Tin machine から ★ に至る David Bowie の軌跡

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実は未だに David Bowie 最後のアルバムとなった★ Blackstar を聴き通すことができずにいる。それはあまりにつらいからであり、一曲目の★のイントロがはじまるや死を覚悟したメッセージの重さに恐怖や悲しさが湧き上がり気持ちが押しつぶされそうになる。このアルバムは David Bowie が自らの死のためにつくり、プロデューサーで長年 David Bowie の創作活動の傍にいた Tony Visconti によれば David Bowie にとってのスワンソングでありファンへの最期の贈り物であったということになる。そして David Bowie 69歳の誕生日、死の二日前にリリースされた。★のミュージックビデオはアルバムのプロモーションとして発売前に公開され、この時点では彼が肝臓ガン末期であることは公表されていなかった。しかしビデオを見れば、誰もがここに死を連想し、映像のディティールを拾い集めれば David Bowie の死についての意見表明を感じずにいられないものだった。この世の人間と思えないほど美しい David Bowie は活動の中で様々な人格を演じ続け、自らの死までを作品にしてこの世を去って行ったのだ。

このビデオに登場する宇宙飛行士はどう考えても Space Oddity のトム少佐だ。映像に描かれた彼の死体は、トム少佐を演じトム少佐に化身した David Bowie の死そのものだ。David Bowie はトム少佐以降、架空のロックスターであるジギー・スターダストをはじめ多様な人格を名乗り、多様な人格としてアルバムを制作しつづけた。Vittel のコマーシャルで David Bowie 自ら彼が演じた人格に扮して登場しているが、こうした過去の創作に区切りをつけ、ストレートな等身大の姿でロックをはじめようとしたのが 1988年に結成したバンド Tin machine であり同名のアルバムだった。このとき David Bowie は「過去の作品はもう歌わない」と宣言している。

バンド Tin machine はセカンドアルバム Tin machine II を発表して事実上の解散となり、 David Bowie は再びソロとして活動し過去作も歌うようになった。世の中では Tin machine の評価は低く、アルバム Tin machine はどうにか現在も手に入るが、 Tin machine II は長らく品切れ状態が続いている。売り上げもよくなかったが、私は Tin machine の作品を嫌いではなく、けっこう好きだったりする。

アルバム Tin machine と Tin machine II はストレートなロックアルバムであるが故に David Bowie に期待されていたものがなく不評だったとされる。ほんとうだろうか。ストレートなロックなんてカテゴライズはいい加減なもので、あまりに漠然としすぎている。誰一人としてストレートなロックを完璧に定義できる人なんていないだろう。だから気分を言い表すため「ストレートなロック」と言うのは理解できるし、自らの演奏を指してストレートか否か言うのもわかるが、あくまでも個人的見解にすぎないのである。Tin machine と Tin machine II の作風が、それ以前の David Bowie とやや異なるのは事実だけれどあくまでも「やや」の範疇にとどまっていると私は感じる。どれほどシンプルな構成のロックをやっても、 David Bowie は David Bowie であり、粗野で荒削りな方向へ振っても品がよく上質なのだった。泥臭く、田舎臭くはならないのだ。そして David Bowie らしいギミックというか仕掛けも満載だ。コンセプトを変えてもバンド Tin machine は端正で暴力的疾走感のある David Bowie の仕事なのだ。

バンドとアルバムが成功しなかった理由はバンド名を前面に出したからに過ぎず、たぶんではあるが David Bowie 名で曲を発表し新たなコンセプトであると宣言していたなら世の中の評価はまったく違うものになっていただろう。もうひとつ考えておきたいのは、Tin machine の直前は Let’s Dance の時代で、同時代の流れはグランジだった点だ。ディスコミュージックからシンプルなロックへの移行は80年代から90年代のロックの潮流とも合致しているが、ロックはロックでも世界は登場したてのグランジロックを聴きたがっていた。Tin machine の方向性とグランジロックはなんとなく似ているとしても、David Bowie の存在感はグランジロックの直情性と相反するものがあった。

David Bowie と面識すらない私はあくまでもアルバムや曲などからの印象を語るしかないのだけれど、彼は容姿が常軌を逸して美しく、しばしば宇宙から落ちてきた異星人に喩えられるし、ずっと昔にそういった宇宙人を演じてもまったく違和感がなく、何から何まで稀なる人だった。David Bowie が架空の人格演じても素のままであっても、どれほど陰鬱な曲を歌っても華があり、華麗で、端正で美しい存在だった。グランジロックの方向性を確立した Nirvana の Kurt Cobain も容姿が常軌を逸して美しい人だったが、二人は決定的に違っている。もし Kurt Cobain が自らの美しさを積極的に肯定でき、David Bowie のように他人格をやすやすと憑依させられたなら、あれほど苦しまずに済んだだろうし自ら命を絶つこともなかったはずだ。なのだが90年代は、Kurt Cobain の生身の苦しみから生じる音楽を求めていて彼をスターに祭り上げ、David Bowie のこの世のものではないような不思議で美しい存在感に共感できなかった。David Bowie の Tin machine 宣言は、まさにこうした自らへの苛立ちから生じたものだったが。

David Bowie はわざとらしく他人格を憑依させたコンセプトアルバムを発表していたのでなく、普通にやろうとするとこういう方法論に導かれるほかなかったように感じる。あまりに自然に異なる人格が憑依するので、彼はバイセクシャルであると信じられたり、ベルリンの壁の崩壊を予言した等々、時代ごとごくごく自然に受け止められ方が変わった。「導かれるほかなかった」と書いたが、ここに否定的な意味あいはまったくなく、David Bowie という人は生まれ落ちたときから、華やかな場所に立ち続けることを宿命にされたシャーマンのような人だった。いくら華々しいアレンジや舞台構成を嫌って Tin machine を結成しても、彼が舞台に立つだけで異世界が生じてしまう。これは David Bowie のコンサートを見れば一目瞭然で、観客だけでなくバックを固めるミュージシャンさえ輝く David Bowie に引き込まれているのがわかる。

Tin machine II の後、David Bowie は Black Tie, White Noise を発表する。彼の二度目の結婚がテーマとなったアルバムだ。以降、スタイルは変遷しても David Bowie の音楽は Black Tie, White Noise を引き継ぐものであると私は感じる。私生活というか生身の自分による音楽の創造だ。なのだが、ファンとしては David Bowie をただの人間とは思えず、すべてが神話か何かのように見えるのだった。こうした神話は、★ Blackstar で David Bowie 自らによって完璧に締めくくられた。時代ごとリボンを掛けてパケージして行き、「さあ、これから私は死ぬよ」と人生の最終章と人生そのものを作品に昇華させた。最初から最後まであまりに完璧すぎるため、私は「David Bowie さん、あなたはちゃっかりしすぎだよ」とどうしても言いたくなる。自らの美しさと、この世のものではない存在感を、普通はちょっと斜に構えて表現するものだろうに、ちゃっかり肯定して自然体で、しかもこれから死ぬというのに自らの棺を趣味のよい花でいっぱいに満たし、しかも黒いリボンで蝶結びにするなんて、と。

Fumihiro Kato.  © 2017 –

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・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なる人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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