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私が中判をこの手にしたのは21歳。ここから30年が経過したと思うと、いまだに元気な初代中判Mamiya C330によくがんばったと言ってやりたい気持ちになる。その後、RB67、RZ67とやはりMamiyaばかり使用してきて、ひょんなはずみで645 PROがもうすぐやってくることにまでなった。この間、Hasselbladと無縁だったのはシステムが高価であったばかりでなく、MamiyaのRB67が仕事カメラとして過不足なく、過不足ないどころか必要性の高いもので、どうしてもHasselbladでなければならない理由がまったくなかったからだ。でも国産勢としてBronicaがMamiyaの隣にあったにもかかわらずRB67選択したのは、漠然とした理由と歴然とした理由があったからだ。
漠然とした理由は、C330を使いはじめて手と目が憶えたMamiya的なものがしっくりきていたからだ。Bronicaを使わず、Mamiya的なもの、Mamiya独特のものを感じ取れたというのも変な話だが、助手仕事で触れたことのあるHasselbladとまったく別の機械であると既に理解はしていた。私にとってHasselbladは、あのボディの中にナニが入っていて、そのナニがどのように組み合わされて動いているか感じとれないカメラだった。もちろん金属ボディを透視できるはずはないが、C330は暗箱の外側に主要な動作部が露出しているから機構がはっきりわかるし、RB67も購入前に触れたときからボディ内の歯車やスプリングの動作が手に取るようにわかった気がした。Hasselbladだってどのように動作しているか理屈は知っている。ただスウェーデン語で話しかけられちんぷんかんぷんみたいな、どこか他人のようなところがあったのだ。
では、Mamiya選択の歴然とした理由は何だったのか。これはBronicaの故障神話とMamiyaの頑強さの違いだ。Bronicaの故障率がほんとうに高かったのかわからないが、助手仕事をする以前からBronicaは壊れやすいと聞いていたし、これを完全に否定する人と今まで出会ったことがない。Bronicaが機械式から電子制御に舵をきった端緒である645のETRについて悪い話は耳にしていないが、6×7のGSは発売直後から故障に関する噂をこれでもかと聞かされたのだ。当時カメラの電子化に世の風評はきびしく、エマージェンシーのためCanon newF-1も高速域のシャッター速度だけ機械式制御が残されていた。だから先進性を優先したGSは風当たりが強かったのだろう。
MamiyaはMamiya6(ニューマミヤ6のことではない)でピント調節をレンズの繰り出しでなくフィルム面を前後に移動させる機構を考え出したり、プレスではユニット構造を実現したり、二眼レフでレンズ交換システムを採用するとか、先進性や奇抜さは群を抜いている。これだけキテレツなことをしたら、壊れたり、動作が不安定になったりするだろうと思うのだが、まったくそんなことがない。ではBronicaはとなると、Hasselbladを超えた6×6機を作り出そうと開発がはじまり、Hasselbladにはない機能が山盛りでこの世に産声をあげた。凝ったつくりで、洗練されたカメラを目指した。いまどきならカメラの操作として普通でも、デジタル以前のHasselbladでは延々と普通ではなかったあれこれが、1950年代末の時点ですべて実装されていたのだ。ところが、シャッターが壊れる、これら新機軸が壊れるといった風評が当時からあったようだ。なんだろう、この違い。よかれと思ってコマを進めると、進めたところが弱点になるBronica。強みとなり、信頼につながるMamiya。
そんなMamiyaでもRZ67は一部で不評だった。どこが不評だったかといえば、電子制御そのものでなく「電池が切れたら嫌だね」という点。いつもスペアの電池を持ち歩いていれば済む話だし、RZ67が撮影中に致命的な故障に陥った話は聞いたことがない。GSとRZの大きな違いは、フィルムバックが回転するか否かくらいだろう。なのに、「電池が切れたら嫌だね」程度で済んだのがMamiyaで不公平というか理不尽というか、明暗がはっきり分かれている。
ここ数ヶ月、私のフィルム撮影率が微妙に上昇し、手元に居残り組だったC330が30年の経過をもろともせず昨日買ってきたみたいにバリバリ働いてくれている。そんなところに、Bronica ETRsi と75mm、150mmがありますよという話がまず舞い込んだ。たしかにC330のレンズ群は設計が古く、ETRsiのほうは現代的といってよいのだろうけれど、フィルムに期待するのはここではないので話を保留した。そうこうしていると、Mamiya 645 PROと75mm、150mmがありますよという話が舞い込んだ。自分でも不思議なのだけれど、この話に気持ちがくくくっと動いた。「645 PROって電子制御で、先のことを考えると鉄くず、プラくず、ガラスくずになるかもな。ああ、でもアイレベルの中判も悪くないかも。ん、するってえとETRsiでもよいのかな」と思った。人生ではじめてBronicaとMamiyaの直接対決がはじまったのだ。
直接対決の結果は冒頭に書いた通りで、645 PROに私は軍配を上げた。645 PRO にデジタルバックがつけられる訳でもなく、両者の中古品としての程度は同等で、いろいろ違いはあるだろうけれどレンズの性質だって天と地の差はない。いずれも正規の修理が不可能で、私(または姪)が最後のオーナーだろうと思ったとき、これまでのMamiya体験から得た頑強さに賭けたのだ。Bronicaを愛している方には気分の悪い話かもしれないけれど、カメラとの付き合いってこんなものかなと。そして気づけば、いまのところ私がもっとも付き合ったカメラメーカーはMamiyaと。
人それぞれ撮影機材に対して求めるものが違う。私にとって最悪の事態は、さあ撮影というときカメラが壊れていることだ。すこしくらい何かが劣っていても、壊れない、壊れてもリカバリーできる点が重要になる。これを貧乏性と言われても否定はしない。ただ、故障したら困る、悪夢まで見るくらいだった期間があまりに長かった。
Fumihiro Kato. © 2016 –
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