きれいでよいのか問題について

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写真の撮りかたについての情報がいっぱいあるのはよいことで、このため総じてうまい写真がたくさん撮影されている。あとはここからどれだけ自分にとっての最高を目指すかだろう。さまざまなセオリーや写真的(撮影的)価値観というお約束も身に備わっていてヘタをするとがんじがらめになっている場合さえある。うまい写真とは、たぶんそういうものだ。

人の数だけで性格や美意識があるはずなのに、うまい写真=セオリーやお約束が高度に調和した写真は手癖が消えるのを意味するし、手癖が消えれば誰が撮影したものかわからないというジレンマに陥る。上手とは、こういうことだと思う。

上手は飽き飽きしてくる。さてどうしたものかと思ったら、何かを付け加えるのではなく捨てればよいのは自明の理だ。セオリーやお約束が手癖を消しているのだから、よい塩梅に何かを捨てるほうが近道だし簡単である。撮影をはじめた遠い昔に撮影した写真に、再現不可能なくらいお気に入りがあったりするのはそういうことだ。

それが求められていないなら、きれいな光と呼ばれるものなんて糞食らえと思うことがある。きれいは自分が責任を持って決める。ただし独自に決めたものは、手癖感が強くて当然であって皆が求めているものと違うのは自覚している。ここを押し通せるかどうかだけだ。

​Eryngium

© Fumihiro Kato.
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・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なる人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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