本年4月に新潟に行く予定だ。私にとって新潟は単にかつて生活した場というだけでなく、身体と心の八割くらいをかたちづくるものとなった土地だ。現在、砂景ばかり撮影しているのは新潟の砂丘を遊び場にしていたことと切っても切れない関係がある。たとえば、こんな感じで。
これらの作品は新潟で撮影したものではない。なぜ新潟で撮影しなかったのかと言えば、二十数年前に旅をしたとき何もかもが様変わりしていて少なからず衝撃を受けたからで、自分をかたちづくったものが消えたことが恐ろしいような、なにを頼りに生きたらよいかわからなくなった。幽霊に足がないのに似て、地に着くべき足が失われた気分だった。
そして新潟で砂景を撮影したら、このテーマはおしまいになるような予感があった。
しかし日本海の砂丘と海と空は、日本はもとより海外のどこにもないのだった。私が撮影したいのは海の方向に太陽がない、背から光を受ける景観なのだ。こうした光のもとで私は育ち、あらゆる感覚がかたちづくられた。
東日本大震災の被災地を取材する旅をしながら東北の光と風光と人に触れて、やはり新潟を撮らなければならないと思い至った。ということで新潟行きを決めたのだ。
ほんとうに新潟は変わった。下調べをして二十数年前よりますます変わっているのも知った。だいたい海岸線に沿って長い道なんて昔はなかった。あそこは防砂林と砂丘の境でしかなかった場所だ。でも砂の深さと防砂林の厚さは涙が出るくらい昔のままのようだ。
数日間、市内に宿泊し撮影をするつもりだ。できれば春だけでなく秋以降にも訪ねたいと思っている。
© Fumihiro Kato.
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