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自宅での自然光撮影はとくに難しくない
コロナ禍で行動が制限され撮影の機会が減っているとしたら、撮影上の問題だけでなく精神衛生の面でも好ましくない事態だ。それなら自宅をスタジオにしよう。
ライティングを前提にした「自宅のスタジオ化」について、これまでに何度か記事を書いた。6畳間を長辺方向に使い、短辺方向に照明機材、レフなどを置くスペースを確保し、天井にある室内用照明と機材類が干渉しないようにすれば、最小サイズとはいえかなり様々なものが撮影できる。
今回は自然光前提のスタジオとしての自宅、自室の使い方について考えてみようと思う。
以下に紹介する写真は、自然光での撮りっぱなしだ。白い背景とレンガを用意してかぼちゃを置き、三脚に固定したカメラで撮影しただけでRAW現像で特に何もしていない。だから細かいことを言い出すと、かぼちゃの下側とレンガの関係が黒くつぶれているとか、白い背景にかぽちゃの影が落ちているとか気になる箇所がある。しかし、自然光で撮影したそのまんまの状態を表しているといえば文字通りのそのまんまということで納得がいくかもしれない。
自然光はどんなライティングの光線より優れているから自宅や自室がスタジオ化できるなら撮影の可能性がぐんと広がる。先ほどのかぼちゃの写真もレフを1枚用意して光を起こせば見かけがだいぶ変わるはずだ。
自宅の光線状態を知る
自然光が優れているといっても、撮影に使いやすい場所、不向きな場所がある。
自然光を使用する場合は方角と光の特性を知る必要がある。
光量が豊富に得られるのは南にひらけた場所だ。南にひらけた場所は光量が豊富であるだけでなく、同時に陰影が強い場所でもある。また東から西へ移動する太陽の影響から時刻ごと刻々と光線方向と状態が変わる。太陽の高度が下がり、かつ日中なみの光量がある西日は個性的だが使いにくい自然光だ。南にひらけた場所の自然光は変化に富んでいると言える。
北向きで南側を背にして光線が遮られている場所は光量が少ない。北向きの場所は光量が少ないだけでなく陰影が弱いか陰影がない場所だ。太陽の移動に伴う光線方向の変化が乏しい。このように書くと魅力が乏しく感じられるかもしれないが、光が柔らかく光線の状態が安定しているのが北向きの場所とも言える。光量を問わないなら、時刻を問わず一定の描写が可能であったり照明機材で補助光を与えるのにも向いている。
しかし周辺の環境しだいで光の特性が変わる。
北向きだからといって陰影がまったくない訳ではない。光が回り込んできたり、周辺に東または南からの光を反射する物体があったりするなら南にひらけた場所とは異なる陰影を得られる。
また南にひらけた場所だからといって常に極端な陰影がつくとは限らない。南側に直射光を遮る壁のような物体があるなら、十分な光量がありつつフラットな光線が得られる。
どのくらいフラットかといえば、前掲のかぼちゃの背景がテカリもなくほとんど同一輝度におさまってレンガの台が均一な描写になるくらいの光だ。このかぼちゃの写真は真南にひらけた場所で、真夏の午前から正午にかけての時刻に撮影しているので、南からの光の特徴としてかぼちゃの影が強めに出ていて光にはそれなりの芯がある。
ただし、外部にある壁や建物などが有彩色の場合は反射光が着色してニュートラルな発色が望めなくなるので気をつけたい。また木立ごしの光は「木漏れ日」になり枝や葉の影が影響して陰影のムラをつくるので、舞台装置として使う以外は使用目的が限られるかもしれない。これは木立に限らず、屋根やひさし、その他の構造物が明暗をつくり写真上の陰影になりがちだ。
自宅や自室をチェクする
いくつかのチェックポイントを挙げてきたが、このほかにも光線の在り方を観察してスタジオ化できる場所を探したい。
スタジオといっても万能である必要はなく、特定の時刻、特定の季節だけ使える場所、光線(と描かれる陰影)に癖があっても個性的で使い途がある場所、狭いけれど小物なら撮影できる場所など自分なりのメリットの有無で選択すればよいだろう。たとえば「階段脇の窓から差し込む光が美しいけれど、場所柄アングルが制限される」のは万能的ではないが工夫次第で自分好みの写真が撮影できるはずだ。
光の状態から被写体を発想するなど、いままでと違う作風が誕生するかもしれない。
© Fumihiro Kato.
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