カメラが売れないはスマホと関係なし

写真関連の産業に明るい話題がとんとない。はっきり言えばカメラが売れない。売れないから明るい話題が減る。なのだが、カメラなんてものはそうそう売れるものでなく、もしあれこれ売れているのが普通のように感じていたなら、あなたはカメラのデジタルバブル期しか知らないのではないか。

すくなくと1970年代から80年代にかけて、一眼レフを所有している世帯はほとんどなかった。いまどきは運動会など望遠レンズをつけたカメラが大活躍だが、前述の時代に撮影の場所取り合戦なんてものはなく、教師のうち写真趣味がある人や町のカメラ屋さんが出張してきて記録係をしていた。もちろん父兄にも望遠レンズの人がいただろうが、10歳くらいから意識的に写真を撮りはじめた私の記憶にはない。だいたいが200mm望遠なんてものは今どきの超望遠クラスの感覚の商品であったのだし。さすがに80年代になると状況は変わりつつあったけれどね。

70年代はニコン、ペンタックスあたりが趣味人の機材の花形であり、キヤノンはちょっと特殊な感じ。ミノルタは独特の雰囲気でマイナーではないがメジャーでもない不思議な位置にあり、大企業コニカあたりがご家庭用として一生懸命一眼レフの販促に励んでいて、リコーもありトプコンもあり、一方ペトリなど町工場的なカメラメーカーも頑張っていた。とはいえ、だいたいがニコン、ペンタックス。そんな時代だった。ニコンは高い、ペンタックスはお手頃とはいえ高価、この程度の世の中の認識だった。ほとんどの人が写真に対して無関心だった。一眼レフ以外のカメラを持っている世帯では、正月にピッカリコニカに36枚撮りフィルムを装填すると年末のクリスマスまでそのまんまなんてざらだった。そして制御の電子化へ移行する前に多くのメーカーがカメラ事業から撤退したり倒産した。

70年代の半ばディスカバー・ジャパンキャンペーンが浸透して旅行関連記事が頻繁に一般誌の特集として組まれ、写真雑誌でも今まで知られていなかった地方を紹介するようになり、風景写真、旅写真ブームがはじまった。大学生や若い勤労者がユースホステルに泊まって安旅をするのがイケてる、みたいな。こうした人が写真雑誌に掲載された写真のロケ地に趣いて似たような写真を量産。で、このときのカメラは一眼レフで80-200と35-70mmのズームといった具合。ここにきて写真は趣味人のしみじみした楽しみから、もうすこし一般的なところへ向かい、カメラメーカーも大いに普及機やズームを売った。で、お堅いニコンからオート露出前提のコンパクトで安価な一眼レフが発売されたり、それ用のEレンズがラインナップされたりだった。現在、老境に差し掛かっていたりご老人であったりする風景写真命の方々は、まさにこの世代だ。

しかしご家庭のカメラは固定焦点またはオートフォーカスのコンパクト機であり、フィルムを消化しきらず年越しするといった様相はけっこうまだまだ普通だった。「写ルンです」が発売されたのが1986年で、いまどきはお遊びでフィルム撮影するため珍重されているようだが、当時はカメラを買うほどでもないが写真を撮りたい場面のためにあった。うっかりカメラを家に忘れてきたから出先で写ルンですを調達するというのはほとんどなかった。ようするに、どの世帯にもカメラがあったわけではないのだ。

世の中ではオートフォーカス化が一眼レフに及び、需要を掘り起こしてレンズ交換式カメラが売れるようになったと言われている。しかし、私の実感はそうでもない。たしかにピント合わせが自動化されてカメラが売れたのは確かだが、まだまだカメラを所有していない世帯は多く、一眼レフは普及機でさえ専門性が高いものだった。また当時の私はまったくオートフォーカスの必要性を感じなかったし、一般の人も別にオートフォーカスでなければ写真が撮れないという雰囲気ではなかった。80年代半ば、私はすでに仕事をしていたのだが出入りしている会社の社員の方がオートフォーカスではない一眼レフを業務で使用していたのだから間違いない。先進性のあるものとして、あったら便利だったのは確かたが世の中がオートフォーカス一辺倒になるのはずっと先の話だ。と同時に、会社員になってはじめてカメラで撮影するといった人も多かった。では、いつからカメラがやたら必需品のように言われはじめたかだ。それはデジタルカメラが登場して「1000万画素なんていらない説」がとなえはじめられた前後で、爆発的にデジタル一眼レフやコンパクト機が売れて、メーカーも機種も増えたように感じるのだ。

その後のことは皆さんご承知の通りで、カメラがドッグイヤー的進化を遂げて1年、2年でがらっとモデルチェンジするようになった。ニコンF1なんて1959年から1974年まで生産されていたのだし、F2は1971年からたぶん1980年、F3は1980年から2000年までで、この間にF4、F5と併売されていた。ところがデジタル一眼レフが3年更新されないなら、やんややんやの悲鳴やら怒号が響き渡ることになる。

デシタルバブル期のエポックメーキングな出来事としてニコンがD800Eの登場(2012年)が挙げられる。「1000万画素なんていらない説」は下火になっていたがちろちろ燃える熾火状態で、ここに3630万画素・ローバスレスカメラとしてD800Eが登場して「いらない説」は完全鎮火に至った。そして、フラグシップと高画素追求モデルふたつの流れを高級機に生じさせた。「1000万画素なんていらない」は意味を持たなくなったが、3630万画素か5000万画素級かの別を問わず上限はこのくらい、あとは2500万画素程度というひとまずの目処がたったのだ。D810が登場した現在でもD800Eは余裕シャクシャクであるし、5000万画素級機が現れても輝きを失っていないのはすごいことだ。だが同時に、以前にも増して旧来のレンズをデジタル対応させなくてはならなくなり、これはニコンに限らず高画素機を追随させた各メーカーも同じだった。

D800Eが現役の第一線で使用できるということは、さまざまな機能を含めここで打ち止めにしてよかったのだ。打ち止めという言葉が進歩を否定しているなら、デジタルカメラに求めらられているものを整理する時期に入ってもよかったと言い換えよう。これでバブルが沈静化すればよかったのだが、市場からの要請があったのだろうし各メーカーは機種を増やす一方だった。やれ大型センサーのミラーレスだ、レンズ交換式なんとかだ、と。一眼レフは重厚長大化せざるを得ないため購入に躊躇している潜在的ユーザーがいるはず、という目算のうえでのミラーレス。実際にミラーレスで大型センサー搭載のレンズ交換機が欲しいという人がいたし、ね。望んだものが発売されて買ったのかわからないけれど。

そう、買って、使っていたかだ。なんだかよくわからないまま、デジタルならなんでも出来そうと妄想が膨らみ「欲しい」と言ってみる。だが買ったならよいほうで、でも使うのは36枚撮りフィルムを何ヶ月もいれっぱなしにするのとそうそう変わらない頻度だった。使い込んでいる人は多いだろうが、広く世の中と世界を見回したらカメラの出動日数はたかがしれていたということではないのか。

以上は統計など一切考慮せず、あくまでも私の感覚だけで語ったストーリーだ。デジタルカメラのバブル現象は、テレビがブラウン管から液晶へ大転換して買い換え需要が生じたのとも違う、初物家電にぱっと飛びついたような現象かと思う。写真はデジタル化されたことで、撮影する労力もコストも1/10くらいに(大げさではなく)なっただろうし、撮影技術もだいぶ簡単なものになった。で、こういったニーズが一通り満たされ、カメラなんてものにガツガツしなくても別に困らないやとなったのがここ数年なんだろう。スマホがカメラを蹴落としたというより、そもそも写真なんてこの程度のもので十分となったと。スマホの登場がなかったら、まだカメラの需要はあったかもしれないけれど、これだってデジタルバブルの終焉をほんのすこし先延ばしにしただけだろう。

アマチュアしかも初心者なんだけど耳年増の人が、しばしば連写枚数が多いだの少ないだの言い、フォーカスポイントを何百点用意しろ、センサーはあーだこーだと言っているけれど、これはバブル後遺症なんだろうなと思う。特定分野の専門家が連写枚数に期待するのは理解できるが、下手な鉄砲数打ちゃ当たる式の連写至上主義者はいったい何を撮影しているのだろうか。ほら若い人が特定の年代の人をバブル世代と言って、その生態を笑うでしょう。これと同じで、デジタルバブルにすっかり染まって写真の本質なんて置いてきぼりなんだろうし、いつまでもバブルの気分が抜けないのに違いない。で、すっかりメーカーは疲弊していると。

一年やそこらでロートルになる新製品カメラだったから、いくら数を売ってもかつてのように利潤があがらない。開発コストだって馬鹿にならない。しかもレンズを更新しないとカメラ側の性能に追いつかない。メーカーがここまでやっても、交換レンズはサードパーティー製を買うという人は多くカメラを売ってレンズで儲ける価格設定は崩壊しているし。こういっちゃなんだが、メーカーは「アマチュアしかも初心者なんだけど耳年増」の言うことなんて聞かずに研究と開発に精進してもらいたいものだ。自動車だって1年でフルモデルチェンジしないでしょう。ん、言い過ぎたかな。

Fumihiro Kato.  © 2017 –

Unauthorized copying and replication of the contents of this site, text and images are strictly prohibited. All Rights Reserved.

ただただ写真 こちらも見る?

 

 

 

連絡 CONTACT

Profile

F.Hiro.K
加藤(文)文宏 / Fumihiro Bun Kato a.k.a Hiro.K
写真家・作家 / Photographer Author
・北海道北見市生まれ。
・大学卒業時までに詩集「無題あるいはサラバ」、同「Cadenza」発表(共に絶版、在庫なし。「Cafebza」別装丁私家版のみあり)。
・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。
・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他)
・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。
・不二家CI、サントリークォータリー企画・取材、Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告、武田薬品工業広告、他。アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材、MIT Museum 収蔵品撮影 他。
月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。
・長編小説「厨師流浪」で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」他、小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。
・獅子文六研究。
・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。
・各メディアにおけるスチル撮影。
・オリジナルプリントの製作、販売。
・JSAHP正会員
Translate »