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前回「AI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dについて」と題して購入経緯と実写結果を画像を掲載して説明した。冬晴れの天候を利用して、かなり厳しい条件で撮影して古いレンズにありがちなパープルフリンジの程度、出現する条件、ハイライトの粘り具合などを検証した。今回は前回より試験のハードルを低くして、実際の撮影で出会いやすい条件で試し撮りをした。
前回をまとめると「逆光時の絞り開放でパープルフリンジが発生するだけでなく、もろもろの影響から画像は甘め。F5.6以上に絞ると諸問題が解決されシャープかつトーンの出方も(独特ではあるが)実用上問題ないと言ってよいだろう」とわかった。フィルムを前提に設計されたレンズゆえ、現代の高画素機で使用する際は絞って使えば性能をフルに発揮でき、マクロとしても通常の中望遠としても万能ではないが特性を知ったうえで使えば問題のない性能と言えた。今年2019年からみて26年前のレンズとは思えないところがあり、2000年代初頭あたりのレンズに近いものがある。パープルフリンジの出方と遠景の描画特性については前記事を読んでもらいたい。
まず薄曇りの条件下、真横から光を浴びる、さほど遠くない遠景の物体を撮影してみた。相変わらずの電柱と電線であるが、電柱のコンクリートの質感と細い電線の組み合わせは解像の具合とフリンジ、諸収差の加減を見るのに向いている。
前回は冬のピーカンで完全逆光ではないが強く光が当たっている条件だった。こうした状況下ではF2.8の像は甘さがかなり気になったが、今回はカリカリキリキリにシャープという程ではないがなかなかの像を結んでいる。パープルフリンジは発生していない。なお、この場に提示する画像は現像時にシャープネス等の処理を行っていない。(前回同様に元画像から部分切り出し)
F8に絞ると締りのある像を結び、前回の遠景の描写同様にかなり細かく解像している。(元画像から部分切り出し)
F16ではF8の傾向のまま被写界深度が深くなっているだけだ。
次は背景のボケ具合を示す。ブラインドの端にピントのピークを置いた場合、このような被写体ではF2.8の甘さは感じられない。背景のボケかたには好き好きがあるだろうが、個人的には特に嫌なものは感じられない。前回、このレンズはかなりニュートラルな発色かつ暖色系であると判断されたが、画像内の簾の色を見るとやはり赤系統(オレンジから朱色まで)の色乗りがよいのがわかる。
これまで問題がなかったようにF8ではさらにシャープになり、被写界深度が深くなったことも相まってブラインドの埃も描写された。この絞り値でのボケ具合も個人的には何ら問題ないものだと感じる。
ここで気になるのは、F2.8とF8における画像の明るさの違いだ。ブラインドの下側で明らかな差が現れている。他の例でも同様で開放F2.8では画像が暗い。これは周辺減光の影響だ。減光のパターンは周辺部だけ暗くなるものではなく、中心部から周辺に向かって大きく光量が減っている。こうなると被写体や表現意図によっては、絞り開放時に画角の中心の明るさを基準にするか周辺の明るさを基準して補正するか判断がわかれるところだろう。F値=T値のレンズはないし、キヤノンの往年の50mm F0.95が実測値F0.99でほとんどF1であったようにJIS規格内の幅で数値を丸めていることだけがAI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dを開放で使ったときの暗さの原因ではないと思われる。絞り開放での暗さは、中心部から大きな割合で周辺減光するパターンによって、周辺部だけ減光が気になるのではなく画面全体が暗く感じられるためだろう。絞り開放時に限っては半段くらいは暗いと割り切って露光量を与えたほうがよいかもしれない。このアンダーっぽさと周辺減光は現像時に容易に補正できるので撮影時は気にしないという姿勢もあり得る。
ちなみにDxO PLにAI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dのプロフィルはないので、このソフトの売り物であるさまざまな自動補正は便宜的に現行Gタイプの105mmマイクロとみなして行われる(2019年1月現在)。DxOのレンズテストデータを見てもAI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dはテストしていないのがわかる。Cpature Oneも事情は似たり寄ったりで、こちらもAI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dのプロフィルはなく、現像時にレンズは「Generic」として一般的なプロファイルが与えられる。他のソフトについてはわからないが、デジタル化以前のレンズであることを考えるとプロファイルを持っているソフトはかなり限られるのではないだろうか。
最後は平面の複写に近い条件だ。キャンバスにアクリル絵具で描かれた作品をありものの光で撮影している。F2.8ではベールを一枚かぶっているような甘さだ。このため絵のマチエールが描写できていない。逆の見方をすると、ポートレイトでソフトな描写に使えると判断する人がいるかもしれない。私はソフト化された描写が好きではないので深く言及できないが、逆光時や強烈な光線下では絞り開放でパープルフリンジなどレンズのアラが目立つのでソフトフォーカス的な描写をしたければ柔らかな光線状態を選ぶべきだろう。
前回掲載のF2.8、遠景、部分切り出しの画像をもう一度掲載してみる。
次にF8はしっかりとした硬質な感じになり問題は感じない。実物と比較して忠実な色彩表現に近く、暖色系かつ赤(朱、オレンジを含む)がきれいに再現されている。暖色系だが、緑、青といった色は影響受けずあざやかに発色している。色の再現性がよく、しかも記憶色に近い発色のレンズと言える。再現が難しいエメラルド色もきれいに発色している。
前回掲載のF8、遠景、部分切り出しの画像を掲載する。
F16でもF8と変わらない。
F22になると回析の影響を受け始めシャープネスが劣りはじめるが、この程度であれば現像時に補正可能だ。
性能を安定して発揮できる最もおいしい絞り値はF8〜F11、次いでF16くらいまでということになる。
今回の結果をまとめていく。
逆光または強い光線の直射や反射の影響を受けないなら絞り開放時のパープルフリンジは心配する必要はなく、開放が甘いのを理解した上で「使う」「使わない」を判断すればよいことになる。このレンズを敢えて選択する人は、たぶん積極的に絞り開放で使おうとは思っていないはずで声高に問題視するほどのことはないだろう。私は曖昧な描写に厳しいためこのように考えているが、古めのレンズの開放でゆるく絞って最高になる特性と考えればあたりまえの結果なのだろう。したがって逆に甘さを有効活用しようとする人がいるかもしれない。現代の高画素機でフィルムの時代の甘いレンズ(や開放が甘いレンズ)、球面収差等の収差を利用したソフトレンズを使用するとフォーカス位置の周りに油膜のようなにじみが出るケースがあるので、むしろ解像を求めて設計されたこのレンズの開放の甘さを使うほうがよいかもしれない。特筆すべき点は発色のよさだ。色乗りのよさには様々なタイプがあるが、このレンズは自然な感じの暖色系でバランスよくあざやかだ。再現が難しい色も難なく描写している。
AI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dを硬いレンズと言い表す人が多いが、常用絞り値での描写は単純に硬い訳ではない。前回のストロボ光(漫然とトップライトを与えた撮影)による静物を見ると、空間周波数が高いものについてマクロらしく分離がしっかりしている。ただし平面的な部分の描写はややのっぺりしている。これは現代のレンズの像を見慣れた感覚から生じる感想で、トーンの描き分けがいまどきではやや不十分なのかもしれない。トーン=グラデーションで、緻密なまでに無段階に階調が続く場合は細部の変化が抑揚になり立体感が表現される。逆に階調の描写が緻密でないなら平面的に感じられる。これを線の細さ、太さと言うなら、AI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dは現代の感覚では線が太めということになる。無段階の微妙な変化がなく明暗がはっきり二つに分かれるような状態が線の太さの特徴なので、この現象をもって描写が硬いという人がいるのだろうと思われる。
念の為、前回掲載の静物を掲載する。トップから大雑把にライティングしただけで、約1m程の距離から撮影している。この画像も現像時にシャプーネス等の処理をしていない。
この画像から部分を切り出したものが次の写真だ。
これで十分だと言う人がいても不思議ではないし、現像時の処理でいかようにでも調整できる可能性があると私は考えている。だが、もっとシビアにいつものように静物作品を撮影するなら私は現行のGタイプマイクロを使用する。AI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dをいつもの静物撮影で使うとしたら特性を逆手に取る場合だろう。
次に示すのも前回掲載の写真だが、これは薄暗い仕事部屋で高感度設定かつ成り行きの光で撮影したライトスタンドのブーム部分を切り出したものだ。
ライティングで工夫をしていないのもあるが、暗部は割り切りよく描写されている。金属の地肌部分は迫力がある。これもまたレンズのトーンにまつわる特性と関係している。十分に解像しているので曖昧さはまったくない。動物の毛並みや人物の毛髪についても、緻密なトーン描写をするいまどきのレンズではこの金属の地肌にみられるソリッドな風合と別物になる。もし毛並みや毛髪を一本一本の線として描写したいなら、AI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dは向いている。これはモノクロで生かされる特性でもある。なおカメラの最高感度まで上げるような薄暗さだったが、それでもマニュアルフォーカスでピンをはずさないくらいレンズの見た目上の抜けがよかった。
私が知っている中望遠ではMilvus 135mmは線が細く、繊細にトーンを描き切る傾向がある。これが現代の基準の極北なので、AI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dはだいぶ分が悪い。もしマクロ領域の撮影を専門にするならAI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dを積極的に選ぶ理由はない。では通常撮影でAI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dが使い物にならないほどトーンの描写が悪いのかというと、そこまで下げる必要はまったくない。ちゃんと写るうえに、なかなかの写りのレンズだ。いまどきのレンズでも(否定したり納得するのを拒絶する人は多いが)シグマのレンズは線が太い傾向があるし、シグマに限らず大胆で迫力あるトーンと言われるレンズには階調性が犠牲になっているものが存在する。たとえば国産Mマウントの超広角などだ。これらとAI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dの違いは、絵の出方にひと昔前の雰囲気がある点だ。ひと昔前の雰囲気は、解像度や階調性だけで簡単に言い切れない諸収差のバランスによるものだろう。
現代のデジタルカメラとの組み合わせで、AI AF Micro Nikkor 105mm F2.8Dは万能ではない。しかし、あと数年で誕生から30年になろうとしているレンズとしては嫌味な癖がなく、いまどきのレンズの延長上で使える性能を持っていると言えるだろう。
Fumihiro Kato. © 2019 –
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