中古フィルム機のコストや価値やら

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ひところ鉄くずと化していたフィルムカメラの中古市場価格がじわじわ持ち直し、オークションでは存在価値をはかるかに超えた異常な価格がつくようになった。だがオークションで競り落とす際の心理は写真愛好家の現在の気持ちを反映したものだろうから、異常と断定するのは間違いなのかもしれない。とはいえ、程度と価格のバランスがよくないようには思う。信用できる中古品扱い店の、程度に対するランク付けと価格のほうがだいたいにおいて適正で、フィルムカメラに限ってはもう掘り出し物はないくらいに考えておくべきだ。

ただし理屈ではそうだとしても、以前どうしても欲しかったが買えなかった機種を手にいれたいなどコレクター的な願望を抱えた人がいて、この人たちの気持ちは痛いほど理解できる。このような人と、実用だけ考えている人が入り乱れた相場価格なのだ。で、今日は実用だけ考えて記事を書くことにする。

実用ってなんだろう。正直なところデジタル機を通過した感覚からフィルムを振り返ると、中判だろうと大判だろうとAPS-C機が出力するデータに太刀打ちできないところがあり、たぶんデータ化したフィルム画像を見たらげっそりする人が多いと思われる。だいぶ以前に中国製6×6カメラのホルガがブームになって口が悪い人は「あんなものガキのおもちゃだ」と言っていたけれど、デジタルを前にしたフィルムはこの程度のものだ。あのときホルガブームを馬鹿にした人は、フィルム機に舞い戻らないほうが吉だろう。つまり、限定的な実用性しかない。余計なお世話かもしれないけれど。

数千円で買えるホルガで、ホルガ画質を珍重するくらいの気持ちでフィルムと向き合ったほうがよいのだ。人それぞれ許容される画質、求めている調子は違うけれど、比較的新しいハッセルのボディとレンズを手にいれるより、劣化度がひどくない古めのお安い機種を買ったほうがデジタルとの落差というか違いが引き立つと言える。ハッセルは故障したとき修理代が馬鹿にならない。壊れたからといって捨てるには惜しいだろうし。いずれにしろ、鮮鋭度であるとかコントラストであるとか画質に関してフィルムに期待するより、どうやってもデジタルでは再現できない部分を求めるためのフィルムなのだ。

これでだいたい適正相場を理解してもらえたと思う。ライカブームの際は警鐘を鳴らせなったので、今回はガーンガンガンと盛大に鐘を鳴らしておきたい。

で、70年代後半からカメラの電子化に拍車がかかるのだけれど、現代の完全電子化カメラと比較して過去のカメラは回路・パーツが脆弱だ。これが最近まで中古の電子化カメラに値段がつかなっかった理由で、中古購入時に電子制御系が万全でも数年後に精度が怪しく、さらにまた数年後にお亡くなりになっても不思議ではないと考えておくべき。念のため蛇足だけれど、十数年後ではなく数年後だ。ここでワンポイントとして、中古購入時にカメラの仕様とされているバッテリーの規格を確認することと、使用時以外はバッテリーを外して保管するのが重要。液漏れしやすい、液漏れしたら回路が死ぬ、回路が死んだら鉄くず、である。機械制御のものは、ブロニカのように修理できる人が限られる機種もあるけれど、いがいと壊れないし壊れてもなんとかなる率が高い。枠と蛇腹とレンズで構成される大判が、もっとも壊れないようにだ。現状品渡しとされる中古品なら、プリズムやミラーが腐っていたり、光学ガラスが曇っていたり、致命的箇所が疲れていたりするものは買うべきではない。この段階で、見当をつけていた中古品の価格よりずいぶんお金を出さなければならなくっているのではないだろうか。これこそ存在価値をはかるかに超えた異常な価格なのだ。

こうしてフィルムカメラを手にいれても、デジタル撮って出しのように画像まで手にいれられるものではない。フィルムを買う手間とお金については見当をつけられるはずなので、その後だ。暗室で引き伸ばしをするかスキャンしたデータから画像をつくるか問わず、それなりに手間とひまがかかる。なのでRAW現像を厭う人はフィルムに向いていない。また写真屋さんにプリントまでしてもらったりデータをつくってもらうとなると、フィルムをわざわざ使う価値というか面白さがまったくない。しかも撮影すればするほどお金がかかるのがフィルムであって、撮影すればするほど初期投資額の回収率があがるデジタルと決定的な違いになる。逆の言い方をすると、高級デジタル機が発売されるたび購入するけれど1ヶ月に1回程度しか真面目に撮影しない人にとっては、フィルム機の中古でじんわり楽しむほうがお金がかからないことになる。

私はフィルムはフィルム、デジタルはデジタルという立場で撮影している。両者は写真か油絵かの違いくらい別物でありつつ、どちらも三次元の世界を二次元上に再現する点では共通した表現形式、と割り切った立場だ。デジタルだから写真として完全ではないというのは大いなる間違いで、完全でないと思うなら欠けてるものを撮影時やRAW現像時に補えばよいだけだ。フィルムだから無条件にナニカが表現できるというものでもない。またフィルムにもデジタル処理をどんどん施して、フィルムらしさを徹底的に生かす方法を私は試している。独特の濁りによって醸し出されるナニカを、暗室作業では生かしきれていなかったと思うからだ。

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Fumihiro Kato.  © 2016 –

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・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なる人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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