盗撮という語が独り歩きしている

かつてスナップという写真ジャンルがあり、同時に「盗撮」と呼ばれるものもあった。このとき盗撮と呼ばれたのは風呂場の盗み撮りなど、あきらかな犯罪行為に限定されていた。だが、いまどきは公共の場でカメラを構えることそのものが盗撮と呼ばれかねない事情がある。

写真撮影に対して、肖像権、写されない権利、公表されない権利というものがあると周知されるにいたり、スナップと呼ばれるジャンルは事実上消滅した。このスナップ消滅の時期と、公共の場でカメラを構えることそのものが盗撮と呼ばれかねなくなった時期は同時だった。報道目的に限定すれば、公共性があるなら個人の諸権利と撮影する権利・公開する権利が同等また上回るとされてはいるが、天気を伝える動画ですらモデルを用意しなければならないケースが増えた。信号待ちで汗を拭う人、大雨のなか傘をさして歩く人などなど。もちろん突発的な事態かつ緊急を要する場合はこの限りではないが。

としても、報道機関は大資本を背景にしているため訴訟リスクが多少あったとしても撮影し公開することに躊躇いが少ない。これが良いか悪いか別にしてもだ。また「報道」の腕章をつけていれば、警備員や警官に見咎められてもどうにかするだろうし、どうにかなる確率が高い。いっぽう記録写真、芸術写真などを撮影する写真家の単独行では、大手報道機関のように振る舞うのは不可能だ。したがって、盗撮か否か本来であればケースバイケースのはずで十羽一絡げにできるものではないはずだが、最大限に写されない権利、公表されない権利を尊重することになる。最大限に尊重すれば、撮影しない選択が残されるのみになった。これが現代だ。

写されない権利、公表されない権利を否定したくはない。SNSに日常的に放流されるスマートフォンによって撮影された電車内の変わった人の姿などに、私はハラハラした気持ちを抱き、そんなもの公開するなよと思う。木村伊兵衛氏が電気ブランに酔いつぶれた人を撮影した写真がスナップの名作なら、電車内で酔いつぶれている人をスマートフォンで撮影するのもまたスナップだ。しかし前述のように時代が違う。現代は写されない権利、公表されない権利を行使しようにもできない人を撮影してはならない時代なのだ。

かつて夏の光景として海水浴場を撮影するのは何も問題がなかった。海水浴客の恥ずかしい姿をわざわざ撮影するのでなければ、だ。しかし現代では「光景」を撮影しようとしても、すわ警備員、すわ警察官の出動となる。ここに至るまでに、本来の意味における盗撮をし公開する連中が跋扈した事情がある。そして本来はケースバイケースだったはずのものが、今では李下に冠の喩えのようになり、さらに一般人の常識として海水浴場にカメラを持ち込むのはやめろとなった。海岸線狙い、水平線狙いで望遠レンズを装着したカメラを構えるだけでしょっ引かれかねず、いくら意図を説明しても「非常識」とお説教されるのがオチである。

海水浴場は典型であるが、あらゆる公共の場で「光景」を撮影していても写り込む人々を気にしなければならなくなった。撮影禁止が掲げられた場だけでなく、どこでも。写されない権利、公表されない権利があるから当然であるが、盗撮という言葉が独り歩きしている感がある。撮影者の自己防衛かつモラルと別に、第三者つまり当事者以外の人にもこうした場合にすべからく「盗撮」を想起したり、「盗撮」として咎める傾向が強い。あきらかな犯罪行為でなく、撮影者や被写体となった人でなくても「盗撮だ」と咎める。私がSNSに投稿される写真にナニカを感じるのも当事者外からの感想であるが、写されない権利、公表されない権利の侵害が明確なときに限定される。十羽一絡げに、公共の場での撮影を盗撮呼ばわりするのは行き過ぎではないのか。

かくして演出写真全盛の時代になったのだが、なぜか外国人観光客と一目でわかる人々が街頭をしげしげとルポ的に撮影しているのを誰かが咎めるケースを私は見かけたことがないし、これらの人々がカメラを構える姿勢に神経質になっている人も見かけたことがない。スタビライザー装備で撮影している姿は、かなり異様というか本格的に撮影する気まんまんなのだけれど。トラブルはどこかで起こっているかもしれないが、近年は外国人観光客がこうして撮影した日本の街頭の、もちろん歩行者の顔がはっきり写り込んだ、もっと言えば意思決定権がないとされる子供を含む動画がYouTubeに多数アップロードされている。公共の場での撮影を十羽一絡げに「盗撮」と言う人は、この手の動画も盗撮呼ばわりするのだろうか。観光客がいちいちすべての歩行者に許諾を取っているはずがない。パチカメはダメで、ムービーはOKなのか。まさかそんなはずはあるまいに。

私は過去から幾度となく、肖像権とパブリシティー権について撮影され公開される側の立場から別のサイトで意見を述べてきた。写されない権利、公表されない権利を尊重しなくてはならないとする意見だ。モデルを雇うにしても、撮影意図、公開方法を契約として残さなければならないとも書いてきた。なのだが、やはりもやもやするものがある。権利の尊重にもやもやするのではなく、十羽一絡げ論や盗撮という語を拡大解釈している人に理屈で説明しても無駄だろうとげんなりしつつもやもやするのだ。

 

Fumihiro Kato.  © 2016 –

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Profile

F.Hiro.K
加藤(文)文宏 / Fumihiro Bun Kato a.k.a Hiro.K
写真家・作家 / Photographer Author
・北海道北見市生まれ。
・大学卒業時までに詩集「無題あるいはサラバ」、同「Cadenza」発表(共に絶版、在庫なし。「Cafebza」別装丁私家版のみあり)。
・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。
・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他)
・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。
・不二家CI、サントリークォータリー企画・取材、Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告、武田薬品工業広告、他。アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材、MIT Museum 収蔵品撮影 他。
月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。
・長編小説「厨師流浪」で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」他、小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。
・獅子文六研究。
・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。
・各メディアにおけるスチル撮影。
・オリジナルプリントの製作、販売。
・JSAHP正会員
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