フィルムの時代から振り返る照度比と濃度

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記事の要点はライティングと露光値決定=照度比と濃度の話だ(最近この話をずっとしているきっかけがここにある)。

30年ほど前に行った撮影と撮影した写真を振り返ると、当時のいたらなさとローテクぶりの中から現代にも活かせるナニカが見つかったりする。20代前半の私が何をどうしたか、赤面ものの経緯を書いて行きたいと思う。

フィルムを使った撮影と現像・焼き付けはデジタルと比較するとかなりやっかいなものだった。だからこそ考えさせられるポイントが多数あると言える。

撮影場所はスチル撮影について一切考えられていない劇場の舞台。これ以後、未知の場所で撮影する際は事前に情報を得られるだけ得るようにしているが、駆け出しというか右も左もわかっていない私は適当な準備で現場に出かけた。

現代と違いライティング周りの機材価格があまりに高くてなかなか買えず、手持ちのものは貧弱極まりなかったため、仮に準備万端用意できたところでたいしたことはできなかったのは間違いない。

とはいえ、とても拙い撮影ながら今の私に続く何かが萌芽しているのは確実で、個人的にエポックメーキングなできごとに位置付けられ、他の人がどう解釈するか関係なく(何度か紹介してきたように)思い出深い写真だ。

機材はライカ判と中判を持参し、以下の写真は6×6で撮影している。

写真1-フィルムからスキャン
写真2- ポーズ替えと照度比をなんとか小さくしようと光源を水平方向に反転させている。構図上レフの位置は写真1より遠くならざるを得ず効果はまったく期待できない。

そして同時に冒頭に書いたように、フィルムゆえのシビアさから教えられるものがある。

では、どのような環境だったかと言えば──。写真1の配置とともに例示する。

劇場の舞台なので実際には左右の幅がかなり広い。つまり反射が期待できるものは何もない。

なかなか具合が良さそうなレフを図示したが、実際にはその辺にあった高さが足りない白い板をなんとか自立させて上半身のみ効果が現れる程度のものだった。

レフが高さ方向だけでなく奥行き方向にもサイズが足りないだけでなく、何より肝心な一灯かぎりの光源の出力は小さく悲しいくらいに照度が足りなかった。

写真を始めて間もない人に言うことがあるとすれば……つまらないアドバイスに思えるかもしれないけれど、照明機材の出力1Wあたりの価格がべらぼうに安くなった今、余裕ある出力のストロボを必要数揃えるのはカメラとレンズを買うのと同じ基本の装備だということだ。

事例として挙げているポートレイトでは、被写体の個性と現場の雰囲気を基にした判断で照度比を大きくとった仕上がりを目論んでいたため救われているが、十分に光がまわったものを求められたり求めていたら苦しむだけでなく実現は不可能だったかもしれない。

ただいくら条件が厳しくても照度比、写真にしたときの濃度比は譲れないものがある。「塗り絵の各部を埋めて行くように濃度を決める」と今なら言えるのだが、当時は必要にかられてやっていたにすぎない。

再び貧弱な機材の話になるが、この撮影のときスポットメーターを所有していなかったので気になる箇所各部を測光して「塗り絵の各部を埋めて行くように濃度を決める」方法はとれなかった。

入射光式メーターの半球を[平板]に取り替え、方向ごと入射する照度の違いを確認している。それだけでは濃度は予測するのに不十分なので、皮膚、衣服(柄ごと)、髪の色と明度をもとに経験と勘から仕上がりの濃度を予測した。

ひどく原始的で不確実性がある方法だが、こうした経験から色の対比やコントラスト、明度をグレースケールへ置き換える習慣が身についたのはよかったが、いまなら迷わずスポットメーター付きの露出計を購入すべきところだ。

以下は、スポットメーターを使う想定で説明を続ける。

記憶に間違いないなら、撮影時に気になった箇所は以上。

更に向かって左・被写体の右半身のうち衣服の明る色と暗い色、右半身にかかっている左手の甲はどのような濃度になるか知りたかった。

顔の陰影に目論見があるのはとうぜんであるし、髪にトーンが残るか大事、衣服のディティールは消えてほしくないし顔や手とバランスのよい濃度にしたいし、脇役なれど引き立て役の手の表現は欠かせないのだった。

なお背景の幕はかなり白いものだが照度が足りないためかなり暗いグレーになっている。

最終的な完成形から、各部の明るさを256階調の値で示すと以下になる。18%グレー=8bit出力で118の値だ。

明部側の肌濃度を明るくしたいので、露光値は入射光式メーターの出目より+補正している。

この写真はモノクロフィルムを使いとうぜんモノクロ紙焼きになるので、フルカラー写真より明るめにしないと肌色が必要以上に暗い印象になる。これはデジタルでも変わりない。(カラーであっても肌の濃度を明るめにするのはまったく珍しいことではない)

モノクロでもカラーでも数値が同じなら濃度も同じであって、たとえば18%グレー=8bit出力で118の値は変わりない。

しかし、メイクや肌の色が表現できるカラーと、一律にグレーになるモノクロでは見た目の印象がだいぶ違う。

人物の肌表現に限らず、ブツ撮り、風景、スナップ等々いずれの写真表現でもモノクロは暗く見えがちだ。色=彩度があることで濃度が高くても色乗りを感じ、色乗り=暗さであってもモノクロとは印象が違うのである。

デジタルではRAWデータはフルカラーで、モノクロはフルカラーからつくるものになった。現像ソフトのカラー調整項目の「モノクロ化」機能をONにするだけではダメなのであって、モノクロとして最善の明暗を調整しなければならいし撮影時からモノクロのバランスは考えたいところだ。

ではフィルムではどうだったか。

モノクロネガから紙焼きする際に、全体の調子を明るめ(または暗め)にするほか、特定の部分のみ焼きを浅くする(または深く焼き込む)など可能だが、これらの操作をして自然に仕上げられる幅はRAW現像で同じ調整をした場合より狭い。

また紙焼きに使う印画紙には[号数]という種別違いがあり、一般的に使用される号数のうち2号は軟調(または普通)、3号は中間、4号は硬調な表現になる。これはRAW現像ソフトの[トーンカーブ]を逆S字、操作なし、S字にした場合と同じで明暗の応答特性に違いがある。

同じカットを2号・3号・4号で焼き比べると一目でわかるほどコントラストが違う。特定の箇所を同じ明るさに焼いても、暗から明への推移のしたが違うので他の箇所の濃度がまるで別物になる。

(ポートレイトを2階調、4階調などに変換してみればわかる。明暗比は白か黒の極端なものになる。暗から明への推移のしかたが違うと他の箇所の濃度がまるで別物になるのはこういうことだ)

ポートレイトで顔の左右に明暗の比をつけて撮影するとき、目論んだ明暗比を実現するには紙焼き時の印画紙の応答特性を考え、撮影時に照度比、明暗比、露光値を考えざるを得ない。

照度の比を絞り(または1EVあたりの段数)で示すと以下のようになる。

前掲の256階調として解釈した際の値からもわかるように、向かって左・被写体の顔(右)と(左)の照度比・濃度比は1対8/3絞り相当だ。

「一般的に」というのはちょっと無責任な書き方になるが、一般的にポートレイトの照度比は1:4以内にされる傾向が強い。冒頭に掲載した写真2では1:4に寄せている。

ただし元々効果が小さいレフしかないところを、構図とポーズの関係からレフは被写体と距離を取らざるを得なくなって効果が消え、光源の位置を変えたにも関わらず写真1よりも濃い陰りが光源反対側に出てしまった。

これを「ヨシ」とするか「ダメ」とするか判断は別れるかもしれないし、汚い影だと言う人も多いのではないか。私は現在一周回って、これでいいやという気になってる。

現在ポートレイトのライティングはフラット化の傾向が強く、明暗比を比較的大きく取る表現はあまり流行らないのかもしれないが、30年前はそれなりに陰影が濃い表現が普通にあったのだ。

当時のフラットと言えそうな表現は、現在の粗さや生々しさをスパイスにした比較的硬い光の表現とちがい甘々やわやわな表現だった。それらが好きになれなかったのだ。

時代とともに陰影表現の世間での好みは変わり、撮影界隈での良し悪しも変わると思ったほうがよい。これらのどこに基準置くか、自分の判断を優先するか、いずれにしても「わかってやる」のと「知らないうちにそうなった」はまったく違うのだ。

いまどきはRAW現像ソフトのハイダイナミックレンジ処理であるとかハイライトとシャドーの独立コントロールで様々な照度比をつくることができる。もし結果が同じなら、この方法で濃度比を適切化させてもよい。

それでもいいのだが、いい加減な元データではよい結果は得られないし、目的にあったライティングをするうえで照度比をどうするか避けて通れない問題なので照度比、明暗比、露光値はデジタルであってもちゃんと意識したい。

デジタルの時代にはデジタルにふさわしい機材や手法があってとうぜんで、いま写真を撮影している人はデジタル環境下でよりよい結果を出す方法に取り組めばよいだろう。したがってフィルムとフィルム撮影の技法は必須科目ではないかもしれないし、それを知っていてもデジタル特有の課題に取り組まなくてならない。

なので、この記事の内容は必ずしも必要ないものかもしれないが、デジタルカメラとRAW現像ソフトはフィルムで実現されていたものを実装・実現するところから始まっている点だけは心に留めておいたほうがよいと思う。

© Fumihiro Kato.
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・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なる人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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