絞り値なんて3つあれば用は済む

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まじめな話ではなく戯言です。

ボケは空気遠近、空気遠近法のシミュレーションである、と書いた。つまり省略ではなく背後に存在するものがはるか遠くにあり広大な無の空間が広がっている暗示だ。「結果的に」背景を省略していると言い換えてもよい。バーチャルな、写真ならではの虚構である。被写体そのものが薄いピントの中、ダイナミックにボケへ溶け込む写真があるが、これなどまさに空気遠近という衣をまとった「バーチャルな、写真ならではの虚構」だ。

私にもボケ表現に凝った時期が(当然)あった。しかし前述のようにボケの正体を知ったときから、ボケへのロマンチックな夢がさーっと醒めた。背景などがボケた写真を撮らなくなった訳ではないが、冷静に戦略的にボケを扱うようになった。結果として、ボケが主題ともなる写真を撮影しなくなった。他に方法がないとき以外は。宗旨替えする可能性はあるけれど。

ボケは絞り値とワーキングディスタンスでコントロールすることくらい写真を意識的に撮影している人は知っている。このうちワーキングディスタンスは足を動かすだけだが、最大のボケを得る開放F値はお金を払わないと手に入れられない。したがって開放F値が小さいレンズはロマンであるとされている。半段明るいレンズをつくるため、設計も、レンズの素材も、工作精度もハードルが十数倍高いものが要求される。価格が高く、レンズが大きく重くなるのも当然だ。ボケの量こそ写真の価値であると考える人がいても別に構わないし、誰だって一度はハマるロマンなのだが、私は明るさはそこそこのレンズでいいや、いいんじゃない? と思う。特殊な用途や条件でなければ。

ふた昔以前レンズの絞りは一段刻みだけで半段ごとクリックがないレンズが多かった。現在はボディー側から絞り値がセットできることもあって1/3段を正確に設定できたりする。ありがたいことだが、私はレンズの絞りなんて3つあればいいかなと思うことしばしばだ。開放から一段、F8、F22。開放F値によっては開放から一段、中庸な絞り値、最大の手前にある絞り値。

こんな私は、屋外の風景など撮影するときF8以外の中途半端な絞り値にどんな意味があるのだろうと「雑な疑問」を抱くのだ。屋外撮影に限った話ではなく、ストロボを光源にしているときも。どんなときでも開放から一段、中庸な絞り値、最大の絞り値があれば済むかなと。シャッター速度の上限が1/500、1/1000だった時代ならいざしらず、しかもデジタルカメラは感度設定が自由自在になって微妙な絞り値を選択せざるを得ない状況がとことん減っている。いや、フィルムを使っていたときも大概は3つの絞り値で済んでいた。レンジファインダーのライカを使う際、F8などの特定の絞り値を中心にするでしょう? 足を使って前後に移動してボケの塩梅をするのは容易だけど、一点に立ったままま半段刻みのボケ量を想定する高度な技能は私にはない。だったら黙って写ルンですでも使っていろと言われそうだが、写ルンですはライカ版フルサイズだし安いし軽いしよいものだ。

私は超広角が大好物で、F8(最小と最大の真ん中くらい)にしておけばパンフォーカス、目の前にピントを置いたときもピントが及ぶ範囲がよい。目の前にピントを置いていくら絞り込んでも、被写界深度が及ぶ範囲は限定されるし。かつて標準レンズは絞り効果が多彩であると書いたけれど、これだって足を使ったり、構えを低く高くしたりした上で開ける、絞る、絞り込むの3つで足りる。望遠系のレンズだって事情は変わらない。なにより中途半端なボケはどんな画角のレンズでも見苦しい。見苦しくなるのは、写真の意図が中途半端な被写界深度によって濁るからだ。レンズの焦点距離ごと絞りの効果は変わるけれど、F8(暗い長焦点距離の場合は最小と最大の真ん中)で得られるボケの量は腑に落ちるというか、焦点距離相応にピントが前後に回る。見せるなら見せる、見せたくないなら徹底して見せない、だ。

ライカ版300mm F2.8なんてレンズで女性を撮影するブームがあったけれど、あれはなんだったのか。スポーツ報道用の高価なレンズをたくさん売りたいメーカーが後援した宣伝だったのか。タレントの日程を押さえるのに苦労して、ロケ地の選定や移動が制限された中でカットのバリエーションを増やす手段だったのか。いわゆる大人の事情? という真面目半分、おちゃらけ半分の感想はさておき、ロケに出るのはロケ地に意味があるはずだ。ボアッと大きなボケを背景にしたポートレイトを撮影したくなる気持ちはわかるけれど、この背景って何を意味しているのだろうと考えてしまう作品が多い。漫画でいうところのスクリーントーンのような模様だろうか、それとも撮影者の気持ちを象徴するものなのだろうか。この人物を見つめています、という語りなのだろうか。(300mm F2.8に限らず)こうした表現でも、すっと入り込める作品もあるのだが。荒木さんの作品とか。

ちょっと脱線したな。写真ならではの虚構を最大限に利用したほうが作品づくりの幅が広がるが、自覚なしに他に追随するのは恥ずかしいし中身がない。こうした観点からも、開ける、絞る、絞り込むで十分ではないのか。真ん中がF8のレンズであるときF6.3でなければならない理由があるのかと。

写真をはじめたばかりの人には、あまり複雑に考えてあれこれ絞り値を変えず、絞りは大中小だけで撮影するのが仕事は早いし、上達もはやいよと私は助言している。「これを他人にお勧めはしない」と書いたけれど、騙されたと思って一度は試してみたほうがよいと思うのだ。

わかっている上で極論を書いた戯言だと、再びお断りを書いて終わる。

Fumihiro Kato.  © 2017 –

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連絡 CONTACT

・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なり人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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