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撮影地であったり個人的になにかと気になる場所なので房総半島南部へ出かける機会が多い。何度か記事を書いたように房総半島南部を見舞った昨年の颱風の被害はなかなか傷が癒えず、営業が再開されたり修理が終わった施設や家屋があるいっぽうで未だブルーシートで覆われたままの建物が目につく。
修理が遅れる理由はひとつではないけれど、そのひとつとして修理する業者が足りないとのこと。公共工事を切る政治とか無駄と叩く民意のもと、千葉の工事屋さんがばったばった倒産したり廃業した結果だというけれどほんとうならつらいものがある。
世の中は千葉の被害を忘れかけているかもしれないが、修理を放棄してほったらかしになっている建物や解体中の建物があるなど現実はなかなか厳しい。だからこそ大きな被害を受けていなかったり復旧済みの施設や店には遠慮なくどんどん出かけて行きたい。撮影したり観光したりぼんやりしたり美味しいものを食べたりは何ら問題なく楽しめる。
でも今年は新型肺炎で中華人民共和国がひどいありさまだし、日本でも予断を許さない状況になりつつある。
気になることがある。新型肺炎の患者が見つかったり死者が出た県をマスコミは日本地図の中から塗りつぶして表示している。小学生が社会科の時間に塗ったような白地図をテロップにする必要ないだろうに。
あれは何を言いたいがための地図なのだろうか。人権への配慮から市や区や地域などの単位で報道できないので、県ごとまるまる塗りつぶしているというのがマスコミ側の言い分なのだろう。
倫理的にけしからんのではなく、こんなものはナニナニ県はこの位置、この形と示すものでしかなく、そこを塗りつぶすのは一帯が汚染地域と示しているようなものだ。塗りつぶされた県で暮らしたり働いたりしている人は気をつけろと言いたいのか、それとも他県民はこの県を警戒しろと言いたいのか。
県単位で感染しているのではなく、現実は人の移動や移動したあとの行動が重要なのにトンチンカンも甚だしいではないか。
もっと注意深く報道できないのかなあ。
そんなこと気にするほどのものではない、と思ってない?
マスコミが度々「福島の〜」と雑な報道をして福島県全域が高濃度に汚染されているかのように印象付けたのを私は忘れない。象徴性を高めてお神輿にするつもりでフクシマとカタカナ書きにした人々のことも忘れない。
どこがどれだけどのように汚染されたか具体的に語らず、その場所と数値をどのように評価すべきか曖昧なまま感情的になっていたのもマスコミだ。除染がどのように勧められ、除染後どうなったかどれだけ報道されただろうか。三重水素/トリチウムが含まれる水のことを、敢えて「汚染水」と誤った言葉で呼び出したのもマスコミだ。
原発事故報道と新型肺炎報道は違う? やっていることは一緒だと思うよ。
中華人民共和国では湖北省や武漢へのひどい地域差別や出身者差別が続いている。
日本にだって家庭や職場など限定的な範囲で「ナニナニ県やばいでしょ」と言い出す人がいて、とうぜんSNSでも同様になるのは目に見えている。これは福島県差別で経験したいつか来た道なのである。AERAは防護服の人物のアップカットで表紙を飾っていたずらに不安を煽り、被災地から避難する人や避難に使う自動車から放射能が拡散されるとジャーナリストが率先して喚いていたのだ。
学校では避難してきた子たちがいじめられ、いまだに福島県や東北は穢れたかのように言う輩がいて、全品検査をしても米や野菜や魚に風評被害がつきまった。東電社員の家族への誹謗中傷がSNSや掲示板に書かれ、社員の子がいじめられたりした。ほんとこんなことを繰り返さないよう祈るよ。
南房総はいま観光のオフシーズンだけど、それでも例年より人出が少ないように感じる。颱風の被害が大きかったと報道されたところで人々の情報が更新されないままになっているのではないだろうか。ここに新型肺炎の風評被害が及んだり、自粛ムード、安全のための移動制限などが加わったら泣きっ面に蜂だ。
そして想像してもらいたいのは、新型肺炎では事と次第によってどこと限らず県や地域、へたすると特定の個人や集団にレッテルが貼られる事態になりかねないことだ。こうしたレッテルは事態の収拾がついたら水に流されるかというと、いつまでも尾を引く。
情報を更新しないままほったらかしにする人や、意図があって敢えて情報を更新しようとしない人がけっこういる。だから福島県への風評被害が衰えるのに十年近い歳月がかかり、いまだに偏見と差別を撒き散らす連中がいる。颱風被害と復興についてだってなかなか情報が更新されない。
さっき例に挙げたトリチウムと汚染水がまさにこれで、レッテルが色あせてくると貼り直そうとする。
杞憂に過ぎなければ、それはそれでいい。ひとつ言えるのは、私たちは2011年の春から今日まで経験を踏まえたくさん学んできたはずではないかということだ。
© Fumihiro Kato.
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