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「いきなり美意識だなんて」と言う人、言わないが心でくすくす笑い出す人がいるのを知っている。しかし私がサン・アドに在籍していたとき美意識という言葉、あるいは美意識を意味する他の言葉を耳にしない日はなかった。写真を撮影していたり文章を書いている人は、たぶん私が美意識について書いても前述のような反応はしないはずだ。そう願いたい。
誰にでも美意識は存在している。どの服を選ぶか、ここにも美意識が働く。どのように生きるか、ここにも美意識が働く。しかし美意識をどうしても譲れない一線として人生の隅々へ一貫させている人は稀だ。かく言う私も、隅々までは無理だ。だが、隅々までの人が存在していることを私は知っている。
すくなくとも私は自分の手で生み出すものには、生み出しはじめるときから生み出し終えるまで美意識を貫徹したいと考えている。拙い私は、美意識を作品に反映しきれないかもしれない。それでもできる限りのところまで貫徹させたいとぎりぎりまで粘る。なぜならここまでやらなければ、死んでしまいたいくらい後悔するのがわかっているからだ。
私にとっての災厄の時期は、広告代理店の仕事にどっぷり浸からざるを得なかった期間で、何がどうだったかは関係者が存命中なので書かないが美意識は否定され心を相当に病んだ。「いきなり美意識だなんて」と言う人、言わないが心でくすくす笑い出す人たちの中にいて、何もよいことはないのだ。もし心当たりがある人は、とっととその場から立ち去ろう。お金さえあれば生きられる人は別にして、心当たりがある時点であなたは個々人の美意識が尊重される場でなければ生きられないはずなのだ。
Fumihiro Kato. © 2016 –
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