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写真は絵画よりグラフィックデザインに近いものがある。その場に存在する物体を適切にフレーミングする行為が、ビジュアル素材と文字要素などを組み立てあげる作業に似ているのだ。たとえばグラフィック広告。写真またはイラスト、キャッチコピー、ショルダーコピー、ボディーコピー、マーク等を、グラフィックデザインは「何を、どのように伝えるか」「重要な要素をいかに引き立てるか」「見る者の視線と意識を、どうやったら隅々まで誘導できるか」といった観点でまとめる。
写真を撮影する際、いちいちあれはここ、それはこっちと熟慮していてはシャッターチャンスを逸する。心惹かれたら、ファインダーで状況を見て、即シャッターを切り、これで「何を、どのように伝えるか」「重要な要素をいかに引き立てるか」「見る者の視線と意識を、どうやったら隅々まで誘導できるか」といった問題が解決されていなければならないだろう。無理だろうか。いや、こうやって様々な人が作品を残しているのだから可能なのだ。
写真における構図の話をするとき、黄金分割など理論を滔々と語る人がいるが、もちろん無駄ではないとしても、被写体との出会いからシャッターを切るまでの時間内に黄金分割など考えていたら日が暮れてしまう。被写体を目視し、ファインダーを覗いたとき、ほぼ完全に意図通りの構図になっていなければならないだろう。これはセンスの問題であり、理論武装して臨んでも大した成果は得られない。センスは生得的な天賦の才である側面と、場数をこなして得られる側面がある。どちらも欠かせないものだ。
ここまでが撮影時の話。ここから写真を練り上げる話へ移行する。
シャッターを切った時点までの脳内イメージが、そのままデータやフィルムに像を成すわけではない。もちろんイメージに近づけるためライティングや露光量(絞り値やシャッター速度の組み合わせ)などを決めるわけだが、最後のツメはRAW現像や焼き付けで行うことになる。現像(または焼き付け)は時間が許す限り、あるいは延々と試行錯誤可能だが、何を目的として、どのような結果を得たいかが明確化されていなければならないだろう。何をどうするかは、シャッターを切った時点までの脳内のイメージの再現である。そして求める結果は、「何を、どのように伝えるか」「重要な要素をいかに引き立てるか」「見る者の視線と意識を、どうやったら隅々まで誘導できるか」の各要素を満たしたいところだ。
ここでもセンスの問題に行き着く。自分以外の人が撮影した写真を好き嫌い問わず観て、考えること。グラフィックデザインを観て、考えること。これらが欠かせないように思う。
Fumihiro Kato. © 2016 –
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