写真ではスタイルがないコンセプトは無意味である

「コンセプト」という言葉は意味がわかっているようでいて曖昧なまま使われがちだ。コンセプトは「概念」「構想」である。構想はともかく「概念」がわかりにくい。概念は経験的事実ではなく、言語的意味内容だ。写真でコンセプトとは、たとえば「これまでの経験で海を知っている」という漠然とイメージされるものではなく、言語的に「海はナニナニであるからしてナニナニ」と説明可能なものになる。海ではなくモデルさんであったり、皿の上の料理であってもよい。さらに面倒なことを言い出すと「テーマ」と「コンセプト」は別物である。先の例で言うなら「海を撮影する」がテーマであり、その撮影コンセプトが「海はナニナニであるからしてナニナニ」と言語化できる意味内容だ。とても具体的なものなのだ。

業界の人は私がどっぷりそうだったのでわかるのだが、テーマやコンセプトと毎日のように口走っている。打ち合わせの最中に何十回と口にすることもあったし耳にしたこともあった。しかし、ちゃんと言葉の意味が理解されているとは言い難かったし、いまもそうだろう。写真を撮影する人は業界内にも、その他の業界にも多数いる。なかには難しい話をする人もいて、やはりコンセプトという言葉は意味が曖昧なまま雰囲気だけで使われている。業界人に限らずコンセプトの意味を理解して今日から生きていきたいものである。

往往にして写真についての「思いつき」や「目的」をコンセプトと称している人がいる。テーマは海、本日は海を明るく健康的に撮影するとか、自然賛美の写真にするとか、である。女性をざっくばらんに自然に撮影するとかもそうだ。広告では、テーマは特定の製品やサービスを売ることであり、ここに誰に売るかいつどこで売るかも含まれる。そして広告のコンセプトはときどきに応じて、広告の内容に応じて変化する。ところが作品としての写真を撮影する場合、ころころコンセプトが変わるのは違うだろう。突き詰めて撮影しなければ答えが見つからないので、どうしても数ヶ月あるいは数年はひとつのコンセプトとにらめっこすることになる。「思いつき」や一時の「目的」をコンセプトと呼ぶには抵抗を感じる。

広告制作で潜在的な問題となるのが、スタイルが確立されている写真家とプロデューサー、ディレクターといった人たちとの「コンセプト」の在り方の違いだ。前述のように広告は広告主と対象となる製品やサービスが変わればコンセプトがころころ変わる。このコンセプトに沿ってスタッフが人選されるのだが、スタイルが確立されている写真家にとって自分自身のコンセプトと「こうして撮ってほしい」とされるコンセプトが完全一致しないケースが生じる。広告のテーマ、コンセプト、表現形式はアイデア一発のように思われがちだが、実は何パターンかの定型・テンプレートから最適なものを選択するのがほとんどで、新機軸の表現なんてものはそうそうない(知っているCMやグラフィックを思い出して整理してみると気づくはずだ)。テンプレートがあって、写真家の得意不得意分野がわかっている前提があるから人選が大きく間違うことはないが、やはり内心の問題としてズレが生じるケースがある。そもそもプロデューサー、ディレクターといった人が広告ごとコンセプトがころころ変わるのを当たり前にしているのと、写真家等のスタッフが「思いつき」や一時の「目的」だけでものごとを考えていない点は明らかに別の世界を見ている。

作品をつくるうえで重要なのは、コンセプトは言語化できるものだがスタイルが伴わなければならず、スタイルが生じないコンセプトは机上の空論にすぎない点だ。

写真ではわかりづらいから音楽で考えてみたい。YMOというバンドがあった。テクノポップの始祖であり、現代の音楽の礎を築いた日本のバンドだ。YMOは細野晴臣のコンセプトで結成された。細野晴臣には白人音楽、黒人音楽に対して東洋人の黄色い音楽への構想があり、白人作曲家マーティン・デニーが思い描く東洋を曲にした「Firecracker」を東洋人が演奏してみてはどうかと高橋幸宏と坂本龍一にもちかけた。白人のタメ、黒人のノリをコピーするのではなく東洋人の音楽を表現するにはどこからはじめるべきかとなったとき、シンセサイザーとシーケンサーで無機的なビートを構築してみようかとスタイルが導き出された。ここに至る直前、こうしたスタイルの手前まで細野晴臣は至っていて、地続きで新たなスタイルを構想したのだ。ギターやベースといったロック(白人)やファンク(黒人)の色がついた編成ではなく、まだ色のついていないシンセサイザーをという目論見もあったろう。シンセサイザーをメインに据えシーケンサーでリズムを刻むスタイルではなく、ギター・ベース・ドラムを人力で操るスタイルでも東洋人による「Firecracker」は演奏できるがコンセプトに沿うスタイルではないのは私たちにもはっきりわかる。YMOはコンセプトの独自性とともにスタイルの独自性でオリジナリティーのある作曲と演奏をした。

細野晴臣のコンセプトは言語化されたから高橋幸宏と坂本龍一が賛同できたし、バンドとして活動することもできた。コンセプトは自ずとスタイルを生じさせ、スタイルは「Firecracker」以降の自作曲でも変化しつづけながら脈々と生き続けた。このようにスタイルが伴うのがコンセプトというものだ。スタイルから入るとコンセプトが曖昧なので独自なようで真似に終始して、継続して何らかの成果をあげるのも無理となる。ロックやろうぜとコピーバンドをはじめても所詮コピーの域で終わり趣味の同好会でしかなく、やがて飽きるか喧嘩しておしまいになりがちなのはここが問題なのだ。写真も同じであり、誰かの写真がかっこいいからと真似しても空疎なまま時間だけが経過して本質がいつまでもわからない。スタイルを真似るのは初手では誰もが通る道だし、完璧な真似のため技術が身につく側面はあるがいつまでもやり続けてよいものではない。

写真を撮り続けていると当初の衝動とナニカが変わって行くもので、この変化を言語化すると「コンセプト」になる。細野晴臣がアメリカのロックを手本にし「はっぴいえんど」で日本語のロックを突き詰めたのちワールドミュージックを経験し、そしてYMOに進んだようにだ。最初はかっこいいと思ってカメラを買ったかもしれないし、そのうちきれいなお姉さんを撮りたいとがんばったかもしれないが、なんだか違う気がしてきたという経過があったとする。そのなんだか違う感じや撮影してみたいものを整理して言語化するとコンセプトになるし、言語化できないままだとふらふらあてもない日々が続く。コンセプトとは流行りの言葉で飾った頭でひねり出した代理店が口にするようなものではなく、脳が感じ体が欲しているものを率直に言葉にしたものだ。マーケティング理論やら世論調査から生まれるものでもない。写真は撮影者が脳と体の共同作業でつくるものなので、どちらの要素も欠けてはならないのだ。

スタイルが生じつつあるとき、コンセプトはあとを追っかけてくるように言語化される。走りながら至る、のである。両者は一体のもので、切り離して別個に得られたり考えられるものではない。だからこそ「写真ではスタイルがないコンセプトは無意味である」。しつこく撮影し続けているうちに自ずとスタイルが生じはじめ、自分で自分のスタイルが意識されはじめると曖昧な感覚にすぎなかった「撮りたいもの」「表現したいもの」が言語されコンセプトがあらわになる。とにかくカメラを持って撮影しないかぎりスタイルもコンセプトも生じないし、寝ていてハッとひらめく手合いのものではない。脳と体が完全にシンクロする状態になったとき、コンセプトとスタイルが明確になる。新たなコンセプトとスタイルが他人には唐突なものに見えるかもしれないが、撮影者にとってはゆるやかな変化の波に乗ったひらめきだ。

「写真は理屈じゃない」は一面正しいのだが、直感と雰囲気だけで撮影していても限界値が低いままで終わる。細野晴臣の例ではないが、継続的に高次元の仕事をする人は自分がやっていることをちゃんと言語化している。言語化したものを外部に発言として表明するか否かはどうでもよいのだ。

私ごとだが、しつこく海と砂浜、砂丘を撮影しつづけているのは今に至って思えば幼年期に身近にあり連日のようにぶらぶら歩いていた新潟の小針海岸の影響だ。人生で二度目にモデルさんを作品づくりのため撮影したのも九十九里の浜だった。このとき遠大な砂浜以外にロケ地はあり得なかった。しかし表現のスタイルは現在とはまったく別物で、かつては撮影するだけでいっぱいいっぱいだった。この歳に至り、ようやく現在のスタイルになった。そしてスタイルは固定されながらも変化し変形している。

スタイルと美学は切っても切れない関係にある。砂浜だったらどこでもよい訳ではないし、どんな表現でも満足できる訳でもない。他人にとっては私のスタイルは変なスタイルにみえるだろうし、どうして細部のその箇所にこだわるのかと馬鹿らしく感じるだろうが、私にとって「ある一定の何か」が基準になっていて逸脱するものは美しくないのだ。海景に絞り込んで撮影をはじめた当初、私はハイコントラストの写真をつくり続けた。やがてどうしても突破できないモノゴトとして写真に表れる汚さに気づいて、ローコントラストな世界観へスタイルが変化した。私には汚いと感じたモノゴトは他の人にとっては別にどうでもいい問題だろうし、はたまた美しいと感じるものかもしれない。実際に「そこが気に入った」と写真を買ってくれた人がいるのだから美しいか汚いかの見解の相違があるのは間違いない。でも私はずっと気がかりだったし、私はそういうモノゴトを写真で表したかったくなかった。このように脳が夢見ていた世界を表現するスタイルが手法として導き出されつつあるところまでに2年くらいかかっただろうか。ふりかえると過去の作品につらさを覚えるけれど、この過程を含め私なのだと納得するほかないし、過程そのものが表現だったのだ。

表現したい世界観を夢見ていた脳は、どちらかという理性を司る部分というより肉体そのものに近い部分で、大脳は大脳でももっとも古い記憶を蓄える部分あたりのような気がする。幼年期に見て触れていた砂丘は起伏があり風紋があり、錆だらけで大きな機械が打ち捨てられていたりする遠大なものだった。まだ人生の屈託を知らない時期のことで、遠大さに怖さを感じないこともなかったが具体的な恐怖はなかった。この感覚は「畏怖」と表現できるものに近く、畏怖は世界との一体感にも通じる感覚だったように思える。いまでも私は海に恐怖心があるので手放しに海が好きとは言えないのだ。これらは言語化されないまま何十年も私の脳内にあった。

ではコンセプトは何なのか、だ。私が海と砂丘を撮影するのは、この世の側からあの世へ片足を踏み入れて見える光景を確認したいからだ。幼年期は自我が生じて人間らしくなる第一歩で、同時に生まれたばかりのあちらの世界とこちらの世界が渾然とした状態にも片足が残っている時代でもある。幼年期の視界または感覚を繰り返し経験したいのだろうし、この歳になってあの世にまた近づいているから現世との境界を確認したいのかもしれない。私にとって「あの世」は海と砂丘の風景で、あの世は音や(自分のつぶやき以外は)言葉のない世界なのだ。当初のハイコントラスト調は畏怖ではなく恐怖に根ざした表現だった。だが恐怖を通して表現しても、あの世の静寂は見えてこないのだった。やがて現在のスタイルに自然と移行したのは、この目で見たい世界をどうやったら見ることができるか試行錯誤した結果だ。だから私の現在のスタイルが他人には風変わりであったり、なかには写真ではないと言う人がいても不思議ではないし、そうそう他人にわかってたまるかという部分もある。私は私の三途の川ならぬ三途の海、三途の砂丘を描いている。そこが極楽か地獄かまだわからないあの世の入り口を撮影しているのである。

私の海景、砂景作品のコンセプトは「現世からあの世に至る世界観を表す」だ。

話をスタイルとコンセプトに戻そう。

コンセプトがスタイルというカタチに直結していないなら、もっともらしい掛け声で終わる。カタチにするにはスタイルが必要だし、カタチそのものがスタイルだ。写真は機械が光の像を結ばせ記録するものだから、絵画と違い多少のくせはあっても機材さえ揃えば誰が撮っても似たようなものになる。ここが難しいところでスタイルを打ち出しにくいため被写体に極端なものを採用したくなる。他人が見たことのなさそうなもの、世の中のアウトサイドのものなどなど。ここに偽悪的な演出や構図や色彩(あるいはモノトーンのコントラスト)やライティングを加味すれば、多くの人はぎょっとしてくれる。ここは誰もが通る道で、私も他人が知らないものや見逃したり視線を逸らすものを敢えて撮影したことがあった。「ぎょっとさせる」は写真の歴史そのものでもあるし、私のスタイルもこうした傾向と完全無縁ではいられない。でも、これってチキンレースではないかと私は考えるようになった。

人生のチキンレースを競うところに男気があるとか、写真家なんてものはギリギリを極めるところがかっこいいとか、こんな風潮が一部どころかかなりある。写真家のスキャンダラスな生活のほうが先で、その結果の写真が続いて評価されるなんてことがずっと続いている。ほら一般に知られている写真家はたいがい人間性を売り物にした物語、これが実像か虚像か問わず危なっかしさの物語のうえで語られがちでしょう? だから虚像をこしらえるのに奮闘している人が多いし昨今はとても増えた。アウトサイダーを気取ったりVIPのように飾り立てたり、生意気に振舞ったりとか。こんな物語と無縁なところにいたのは日本では名取洋之助さんや木村伊兵衛さんや植田正治さんくらいのものだ。三人は表現された写真だけで完結している。私は撮影者自身の物語なんてどうでもよく、それより作品そのものが常人と違う独自の狂った世界観を表現できていればよいと思うし、そこに私にしか見つけられないものがあるのに気づいたのだ。そして現在であり、数ヶ月後にはまた徐々に変わっているかもしれない。私が仰々しく写真美術家を名乗るのはチキンレースからおりた決意でもあるし、絵画にはない表現で写真の美的領域を進む意思を表している。コンセプトしかりスタイルしかり。チキンレースとは無縁だから、私が撮影しているものは誰もが手にできるものや出かけて行けるところにある。そしてなんでも撮れます、撮りますという看板は掲げないのだ。

Fumihiro Kato.  © 2018 –

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Profile

F.Hiro.K
加藤(文)文宏 / Fumihiro Bun Kato a.k.a Hiro.K
写真家・作家 / Photographer Author
・北海道北見市生まれ。
・大学卒業時までに詩集「無題あるいはサラバ」、同「Cadenza」発表(共に絶版、在庫なし。「Cafebza」別装丁私家版のみあり)。
・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。
・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他)
・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。
・不二家CI、サントリークォータリー企画・取材、Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告、武田薬品工業広告、他。アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材、MIT Museum 収蔵品撮影 他。
月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。
・長編小説「厨師流浪」で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」他、小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。
・獅子文六研究。
・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。
・各メディアにおけるスチル撮影。
・オリジナルプリントの製作、販売。
・JSAHP正会員
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