また漠然と世界を見る際の視覚に対し「やや意識を対象に向けた」ときの視界に画角が近く、ある程度マトを絞ったまとまりのあるスナップになったからだろう。35mmの画角は何か考えて対象を見ているけれど、50mmより直感的なひらめきというか「気づき」の段階の視界に近いのだ。だから周囲の状況が構図として整理されていなくても、状況説明と解釈されるし、そもそも「やや意識を対象に向けた」段階の人間は視界内のあらゆるものを解釈できていない。だが、撮影結果に現れる35mmのパースペクティブは肉眼のそれとは明らかに違う。いずれにしろ、28mmと35mmは適当に何かにレンズをむければそれなりの結果が得られることになる。標準レンズではこのようにはならず、構図への意志をはっきりさせなくてはならない。50mmは「凝視していないが何らかの意思を持って物体を見ているときの視界の範囲」で「肉眼に近いパースペクティブ」なので、曖昧さが残る未消化な構図では写真を観るものにちぐはぐさや、何を言いたいかわからない疑問符が浮かぶのだ。

ある種の人に難しいらしい50mmだが、練習なのだから好きだ嫌いだと言わず標準単焦点レンズだけで撮影をする練習が必要になる。

同時に、標準レンズで絞りに頼らない撮影をする。ISO100 絞り値はF8固定(手ブレ補正があっても当然OFF)。オート露出で露光値の補正をしないで撮影し続ける。開放のボケ味とかわかったような口をきく前に、かなり深度が深いF8であらゆるものを撮影するのだ。背景がうるさかろうと、前ボケの処理に困っても絞り値は変えない。こうした何もかもがはっきり写りつつピント位置との距離相応に小さいながらボケが生じて、写真の本質にある不自由さを嫌という程思い知らされるし、構図、アングル、ワーキングディスタンスを再考させられ、さらには自分が魅力的と直感した被写体がほんとうに面白いものかどうか客観的に写し出す。暗がりで撮影すれば、F8 1/60以下になり手ブレするだろう。これでカメラとレンズへの手の添え方、シャッター操作といったものがどれだけ雑か理解できるし、どうしたら適切な構えになるのかもわかる。この撮影はコンデジあるいはコンデジ以前の「写ルンです」で写真を撮影するような行為で、うまい人は写ルンですで撮影してもうまいし、下手な人は一眼レフ等の機能をつかってごまかした撮影でかっこだけ整えて悦に入ってるということが思い知らされる。自分にとってかなり残酷な撮影と言えよう。

この段階を経て、物体の形状と構え方の関係を身につけるステップに入る。手持ちの(可能な限り単焦点)レンズでもっとも画角が広いものをカメラに装着して、ISO100 絞り値はF8固定(手ブレ補正があっても当然OFF)で撮影する。もちろんオートフォースは使わない。このためだけに中古で少々くたびれた古い超広角レンズを買ってもよいくらいだ。私は超広角が必須の撮影をしているので15mmで常々自分の下手さを確認している。水準器等を使わず、様々な建築物や水平垂直の狂いが一目瞭然の物体を正面、斜めと角度を変えて撮影する。じっくりファインダー像を確認したり三脚を使えば水平垂直は正しくだせるだろうが、ここでは水平垂直を意識して構図を取るものの、ファインダー像を見てから5秒以内でシャッターを切るように心がける。被写体のどこを見れば水平垂直を適切化できるかに加え、奥行き側のパースが自然になるか撮影結果をPCのディスプレイで逐一点検する。またRAW現像ソフトのパース補正を使って、水平垂直を手動(完全なマニュアル補正ではなく、水平、垂直を2点で指定する方法)で正確に補正する。

パース補正を行うと、元の画像に対して補正後の画像は遠く小さく描写された方向を拡大、近く大きく描写された方向を縮小したことになる。垂直または水平に俯角・仰角だけ/左・右の向きだけにパースがついている場合は単純だが、カメラが斜めになっていれば複雑な形状に変形させ補正することになる。(以下、2:3比率の元画像と補正によってどのように変形させざるを得なくなるかのイメージ)

補正の形状がてんでばらばらかもしれないし、特定の傾向が見られるかもしれない。これが当たり前だと思っていたカメラの構え方の不正確さを表している。

まとめると、以下の撮影を上記の内容で行うだけで写真の基礎的な練習・鍛錬になる。
●標準レンズだけで撮影し続ける。
●標準レンズで絞りに頼らない撮影をする。ISO100 絞り値はF8固定(手ブレ補正があっても当然OFF)。オート露出で露光値の補正をしないで撮影し続ける。
●手持ちの(可能な限り単焦点)レンズでもっとも画角が広いものをカメラに装着して、ISO100 絞り値はF8固定(手ブレ補正があっても当然OFF)で撮影する。もちろんオートフォースは使わない。建築物を正面、斜めと角度を変えて撮影する。

 

Fumihiro Kato.  © 2018 –

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・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なり人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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