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現在、漫画、編集、写真などの分野で活躍されている方のなかに自販機本の制作に関わっていた人はけっこうな数でいる。
自販機本とは、販売方法が自動販売機に限られた(もしかしたら一部、店頭売りしていた特殊な販路があったかもしれない)主にポルノ系の雑誌や、のちにビニ本と呼ばれるようになるポルノ写真集だ。ただし、どこかの団体が定義したり認定したりしていた訳ではないから解釈に幅があってもしかたない。(自販機で販売されてもビニ本は自販機本ではないという説もある)
コインを入れてボタンを押すとガッターンと大きな音を立てて落ちてくる雑誌、写真集を自販機本とくくって理解してくれてもいい。郊外とか田舎にいまどきなら謎の掘っ建て小屋があって販売機が置かれているアレ(絶滅危惧種)が、かつては通学路にも置かれていた時代があったのだ。
こうした雑誌や写真集を自動販売機で売る業態は1970年代半ばあたりからあったようだが、この時代を私は知らない。私が知っているのは、1980年代にそういう自販機が場末に置かれていたり、どこで売られているのかよくわからない雑誌や写真集が山の中に捨てられ無残な姿になっていたのを見た記憶からだ。
私は1984年に大学入学とともに上京して、しばらくして写真スタジオや写真家のアシスタントをするようになり、写真作品を本格的に制作するようになる。こうしたなかで、たぶん1986年から1988年の間だと思うが請われて自販機本のための写真を撮影した。
3年と言ってもほとんど1987年に集中していて、しかも毎月撮影するほどではまったくなかった。忙しい月もあれば、そうでもない月も多かったのだ。
この件は試験的に開設したTwitterアカウントで少しずつ話をしている。当時の予算やギャラが適正かどうかなんとも言えないが、この範囲内で収まるならポルノでなくてもいいという発注もあった。とはいえ、いろいろ注文がついたりする。という話は写真とともにTwitterで説明した。
編集部は都内のいたるところにあって、中央線沿線の……といえば「ああ」と納得してもらえそうな場所にもあった。そしてアンダーグラウンドなのかそうでないのか、サブカルなのか何なのかよくわからない雰囲気だった。
これを理解してもらうには、まったく違うものだけど現代の同人誌をひとまず想像してもうのがよいかもしれない。雑誌をつくりたいという人もいたし、ひたすらエロを追求したい人もいて、編集のノウハウがある人を中心に紙のメディアがつくれられていた。制作スタイルから販路までまるで違うけれど、オリジナルな同人誌を有志を中心に制作して販売するのに似ていなくもないという話だ。
同人誌に委託販売があるが、自販機本の販売機を編集部や版元が所有している訳ではないから、つくられた雑誌や本を流通させる人たちがいた。また版元は複数の名称をつかっていたりもした。こうした内部の事情を教養としてもっとちゃんと理解しておけばよかったと思うのだがあとの祭りである。
とにかくどうやって撮影して、その後どうするか、まず現場を1回見学させてもらって次回からは仕事を依頼された。とうぜん最初はポルノだった。どうしたらポルノになるのかわからない点は編集部のメガネ青年がディレクションしてくれたのだが、私の趣味に合わず困った記憶がある。
その後こういう撮影を何回やったか忘れた。フィルムは編集部に丸投げしていたから手元になく確認のしようもない。
振り返ってみれば私が関わった80年代中期から後期は自販機本が衰退していて、ビニールで覆われた通称ビニ本が全盛期を迎えていた時代だったらしい。冒頭にも書いたが、自販機用雑誌とともにポルノ写真集であるビニ本そのものかビニ本みたいなものが自動販売機に入っていて、主に後者が幅を利かせていたように思う。
これら通称エロ本はやがてアダルトビデオと並走したが、その後のことはみなさんのほうが詳しいかもしれない。ただしフィルム丸投げ、買い取り形式のため、私が撮影した写真はビニ本に流用されていても不思議ではない。とにかく権利や倫理が恐ろしくいい加減なのだった。だから、いつまで撮影した写真が流通していたかも私は知らない。
綺麗事を言うつもりも、過去を美化しようとも思わないが、他は知らないが私が関わった編集部はエロの体裁をどっかでとっていれば自由に雑誌がつくれるという変な熱気があった。ロマンポルノは形式さえポルノなら何を表現してもOKだったというのと同じだろう。しかもエロを期待しないで蛭子能収さんの漫画を読みたいから買うという需要があったように、買い手側も大いに変わって行った時代だった。
そもそもがサブカル的な雰囲気だったせいか衰退期だったからかポルノでない私の写真も掲載されるようになって、色っぽいとかフェチ的要素とかだいぶガバガバな幅広い解釈で写真が編集された。こういう版元だけではなかったから、過激なビニ本路線へ向かって私なんか用済みにされたりもした。
1988年にはほぼ完全に私にとっての自販機本の時代は終わりきっていて、この年にサブカル風味の写真が掲載されて、どこの誰か知らない人が書いた物語みたいなものと一緒に編集されたのが最後だったはずだ。
とくに目新しい情報はなかったと思うが、日記なので勘弁していただきたい。
© Fumihiro Kato.
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