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難易度
カメラが売れないと言われて久しいですが、何がどのように売れなくなったか語っている例はあまりありません。漠然とした話ばかりと言ってよいでしょう。売れないのはスマートフォンのせいにされていますが、一眼レフやミラーレス一眼のユーザー層がスマートフォンに流れているのでしょうか。ありえないと思いませんか。このあたりを整理したうえで、フィルムカメラの時代からもういちどカメラ市場について考えなおします。カメラが売れない、カメラで撮影しないと言われるものの正体とは何か対談形式の会話のなかで探りますが、やりとりがとりとめのなくなる部分はご容赦を。
カメラが売れないのはスマートフォンなんかのデバイスとは関係ないって言ってたよな。
言ったよ。スマートフォン的なものにカメラとカメラアプリが搭載されていなかったら、写真を撮るのに従来のカメラしかないからカメラは売れていただろうと、これは間違いない。だけどカメラが売れないと言われて一眼レフやミラーレス一眼を真っ先に思いだすのはマニアであって、落ち込みがひどく大きいのはレンズ一体型のコンパクトデジカメなんだよね。レンズ交換式も出荷台数が落ちているけど、コンデジ(注:レンズ一体型の通称・コンパクトデジタルカメラ)との関係を曖昧なままカメラが売れない話をしてスマートフォンがどうこう言うべきではない。
で、古いデータだけど減りこそすれ増えてはいないから。
レンズ一体型は2008年の1兆6,387億円がピークで2015年には3,071億円まで減ってる。これはひどいな。レンズ交換式デジタルカメラのピークは2012年の7,532億円で、減っていても2015年に5,783億円で2008年の5,254億円より一割以上も多いんだな。売れなくなったレンズ一体型は順当にスマホに食われているけど、一眼レフは無関係と言い切れないとしても影響もろかぶりではないな。
まず理解しておきたいのは、台数も金額も世界規模であって国内だけのデータではない点だね。そのうえで一眼レフやミラーレス一眼なんかより、コンデジの市場が圧倒的に大きかったのが大幅に縮小しているってこと。2009年から出荷金額が落ちているけど2008年9月がリーマンショック。出荷台数が一時的に持ち直しても金額ベースで見ると下落し続けていて、高く売れない時代に突入したまま持ち直せていないのだろうね。
コンデジって正直なところバカにしてたけど大きな影響力を持ってたんだな。コンデジの比率が高いメーカーほどリーマンショック後は苦しいまま身動きがとれなくなっていそうだ。あのメーカーがああなったのも……とか、撤退したメーカーはやっばりそうかと考えさせられるな。
思い出してもらいたいのはiPhoneの発売が2007年、国内での発売は2008年で2010年、2011年頃から世界的に普及が加速していったこと。こうした過渡期にコンデジの台数だけは持ち直したかと思ったら、金額ベースでは落ち続けていくんだよね。いっぽうでレンズ交換式はここで伸長してる。用途、使用シーン、機能ってものを考えながらスマートフォンとコンデジとレンズ交換式の動向を見ないとダメだろと。
用途か。みんな何を撮ってるんだろうね。どんなカメラで何を撮って、撮った写真をどうしているかっていう。
そう、そこが重要。もう一度言うけど、いきなり大量に売れていきなり売れなくなったのはコンデジで、レンズ交換式は増えたところからじりじり下げてる、これが実態だってこと。スマートフォンとコンデジとレンズ交換式を分けて考えるってことは、誰がいつ何をどうやって撮って、写真をどうやって使うかってことでもある。曖昧なままカメラが売れない話をしてもどうしようもないんだ。だけど、この手の話はいつも漠然としたまま「売れない」ってところでおしまい。変革期であるのは間違いない。高い山を築きながら総崩れしたコンデジの後始末を業界あげて取り組んでるんだろうし、撮影者の側はそれと関係なく写真を撮ったりプリントしたり共有しているのだからね。
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カメラの需要を考えるならフィルムカメラの時代に遡らないとダメだと思う。そもそもみんなどれだけフィルムで写真を撮ってたのかって話なんだよ。カメラが売れない、カメラで撮影しないって言うのはフィルム使ってた時代より撮影していないくらい閑古鳥なのか? そんな訳ないだろうと。フィルムの時代、写真マニアではないコンパクトカメラが家にあるってだけの大多数の人にとって、カメラ屋さんやDPEの店に行くのはせいぜい盆暮れ正月くらいだったわけなんだよね。
でも、あっちこっちにフジカラーの店があったり写真屋があったじゃないか。現像機で1時間とかでプリントしてたけど、休みあけの月曜日とかけっこう混んでた記憶がある。デジタル前夜はこんな感じだったよ。
そうだね。でも明らかにいまどき写メを撮影するよりフィルムで撮影する頻度のほうが少なかった。忘れてならないのは80年代でさえフィルムの装填方法を知らない人がけっこう多かったこと。70年代のある時期から90年代のはじめまでカメラ業界が今より元気があって、あれはなんだったのだろうということになる。今からすると異常なんだけど、カメラってけっこう特殊な消費財なのにテレビのゴールデンタイムにだってCMが流れて雑誌広告とか新聞広告がしょっちゅう掲載されていた。カメラの市場規模なんてたかが知れた小さいものなのにだよ。
テレビで一眼レフのCMを結構な頻度でやってたり雑誌の裏表紙にカメラの広告が普通に載ってた時代だよな。宮崎美子さんのミノルタの「いまのキミはピカピカに光って」とか伝説だから若い世代でも話に聞いたことあるんじゃない。
「いまのキミは……」のミノルタX-7は1980年でカメラがオートフォーカス化する前の時代。これから数年するとカメコという人たちが登場してイベント会場で望遠レンズを振り回す時代へ、って感じになる。これとアイドルタレントのグラビアが篠山紀信さんなどによって新時代を迎えて、現代につながる表現がはじまってポートレイト撮りたい予備軍が増大したんだよね。だから当時のマニュアルフォーカスレンズがいまだに中古市場にたくさんある。たとえばニコンのAi Sとかの。
対談を読む人に解説しとくと、なぜ50〜60代のカメラじいさんが多いかというと思春期から青春がこの時代だったからだね。
フィルムカメラの時代の雰囲気を説明したところで、CP+のサイトにあるグラフを見てもらいたのだけど、フィルムカメラにはライカ判以外も含まれてるわけだけど2000年以前でもこの程度の規模だったんですよ。
えっ、フィルムカメラってこんなものだったの。どんだけコンデジがバカ売れしたの! コンデジが売れなくなっただけってことか? というか、この程度の規模の市場だったのにあれだけ派手に一般向けの宣伝をやってたってのは意外すぎる。
そのグラフより前の動向だけど、1965年から1995年まで右肩あがりで、特に1975年頃から伸び率が大きくなっている。そうだとしてもコンデジに比べたらこんなもの。フィルム装填できない人がいたのも、みんながみんな写メみたいに撮影していなかったのもわかってもらえると思う。
ここ数年カメラが売れない状態が続いているのは間違いないけどフィルムカメラの頃を考えると悲観するほどなのかなあ。 また言っちゃうけどコンデジが売れすぎて、減りすぎただけでは?
レンズ交換式カメラの売り上げがじりじり下がりつづけている危機感があって「売れない」って連呼しているのは間違いないし深刻だとは思うよ。じゃあ具体的に何が深刻なのかってことだろうな。デジタルになって製品サイクルが異様に短くなって、新型が出たと思ったら改良機がすぐ出て、いつの間にかディスコンだよね。フィルムカメラなんて10年くらい平気で売り続けても特に驚かない。デジタルでは開発コストもあがっていそうだし。命の次に大事なセンサーのコストもあって1台あたりの利益率がどうなってるのか、とか。そんなカメラ業界の苦しさがあるのではないかな。
コンデジをあれだけ売ってはじめて収益が出る体制だったのかな。コンデジを売った養分をレンズ交換式に回して事業が進むサイクルをつくってたなら、どんだけ一眼レフやミラーレスが売れても破綻するほかない。そんななかでコンデジ依存度が高い会社は、かなり前から一眼レフやミラーレスの新規開発にコスト回せなくなっていただろうな。あそことかあそことか……。
カメラメーカーの売り上げだけではなくてカメラ屋の収益も考えてみようよ。おいちゃんがフジカラーの店やDPE屋があっちこっちにあったと言ってたけど、今どきはカメラ屋でどれだけプリントしているのかって。フィルムカメラのときDPEが一番儲かったのは当然だけど、デジタルになって写真をデータで共有する時代になるとプリントの意味が大きく変わって……つまりコンデジとスマートフォンで撮った写真の使い方の違いの話。
そういえばコンデジに元気があった時代はカメラ屋のプリントコーナーに今より客がいた気がする。カメラが売れないうえに、プリントする人が減ってカメラ屋は二重苦になってそうだ。
フィルムだと同時プリントで36枚どり全部を紙焼きにするのが普通になってたけど、デジタル化で必要なカットだけプリントするのが当たり前になっただけでも影響が大きいのにね。デジタル化で客単価がぐっと落ちて、スマートフォンでデータ共有するのが普通になってプリントの価値が溶けていった。カメラが売れない、コンデジが撃滅っていうのはこういうことにもなる。
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で、フィルムカメラの時代も経営を多角化してたのがカメラ業界なのを思い出してほしい。ニコンは半導体のステッパー屋さんだし、キヤノンは事務機、オリンパスは医療機器屋さんでってなっていったのも70年代から80年代に顕著だった。実際にはもっと広い分野に多角化しているし。こうした動きは60年代から既にはじまっていて、徐々にカメラ部門の比率が小さくなっていた。生き残るのにそうせざるをえないのがカメラ産業で、そのさなかにカメラ業界とフィルム業界がアマチュア向け事業で広告をバンバン打ったと。なぜなら、広告を打っただけ需要がどんどん掘り起こせていたんだろうね。
さっき言ってた自分でフィルム入れられない人たちからも、カメラユーザーが掘り起こされ続けてて、掘り起こされた人にはステップアップする機材を売り込んでいたバラ色の時代だな。
クリスマスに36枚撮りフィルム入れて正月も撮影して、行事ごと撮影して現像に出すのは夏とか秋とか、へたしたらまた年を越してっていう家庭だって多かったのに、どうしてユーザーが掘り起こせてカメラ販売に勢いがあったのかって話になる。旅行ブームとかアイドルおっかけのカメコとか、若い人に巻き起こったブームのお供としてのカメラ、お供だったけど主役になっていったカメラという需要のありかたを忘れたらだめだね。
ブームのお供?
趣味やレジャーのお供。70年代後半、まだ子供だったけど小遣いをためて中古のカメラを買ったわけですよ。こういう子供がカメラ屋とか中古屋とかで見て知ったのが、世の中にいろんな趣味があるけどどんな趣味でもカメラを買いたくなる人ばかりだったってこと。店頭でお客が客同士会話してたり店員に相談してたりするのがどうしても耳に入るからね。
君が小学校高学年から中一くらいときの話か。解説しておくと、イエローマジックオーケストラ(YMO)がデビューした頃のことだね。
おいちゃんも知ってると思うけど、国鉄のディスカバージャパンってキャンペーンが1970年からはじまって、70年代半ばには山陽新幹線が博多まで伸びたりとかさ。ユースホステルブームなんてものもあった。旅行ブームで個人旅行をする人が増えると、活動的な大学生から30代くらいまでの世代がとにかくカメラを買った。貧乏旅行だったけど、やっぱり写真は撮りたい。一眼レフへの憧れが大きかったけどコンパクトカメラだって売れた。はじめてストロボが搭載されたカメラが1975年のぴっかりコニカ(コニカC35EF)で、社会現象になるくらいエポックメイキングな出来事だったよ。カメラは趣味やレジャーの必需品だったんだよ。ここを掘り起こしたわけ。さっき言ったように、フィルムカメラは1975年あたりからの伸び率がすごい。
いまだってどっか行けばスマホ出してすぐ写真撮るわけだから、当時の人がカメラを買って旅行に行って写真撮るのはあたりまえっていえばあたりまえだな。そういう人にも一眼レフが浸透して行って売り上げがあがったなら、70年代から80年代それぞれの時代の若い人たちが一眼レフブームの基礎をつくったことになる。
もっと前からペンタックスSPとかがアマチュア層に流行していたけど、写真マニア以外の層へ広がって火がついたのがこの時代。ここから80年代初頭はカメラの電子化が一気に進んで撮影が簡単になったこともカメラが売れた理由のひとつだろうね。各社の普及機や中級機に高精度なオート露出が搭載されたり、デジタルから写真をはじめた人はわからないと思うけど絞り込み測光っていう面倒なタイプのカメラがなくなって開放測光ばかりになったり、レンズラインナップに廉価版が用意されたりとブームの受け皿が万全なものになった。この80年代初頭にカメラを買ったり、一眼レフに憧れた人たちがいまどきの50〜60代のカメラじいさん。ちなみにバブル景気はまだまだ先のことだよ。
整理しといたほうがいいな、ここまでの話は時系列そのままではないから。
1960年代に日本のカメラメーカーは一眼レフへ舵を切った。オリンピックにあわせてニコンがニコンFを発表したのが大きいし、元祖一眼のペンタックスががんばった。こうして写真マニアや新し物好きは一眼レフに憧れたし、大多数の普通の人もコンパクトカメラを買って使う例が増えた。だけど、写メ感覚でばしゃばしゃ撮影するようなものではなかったよ。その後1970年から盛り上がるレジャーブームで、活動的な若い人にとってカメラがレジャーの必需品になった。いろんな趣味があるけどディスカバージャパンの影響は無視できないね。80年代へ向けてカメラは使いやすくなったし、ユーザーを広げるため安価な一眼レフシステムも発売されてプロとセミプロだけものではなくなった。当時ネイチャーフォトや鉄道写真とか、紀行ものの写真集や写真が載った雑誌とか勃興したのもある。ここにグラビア写真の新時代なんかも影響して、ポートレイトを撮りたい人やタレントを撮影したい人もぐっと増えたってとこかな。
需要あってのカメラだもんな。その人に趣味とか需要がないのに、いきなりカメラを買いたくなるなんてことはありえない。高校のとき写真部に入ったのも、年上のいとこが車やバイクの写真を撮っててかっこよかったからだ。車もかっこよかったけどいとこもかっこよく見えた。
新技術で新製品が出て、新しい需要が喚起されて、需要が一巡したら低迷して、新技術で新製品っていうメーカー側の事情があったのはまちがいないけど、目新しい機械がほしいだけでカメラを買ってるわけではない。新技術が撮影を簡単にしたり発見を促したりするのに気づいて、人は撮影したいと思うようになる。いくら新技術が出てきたからって、元から何もする気がない人が写真なんて撮らないよ。
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ではデジタル化はどうだったのだろう。まずは一眼レフのデジタル化より前にデジタルコンパクトが出てきたよね。
1990年代の末だね、PowerShotを買ったから憶えてる。ただデジタル化の前にオートフォーカス化について触れておく必要があるのではないかと。記憶が曖昧だからちょっと調べてみるけど……1977年にジャスピンコニカでコンパクトカメラがオートフォーカス化していてぴっかりコニカの2年後なんだな。一眼レフ界を激震させたミノルタα-7000が1985年。これよりまえに不恰好なオートフォーカス機構を組み込んだレンズがいろんなメーカーから発売されていたけど、合理的に整理されたミノルタのαシステムは業界を震え上がらせて一気に時代を進めた。
ニコンはマウント変えずにオートフォーカス化したけどキヤノンなんかはマウントを変えた。オートフォーカスになってからカメラ買う人はいいけど、いままでの資産がある人はけっこう悩んだ時代だね。かなりあとまでマニュアルフォーカスのシステムのまんまの人もいたし、下手するとそのままデジタルで買い替えになった人もいたはずなんだよな。
キヤノンユーザーだったけどEOSにしなかったんだよね、いろいろ更新が遅れた。この時代にバブル景気へ突入するんだけど、あの時代に収入が大幅に増えた人って40〜50代以上の特定の職種の人だったんじゃないの? おいら貧乏暇なしで機材もって駆けずり回ってるうちに代理店にもぐりこんだりとか七転八倒してたから。おいそれと機材を更新できなかったよ。
オートフォーカスが出てきたときのメーカーや販売店は知らんけど、世間で言われてるほど俺は慌てなかったな。まあニコン使ってたというのもあるし、いずれどっかでオートフォーカスに自然と移行するだろうなって。
最初は使い物にならなかったし、だいぶよくなってからも大勢に影響がなかった。個人的に当時も今も必須ではないもん。オートフォーカス化は、ピント合わせるのが怖いって尻込みしていた人たちに一眼レフへ背中を押したのが最大の貢献だったと思う。だってどんなレンズでも恐れずに使えるっていうのはセールスポイントになる。本筋の話と関係ないけど、電子化からオートフォーカスまできた結果が次の段階でクラカメブームとかロシアレンズブームなんかに一部の人が向かう遠因になってるのを感じるね。
そうやって振り返ると、オートフォーカスの騒がしさが一段落したとき、いつの間にかコンパクトデジタルカメラが出てきてたな。仕事場にパソコンがどんどん入り始めてた時代っていうか。社内にコンビュータ入れたりLAN組んだりするのに抵抗する勢力がいたっていうお笑い時代。どっかの部署がコンデジが記録用に必要だって稟議書切ったけど、フィルムカメラがあるのになぜ必要なのかって揉めた記憶……。
コンデジが登場した1990年代後半のカメラの出荷統計とかにも出てるけど、そのあとだってまだ圧倒的にフィルム優勢で、デジタルカメラを買うなんて物好きなギークだけだったよ。WIREDとかの雑誌にデジタルカメラの広告が出てたり、PC系の雑誌にコンピュータと一緒にこうやって使おうって記事広告が載っていた。キヤノンもまだ本腰入れてなくてPowerShotも初代からしばらくカメラ事業部ではなく事務機部門がやってた。「わかったよデジタルなんだろ、フィルムは使わないんだろ、で何に使えるの? 使い途ないじゃん」っていうのが当時の風潮。「新技術で新製品、新しい需要が喚起されて、需要が一巡したら低迷」っていうのが業界の事情だけど、登場したてのデジタルカメラにはほとんど需要はなかったんだ。
撮ってすぐパソコンに表示できるプリントできるといっても画質が悪いし、ホームページ更新用くらいだったね。馴染みの写真屋行って、これってプリントできるの?って聞いたら「できるけどおもちゃみたいものなので」って言われたよ。「デジカメのなにがおもちゃなの」って訊いて「画素数が足りない」って言われて画素数の意味がわからなかった(笑) エプソンがコンデジやるのはわかるよ、プリンター売ってるんだし。他社はどうやって使って欲しかったんだろうね。
報道とかは別として、なんだかんだでデジタル一眼レフだって使い道がはっきりしないままスタートしていると思うんだ。もちろんデジタル一眼レフに実用性が見えてきたとき仕事使いの人はテストを開始していて将来のデジタル納品や入稿を考えていたけど、趣味の道具として使う人たちにとってはプリントをどうするのか、データをどう使うのかイメージが曖昧だったかもしれない。あくまでも趣味の人たち、でも大多数の人たち。10年前くらいまではこんな感じ。
ああ……1000万画素以上は必要ないとかいう人が出てきたり、ディスプレイで等倍にしてあれこれ言う人がいたな。ある時期、そんな話ばっかりだった記憶がある。重箱の隅をつつくためデジカメで撮影してる人たち。ぜんぜん写真的じゃない話題ばっかりっていうか、いまだに名残を引きずってる人たちがいる。撮影したいものがない感じの人たちだったな。そういう話を投稿するホームページとかいっぱいあって画像も投稿してるのに、貼ってあるのは重箱の隅って感じの作例ばっか。
2006、7年だったかな、プロだと現場にテスト用のデジタル一眼を持ち込む人がいたよ。この頃すでにデータ入稿してた人もいた。DTPは既に浸透してたからね。確実に時代はそっちへ向かうとわかっていたから、写真のデジタル化に真面目に取り組まざるを得なかったんだよ。おいらは混沌とした時期に突入していて雑誌の創刊とかもやってて、デジタルをどうするって切羽詰まりながら模索したな。PowerShot以降もずっとデジタルカメラと関わっていたけど、どうやったら生かしきれるか答えが出てなかった。いっぽうで一般の人というかフィルム時代から撮影してきた人はデジタル一眼レフの使い道とか、どうハンドリングするのかとか、プリントやデータの扱いとかで自分の中で写真へのイメージが曖昧なままだったのだろう。
俺の場合は、なんかそろそろそういう時期? って感じでコンデジを買ったけど自宅のプリンターで出す画像もDPEの店でやるのも不満だらけだった。メモがわりに使うのは便利なんだけど、すぐ出来上がりが見られるから集合写真とか家族写真とかデジタルで撮れって言われるんだけど、俺としたらフィルムでちゃんと撮りたいなといつも思ってた。スマホになる直前の携帯電話の時代がこうだった。不満が解消されてきたのはリーマンショック直前かもしれないから、やっと撮影からプリントまで機材やサービスが整ってきたのにコンデジは売れなくなる。
コンデジ初期からだけど、どんな環境で試しても思い通りにならなくて実験的に町のDPEにデータを持って行ったけどダメだった。店員に「モノクロなんてダメに決まってる」とまで言われた。ラボに出すような注文なんてしない、ただの棒焼きみたいなものですらこんな感じだった。写真がわかっていないのか、デジタルなんてこんなものと馬鹿にしてたのかね。デジタルの可能性を信じてたから続けたけど、こうしたことが整って行くまでがつらかったよ。
2010年代の高画素化の時代で写真から降りた人もいるのかもな。画素数が変わってなんちゃら性能が高くなったカメラに買い換えろ、昔のレンズはダメだめだ買い換えろとか、もっといいものがあるぞと言われてもバカ高いじゃん。カメコ世代だったり、これ横目で見てた人たちの2000年から今って子供がいれば子育てと教育だし、子供がいなくても人生でも難しい年齢だったしさあ。不景気なんだし。新製品で新しい需要だっけ? 追いつけねえよと。
そこでカメラの出荷台数のピークが2010年、デジタルカメラは2012年っていうデータに戻るわけですよ。コンデジで撮影体験をした人があれだけ多いのにレンズ交換式へスイッチする人がさほどでもなかったのが見て取れる。もともとレンズ交換式カメラなんてものは特殊なんだからとうぜんと言ったほうがいいのかもしれないけど、カメラってものの良さが評価されない時代になったのかなと。ニーズの掘り起こしはどうだったのか考えてみたいところだな。
カメラでなくてもスマートフォンでいいって流れたのがコンデジユーザーだったから。俺みたいに「そんなにいろいろ買ってられっかよ」という人がいて売れないってもあるんだろうけど。
おいちゃんのそういう不景気説とか機材の買い替えを迫られるのが鬱陶しい説も否定しない。単純な話、景気がよければそれだけでモノは売れるし、買い控えはないんだからね。カメラと写真をめぐる複雑な問題があったところで、金回りがよくなればほぼ解決したように見えるようになるよ。とはいえ、問題そのものが消えはしない。
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おいらに持ちかけられた相談で「背景をぼかした写真を撮りたいからどのカメラにしたらいい?」っていうのが印象的だった。2000年代初期にも2010年前後にも相談された。それくらい「背景をぼかした写真を撮りたい」っていう人が多くて、こういう初心者がセンサーサイズが大きめでレンズもそういうのがついてる高級コンデジやデジタル一眼レフを買ったんだよ。ボケとデジタルって無関係で微妙な話ではあるけどね。写真の重要な価値のひとつがボケで、一眼レフの良さとかは「ボケが大きい」ところにあるとされている。
そういえば昔よりボケボケ言うよね。背景が普通にボケるのもそうだけど、玉ボケとかバブルボケとかいつからか盛んに言うようになった。80年代から300mm F2.8とかの開放でタレント撮影するグラビアとかあったし、そういう大口径への憧れもあったけど今のほうが気にしている。誰かが流行らしたのが先か、流行っているからネット記事にしてアフィ稼ぐのかみたいな。
ボケは写真独特の現象で、機材に依存する表現だからね。見ただけでわかりやすいし、機材を買う甲斐があるってことにもなる。そしてバズりやすい。なぜなら、ボケる機材を持っていてボカす方法論を知っている人だけが可能だから。ピントが深くてディティールが出てるとか、正確な色調とかそんなのはよほどでないとバズらないし。
バズる、ね。バズるって、ここ数年の話じゃないの?
バズるって言葉とSNSの動向はね。それより前は、たぶんデジタルだからシャッターを切る回数が増えて、ディスプレイで撮った写真を見る回数が増えたのが影響しているんだよ。フィルムの頃みたいに行事と記念写真だけたまに撮ってたらボケとかどうでもいい訳で、コンデジでもスマートフォンでも撮影経験が増えて、しかも頻繁に観察するようになった結果、世の中に出回ってる商業写真との違いに気づいたんじゃない。それと失敗がほとんどないデジタルだから欲が出るというのもある。フィルムだとちゃんと写っているか心配するとこからスタートなんだし。コンデジでシャッターを切る回数が増えたのは、デジタルになって写真一枚あたりのコストを考えなくてよくなったのは大きいよね。これがいまだに続いてて、バズると。
いま20代くらいの人がフィルムに興味を持って撮影するけど、フィルム代と現像代に震え上がって結局やめちゃうって話なら聞いたな。デジタルの感覚だといくら撮っても電気代だけって感じなのに、みるみるお札が消えていくの実感するんだろう。
コンデジがやけに売れたのは撮影にお金がかからないところが大きかったかもしれない。いや、絶対これだよ。撮りたいだけ撮れるっていうのはメリットだからね。いくらでも撮影できるメリットが世界的に爆発したんじゃないのかな。フィルムのコストから解放された喜びの爆発。
そうなると、スマホに取って代わられるのも早いってことになりそうだな。だって写真でこんなものを撮りたいっていうやる気そのものとは違うからさ。でも写真に目覚める人も掘り起こされて、さっき言っていた「ボケのある写真を撮りたい人」になったんだろ。
そうそう。だけどボケだけが写真の醍醐味ではないし、アクションカムっていう動画が撮れるコンデジはちゃんと市場をつくってしまったじゃないですか。コンデジの良さがまったく届いていないし響かなかったことになるね。
撮りたいだけ撮れてお金がかからないってところが評価されてただけならな。
コンデジは機種ごと特性があるとしても、被写体を発見して撮ろうと思った瞬間から撮影までを考えるとスマートフォンより圧倒的に簡単快速だし、仕上がりへ想定を反映させるのも確実なんだよ。ところが、こんなことどうでもいいとされていて評価のポイントにすらならない。スマートフォンがあるのにもう一台カメラを持ち歩くなんてナンセンスで、しかも撮影してSNSにどうやって投稿するの? 的な不満しかないだろうな。あとスナチャとか性別変換アプリのブームがあったじゃん。ああいうの入ってる? インストールできないならダメじゃん的な。
コンデジは劣化版のスマートフォンでしかないと。Netにつながったり、誰かと共有したりできないのは意味がないっていうことだな。だから検討すらしないと。いまさらコンデジに似たような機能を入れたところでスマホのスリムさにはかなわないし、スマホならもう持っているしってキビシイな。
優秀なカメラとカメラの使いどころっていう従来からの価値観がもう通用しないんだよ。ただしデジタル一眼レフが伸びた時期には「背景がたくさんボケるカメラ」が欲しいっていうストレートな要求があった。俺たちには「そんなのいつ使うの? それ本気でやろうとすると金がかかるよ。ボケの量は投資した金額に比例するかもね」って言いたくなるけど、けっこうな数の人が「背景がたくさんボケるカメラ」が欲しくてデジタル一眼レフを買った。この話をして行くと、フォーサーズとマイクロフォーサーズシステムがどうなったかという話題に向かっちゃうけど。オリンパスが主張していたテレセントリックがどうこうでデジタルカメラを買おうとした人はほんと少数だったし、ボケるんですよね?と質問されたときどう答えられるのかという。
うわっ、キッツイ話になってきたな。テレセントリック性能って盛んに言われて初耳だったけど、光学的な正しさの価値観っていうか使う側の欲求と結びつきにくいっていうかだな。ボケだって古くからある価値観だけど、これは子供をちゃんと撮りたいきれいに撮りたいっていう親がイメージするいい写真そのものだよ。子供に限らず小洒落た表現とか。Kissとかのカタログみても子供の前後がきれいにボケで省略されてたりするんだよ。そうじゃなかったらスマートフォンで撮影するわってなるよな。
フォーサーズはいろんなことを教えてくれるんですよ。背景をボカしたい人が増えて、こうした表現欲求が強い人がデジタル一眼レフに移行しようとしたと。このなかにフォーサーズを買った人もいて、でもセンサーサイズが小さくて焦点距離が短いからなかなか背景がボケない。ここですぐ売却して買い換えれば話が早いはずなのに、サードパーティーから出ているF0.95とかの大口径レンズを買ったりして、結局コストを抑えられるフォーサーズとかマイクロフォーサーズっていうのが机上の空論になっていく。そのうちオリンパスからもボケ対応大口径レンズがラインナップされたけど、ずっと前にライブビュー機能や背面液晶の角度を可変式にしたオリンバスらしさフォーサーズらしさからの使い途が迷走して行った。
フォーサーズは機材を仰々しくしないでネイチャーフォト撮るとかいくらでも活かせる分野があるよな。レンズ交換できるうえに操作系はいわゆる一眼レフと同じの使い勝手があるんだし。だけどAPS-Cや欲張ってライカ判とまで比較していろいろできるといい出して、比較するポイントがズレていたらそりゃ何のためのフォーサーズかわからなくなるよ。
こうしたフォーサーズと同じ轍を踏んでいないかって、ね。カメラというものの良さが伝わらないならどうしようもないんだよ。カメラというものの良さはテレセントリックどうこうとか従来比何%って話にあるんじゃなくて、カメラがあれば自分はこうなれるって願望の実現と直接結びつくものなんだよ。おいちゃんが「需要あってのカメラ。需要のレジャーとか趣味とかなしで、いきなりカメラを買いたくなる人はいない」って言った通りだね。背景がボケたきれいな写真を撮る自分になるっていうのもそう。旅をしながら自分だけの風景をコレクションしたいとか、女性たちを魅力的に撮影する自分になるとか。おいちゃんは、いとこみたいに撮影する自分になりたかったんだろうし。
そうだね。スマートフォンにすら実用だけじゃなくて自己実現に期待する部分があるだろうしな。テレビはスイッチ入れたら映るから、こういうのと自己実現は関係ない。ほっといても何も起こらないものは車だってバイクだって自己実現と関係している。
自己実現の願望を、かっこいい自分になるって言い換えてもいいけど、カメラというものの良さが伝わらないならどうしようもないんだよ。カメラを使っているときだけでもヒーローになれる、というか。カメラというものの良さがわかりにくくなって、しかもダサいものって認識が芽生えつつあるのを感じるんだよね。
えっ、そうなの。なんか21世紀になって、ここ数年でいろんな感覚が激変してるけどそんなに?
以前は海水浴にカメラ持って行って撮影するなんて普通だったけど、いまどきは見るからにカ・メ・ラなんてもの持ってたら盗撮魔扱いだし、こうなったのには理由があるわけだけどね。カメラなんてものは幸せな生活や楽しい生活の象徴から特殊な趣味や偏執的な何かのアイコンにすらなりかけてるかもしれないと感じるときがある。ほらフジの動画広告で街中でスナップショット撮ってる人が偏執的で犯罪だろって騒がれた事件があったじゃん。慌ててフジが動画削除して謝罪した件。あのときのネットの反応のなかにそういうのが多かったよ。つまり、いまどきのカメラの存在ってダサいと見なされる場合があるんだよ。
あったなそんなの。コロナ肺炎ですっかり忘れられたけど。
あの騒動で、いろんな意味でフジの広告担当者がわかっていないのがバレた。新製品のカメラの機能から需要を喚起させるのがああいうストリートスナップで、しかも撮影方法があれで、ああいうヒーローになりたいと思う人たちがいると思っていたわけだから。ぶっちゃけて言えば「かっこいい」と思って自分もカメラを買おうってなる人のこと。レンズ固定式の小型カメラが売れないしスマートフォンと比べても仕方ないけど、だったらアレなのか? 違うだろ。メーカーの人からしてユーザーや、ユーザー予備軍がわからなくなっているんだよ。
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このまえの記事に24-50mmズームについて書いてあったけど、あれ読んでデジタル化でレンズが大きくなって値段が高いのばっかりになってという流れ、やっぱり悪手だよなと思ったわ。だいたいさあ、昔はカメラ1台買ったらほぼ一生使えたわけじゃん。デジタルだとセンサーとかが陳腐化するからって話になるし、電子化されてからのアフターケアなんてすぐ部品がなくなって修理不能。
だからおいちゃんには「フラグシップか普及機かじゃなくて高画素機」ってお勧めした。動向を見て、これだと納得できる画素数が出るまで待って買ったらどうかと、待つのが嫌なら一番画素数が高いのを買いましょう。高画素化はニコンD800とローパスフィルターレスのD800Eの登場が分水嶺になっていると思うけど、3630万画素から5000万画素の時代になったとはいえ打ち止め感あるでしょ。RAW現像ソフトを更新して現像エンジンが進化してればまだまだ使える。
ここまで話をしてきて、写真をはじめたきっかけを思い出すとあこがれがあったじゃない。あこがれたものに近づくのにカメラとレンズの性能も大切だけど、あこがれとはイコールではないよね。デジタル化されてからってもの、性能って言葉にせかされ続けてる気がする。
「性能にせかされ」て最初は興奮ぎみだったのに疲れてきた人がけっこういるって、こうした事情にカメラ業界が気づいて行動に移すのが遅すぎたと思う。サムヤンとかが本格的に上陸してきたあたりで、そこそこの性能だけど人気の焦点距離でマニュアルフォーカスだってあり得るというの目の当たりにしてたはずだけど軽視された。そうこうしてたら中華メーカーが、たしかにひどいのもあるけど続々といろいろなレンズを販売するようになったでしょ。どんだけ売れてるか別として、そういうのを受け入れる市場があるわけですよ。もっというとオールドレンズで、実態はとうの昔にカタログ落ちした中古レンズをアダプターつけて使うとか、あれは脱成長路線なんだし。
レンズ遊びって、撮影するのに最新のレンズでなくてもいいってことだよ。パープルフリンジが出ても解像が甘くても面白いから楽しむっていう。メーカーが真面目な新製品ではやれないのはわかってるけど。
新しい酒は新しい革袋に盛れっていつも言うんだけど、基本や基準になるものがわからないと変化球だけではどうなんだ、そもそも余計な買い物したくなかったらそうしろって話なんだよ。だから積極的にオールドレンズは勧めないけど、そういう楽しみは否定しないし、安価で小さくて使い手があるレンズってなくなったよね。ニコンだと市場拡大期の1980年にレンズシリーズEっていう廉価シリーズを始めたし、そうでなくてもどこのメーカーも単焦点でF2.8、3.5、4.5などと大口径と小口径の廉価版が用意されていたりした。
ニコンの24-50mmとキヤノンの超望遠F11と、これといっしょの時期に発売されるミラーレス一眼にも言われはじめたけど、機能をたくさん詰め込むのを誰も望んでいなかったと。いままで散々多機能にして動画まで撮影できるようにしてきて、新製品が出るたびすごいって言ってた界隈まで手のひら返しで機能を絞ったボディや暗いレンズを褒めようとしてる。そう思うなら、いままで多機能で高機能を褒めてたのはなんだっつーの。
そっちへの批判があって当然かなという気はするけど、メーカーですら誰がユーザーかわからなくなっていたのが最大の原因だよ。みんながカメラで何をどうしたいかっていう基本が見えてない。なのに、オートフォーカスで買い換えろの次がデジタル化で買い換えろになった。一眼レフやミラーレス一眼に新規参入の人たちにとっても、機材を買ったり更新したりのハードルが高いのは変わらない。ユーザーはプロですか? 違うでしょ。趣味やレジャーのお供にカメラなんだし、そこから深入りするんだし。カメラで自己実現したいと思うようになるまえに疲れちゃうかもね。
フィルム時代の入門機とか、入門機ではないけどニコンのFMみたいに高くないカメラってなくなったからね。同じフィルム入れたら写りは同じだろっていうのが、デジタルでは通用しない。レンズの収差がどうとか、関係者も外野もうるさいよ! そういうの気づいていてもどうでもいいやって人は昔からいたし、なんにも気づかないまま楽しく撮影しつづけて膨大なカット数になっている人だっていたじゃん。
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さっきKissのカタログの話が出たけど、キヤノンのKissシリーズってほんとうにうまいと思うんだ。あれってお父さんやお母さんが、子供と写真の関係でヒーローになるためのカメラだよ。子供を理想通りに撮りたい人に作例だけですべてを提案してたり、存在そのものがそっちに振り切ってるよね。おいらニコンのボディを信頼してるから使ってるけど、こういう人たちにとってニコンのカメラって自分たちに関係ない黒い塊でしかないかもれないし、そもそもKiss的な情報の出しかたしてないから眼中にないかもな。
ニコンだって特設ページみたいなのやってるけど、まあ存在そのものが違うからねえ。独走態勢つくってるソニーですら、あきらめてるところがあると思うよ。たぶんα6000番台とかが対抗馬で、作例サンプルを子供の写真で固めてる機種がそうだろうけど。
人それぞれの目的にあわせられるのがカメラだから幅広く訴求するのが普通だとしても、「カメラって何?」っていう人たちをユーザーにするのに、あそこまで割り切ってやれるのがすごいよ。お父さん、お母さん、ヒーローになれますよって。我が子目的以外だと、いまどきのニーズ発掘ってどうなんだろうってね。
「いまのキミは……」のCMなんて好きな子を撮りたいとか旅行へ行きたいとかいろんなもの象徴してるよね。その直後かもしれないけどカメコブームでアイドル撮影が流行るっていうのも、こうしたナニナニしたいの延長だろ。あのCMがよかったのって機能とか専門的なものがなくて機材オタク化してないところで、そういうシーンとか雰囲気がいいなと思わせたよな。
機材オタクと言えばキムタクがカメラ撫で回しながらつぶやくニコンのCMがあったけど、機材を酒の肴にしてほくそ笑むおじさんにしか届かないでしょ。こういう自分になりたい、かっこいいと視聴者が思うとニコンの広告部は信じたかったんだろうね。で、新たな層が掘り起こせますか? と。いまどきはミノルタの宮崎美子さんのCMを焼き直してもポリコレ的にあーだこーだ言われそうだけど、ああいうニーズを喚起するものがない。撮影そのものに心躍るなにかっていうか、これって写真の真髄なんだけど。
なんか宮崎美子さんのことばっか言ってるけど(笑)、当時としてもぽっちゃりすぎる女の子の普通ぽさっていうファンタジーがCMにあったんですよ。もっとスタイルがいいとか垢抜けたタレントさんはいたけど、画面に宮崎さんが出てきて着替えはじめたのは当時の男子にとって生々しくて衝撃だったんだよね。あと当時のスター写真家篠山紀信さんの撮影風景っていうとライカ判はミノルタだったりして、ミノルタはほんと上手かったと思う。だからみんなX-7とかX-700とか買ったんだし、ミノルタでなくても写真部です写真撮らせてくださいって女の子に声かけたりとか(笑) みんな篠山さんとか宮崎美子さんみたいな人を親密に撮影する自分になりたかった。
それよりずっと前に質流れのSR-T101を買ったおいらは先見の明があったと(笑) ミノルタは誰のどんなシーンを取り込んでユーザーにするか、誰がユーザーになり得るかよくわかっていたんだよ。当時のニコンユーザーと予備軍を無理して取りに行っても無駄撃ちになるから、そうじゃないニーズや願望を取りに行こうってね。写真と写真を撮影するカメラはとても広い領域に訴えかけられるものなんだよ、ほんとうは。なのにいまどきはメーカーが誰に何を提示したらよいかわからなくなっていそうだし、下手するとあきらめはじめているかもな。希望はおいちゃんが好きなニコンの24-50mmとかキヤノンのF11の超望遠が登場してきたこと。やっと動いたぞ、と。
ところで需要の掘り起こしといえば、カメラ女子ってなんだったんだろう。
過去形にしてるけど、いまだにメディアや通販はカメラ女子ってカテゴリーでどうかしようとしているよ。でも言いたいことはわかるよ2010年代になる前くらいから雑誌が創刊されたりした動き。技術的には伸び盛りでデジタルカメラに明るい未来を感じられた時代で、今まであまりに手薄だった女性市場を取りに行こうってね。店も雑誌もおっさんの溜まり場になってたから女性向けに舵を切ったのだろうね。カメラ女子って聞いたとき、バイクブームのある時期に女性ライダーがやたら注目されたり漫画になったりしたのを思い出したけど構造はおんなじだよ。
カメラ女子、盛り上がったのかな? いちおう盛り上がったか。
いまだにカテゴリーがあるからなあ。だけど自撮りやSNOW、ここ数年ではTikTokとかのスマートフォンからのムーブメントはあったけど、一眼レフだろうとミラーレスだろうとSNSとの連携にどうしても弱いからね。まあそれと突き詰めれば写真撮影に男も女も関係ないわけで、女性のライフスタイルに沿ったスポンサーが取れるとかの媒体側の事情とか、おっさん臭がしないものを求める女性がいたとかって話だったけど、だったらSNSに自撮りや好きなものを撮影してアップするだけでいいじゃんと素通りする女性がほとんどだった。
結局そこなんだよな。いくらカメラメーカーがBluetoothでスマートフォンと連携させても回りくどいだけで、しかもカメラメーカーやマニア層が言う高画質は求められていないという。空振りっぽいよね。
旅行やアイドルイベント、家族とかニーズの話をしたけど、いまだって写メ撮ってるんだからニーズの分野に流行り廃りがあってもニーズそのものが全部なくなって消えたわけではない。むしろ一人の人がシャッターを切る回数としては史上最高を更新し続けているだろうね。メーカーがニーズを把握するのに失敗したか、そこにはないニーズをつくろうとして空回りしたのか、どっちにしろまあな。
カメラ女子のつくられかたと正反対なんだろうけど、コスプレ写真のジャンルが一大勢力になって、みんないいカメラやレンズを使ってるよね。あの人たちは一眼レフやミラーレス一眼のど真ん中ユーザーかもしれないし、ストロボとか周辺機材もいっぱい買ってる。研究熱心な層っぽいんだよな。
ストロボとか、たぶん彼らが一番買ってるんじゃない。撮っている人が楽しければ業界にとってもいいことなんだよ。レンズのサードパーティーは彼らのこと意識しているよ。カメラメーカーもわかってるはずだけど正面切って彼らに訴求してるのかな? それとも黙ってても買ってくれる人とみなされているのかな? どうであっても、彼らは何をしたいのかはっきりしているよね。あの人たちはコスプレーヤーといっしょにヒーローになろうとしている。カメラの需要ってこういうことなんだよ。
だろ、だけど異端視されてるかもね。この人たちが、たぶん2020年から先のレンズ交換式カメラの動向を牽引するよ。80年代とかに一眼レフを買った人たちが次の時代にもカメラを買い支えたのと同じで。コスプレだけでなく、きっとこういう需要が今だってあるのは間違いない。
さっきのフジのあれだけど、ストーリートスナップでもなんかこういう方向でムーブメント掴めなかったのかな。それとも写真界に知られたとか、アカデミックに語られるとかがイケてると思っているのか。
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とても俗っぽい言いかただけどかっこいい自分になれるかどうかって大きいと思うよ。自分のなりたい自分になれそうか、とか。もっと言っちゃうと、カメラとレンズを買う金額でヒーローになれるかどうかの判断。いまどきはスマートフォンでいい写真が撮れちゃうわけだから、スマートフォンの写真ではヒーローになれないと思い始めた人へのアピールがあるだろうかって。こうしたものがなかったからコンデジが売れなくなった。デジタル一眼レフやミラーレス一眼にり陰りが出ているとしたら、ここが魅力的でなくなってるからなんだろう。
だいたい一眼レフとミラーレス一眼の市場がフィルム一眼が持っていた市場を大幅に超えるなんて無理なんだと思うけどな。ボディとレンズを別々に売るカメラなんてややこしいものが、値段も高いんだし、買っただけでは何も生み出さないんだから数が売れるはずないんだよ。むしろ今の規模で売れてるほうが驚きかもしれないと思わんか?
まあそうなるわな。そうやって考えると、ペンタックスがミラーレスやらないって宣言したの味わい深く聞こえるよ。ミラーレスに限らずいろんなものの競争から降りる宣言で、仮に絶好調ならこうならないけど現実に対しての割り切りだからね。
敗北宣言をユーザーに受け入れろってことかよと思ったし、いくらなんでも可能性を自ら潰すことはないだろとも思っていたけど、なんか今日の話をしてきて考えがかわったよ。ミラーレス化っていうのは誰の要求で誰の必然なんだ? ミラーレスを買ってヒーローに慣れるとしたら、どんなヒーローなんだ? 機材が目新しいってことでヒーローか? 極論だってわかってて質問してるんだけどね。
でも24-50mmとかF11とかレンズ出てきたじゃん(笑) こういうのがどうしてデジタル一眼レフでやれなかったのか? ってことだよ。レンズの明るさの話ではなく程よさを形にするところ。こんなところに、コンデジの収益に頼るのをやめたメーカーがこれから何をしようとしているか垣間見えるんだけどね。メカカメラっぽい前時代っぽい操作系とデザインのカメラがニコンDfで一部に熱狂的反響があったけど、そういうことなのかなあとずっと疑問だったんですよ。Dfは特定層にきっと売れたはずなんだけど、需要を掘り起こしてカメラのよさに振り向かせるっていうのは違うんじゃないかなってね。
© Fumihiro Kato.
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