構図をどうするか、センスだけの問題か(ある会話の2)

おいちゃん:予告したおかげで連休はめんどくさい奴としゃべくってると。
おいら:約束をやぶったら嘘つきになるしな。

おいちゃん:構図はけっこうセンスの問題だと思うわけだが。
おいら:否定できないし、センスなんだけど写真的センスとはっきりさせたほうがいいと思うんだよね。というのも、絵をうまく描ける人なのに写真は皆目駄目な人がいるわけです。構図もね。でもって、写真的センスはどれだけたくさんよい写真を見てきたかも重要で、かなり重大なんだと思う。こういう積み重ねが、スタイリッシュなものを決めるセンスと複合するんだよ。
おいちゃん:でも生きてりゃ、毎日写真は見るだろ。
おいら:あまりにも多くのものを見るよね。インスタ、ツイッターとか、あと街のポスター看板とかさ。広告の写真見てもダメとは言わんけど、ちゃんと作家が作品として撮影したものを見ないとなあ。一枚もののイラストをいくら見ても、漫画の画法とか作法とかはまったくわからないのと同じ。

おいちゃん:分野違いってことか。
おいら:それもあるし、広告の写真とくに人物どーんという感じのものは余白がないよね。あれはそういう目的で撮影してるしデザイナーがレイアウト時にトリミングしてるし。人物どーんの広告はライティング見るのには好都合で、アートディレクターと写真家が何を目論んでるのかとか、最近はこういうのが流行ってるよなとか発見するためまじまじ見るよ。あと海外の作家についてまるで興味がない人がいるけど、そういう人はもう写真やめたほうがいいよ。
おいちゃん:また敵をつくるようなことを言う(笑)
おいら:別に最初から味方でもないんだし、言いたいことを言わないと嘘つきになる(笑)

おいちゃん:構図を取るとき何考えてる?
おいら:安定。安定を考えると、動きを考えざる得ない。そうこしてると余白が気になってくる。動きとは、安定を崩すものとか要素。なんだけど、トータルでは何らかの幾何学的な安定に寄与するんだなこれが。余白は、余白がないという選択肢もあれば、余白こそ主題じゃないかと思えるときもあるね。
おいちゃん:こういった要素は連動して判断するの?
おいら:そうだね、一瞬のうちに。
おいちゃん:けっこう日の丸構図でしょ。

おいら:日の丸構図が基本なんだし、下手に左右に重心を移動させると移動の意味と移動量の意味が生じるわけですよ。どうしてその中途半端な位置に動かしましたかについて答えがあるならいいわけ。日の丸構図を避けましたでは、まったく言い訳になってなくてさ。写真的引力が生じる物体は真ん中におけばいいという、ね。理由があるときだけ移動させる。

おいちゃん:黄金分割とか意識する?
おいら:意識しなくても、自然とそうなるっしょ。さっき、おいちゃんは構図はセンスだと言ったじゃん。
おいちゃん:じゃあ、これもやっぱり写真をどれだけ見てきてかなのか。
おいら:最近の人というか、おいらよりちょっと若い素人の人がなんか変なこと言ってて、それって古めの漫画の主人公の写真部の人のセリフなんだって。コミックで笑いを取るためのセリフなんだろうけど、結構まじで信じちゃってて、これは漫画家の写真にいっちょかみの人がテーゼにしてるからセリフになってるという。でもって、こういうの記憶してるだけで写真作品については何も知らないとかさ。
おいちゃん:また敵をつくるようなことを言う(笑)

おいちゃん:風景と静物、ポートレイトで構図のキモは変わると思う?


おいら:横構図はランドスケープ、縦構図はポートレイトととも呼ぶよね。広さを表したいから横にして、意識を狭い範囲に集中させたいから縦構図にするからね。ここで分かれ道になるのは、横構図では水平方向に伸びる要素の水平の正しさがほんと気になるけど、縦構図の場合は水平方向の要素が画面に応じて短いし、縦方向のものは長いけどあんまり垂直の正しさは気にならないという点だな。
おいちゃん:ああ、そんな気もするな。
おいら:すべてがそうではなくて程度問題だったり、主題によったりするけどね。
おいちゃん:風景の場合、けっこう厳しく水平をとってるよね。
おいら:水平が崩れてることを相手に自然なうちに納得させられるか、気を取られず写真を観てもらえるかなんだな。まあそれと海を撮影してると、水平線と地平ははっきり水平だから崩すなら理由があってのことで、もし曖昧に崩れてると責任者出てこいと言われがちだ(笑) あと準広角でも仰角、俯角がつくと水平線が曲線になるんだわ。まして超広角だと正確な垂直を出しても地球が丸いのが微妙にわかるくらいで、そういうのは排除する方向でやってる。

おいちゃん:植物の静物を撮ってるけど、やっぱり風景とは違うもん?
おいら:静物はライティングからなにから、全部自分の責任で、自分が正しく準備して正しく撮影しないとならんでしょ。言い訳ができない。構図も上下左右奥行きが狭い撮影台の上でやりくりする。しかも要素が植物だけの撮影をしているから、構図のセンスとか勉強になるよ。

おいちゃん:水平、垂直なんて気にせず撮れという人もいるよね。
おいら:荒木さんとか。なんだけど、荒木さんだって水平垂直をちゃんと出した作品があるんだし、あの人は勢いで言うから恐縮して信じなくていいと思うよ。気にしてたらキリがないと感じるならそう撮ればいいし、画面構成の要素が複雑化するというなら厳密にすればいいだけで、おいらは後者である場合が多いというだけだね。ものごとを単純化して、幾何学そのものに近づきつつ、記号や図面ではなく写真にしたいから。もうこのくらいでいいにしない? これは目的に応じて何を優先するかでしかないから。

おいちゃん:そう言えば、主たる被写体っていい方してるけど、それはそういう単語があるの?
おいら:ない。造語だね。
おいちゃん:どうして造語したの?
おいら:スタジオでポートレイト撮るなら関係ないけど、風景を撮影してるとさっき言った写真的引力が強い被写体と、そうでもないけど映り込むものがあるじゃないですか。どちらも意識せざるを得ないものだから被写体なんだけど、引力が強いものに向かう意識のほうが強いし画面内での影響力もあるから「主たる」と言い始めたんだな。
おいちゃん:その主たる被写体を画面の中で大きく写さないことが多いよね?


おいら:そうそう。これは前回も話したけど、写真的引力が強い……つまり主役になり得るものがあって、そういう物体は引いても声がでかいわけで、しかも声がでかいからといって意味のあることをたくさん喋ってるとは限らない。アップにすればよいというものでもないって話ね、これは。磯の岩礁の杭を写したこの写真なんだけど、杭そのものは何にも面白くないわけですよ。でも写真的引力が強くて、なぜ強いかとなると自然界のなかに人工物が存在理由がはっきりしないのに整列してるから。となると、杭と他の要素との比率は適切化しなければならなくて結果として小さく描画することになるよね。
おいちゃん:これは横長にトリミングしてるね。
おいら:空と海は、そこに存在してることがわかればいいだけだから。

おいちゃん:水平線の位置が低い。
おいら:この場合、岩礁の塊があるからこれより高くすると海面の間がもたないし、海面にどんな意味があるのかわからないままになる。空はこれでいいわけ。岩礁を上からの圧力で安定させるための空だし、スケール感と静けさを出すための広い空だから。
おいちゃん:焦点距離を変えるとか、立ち位置を引いたり寄ったりすることは考えなかった?
おいら:焦点距離を変えても岩礁と杭の比率が変わるだけで、この程度の圧縮感は欲しかったしで。あと立ち位置は、この杭を発見して歩いてきてここしかなかったというか、焦点距離との兼ね合いで構図はこれしかなかったわけ。
おいちゃん:これ何mmで撮ってるの?
おいら:135mmだね。

おいちゃん:風景で135mmってどうなの?
おいら:いっしょに持って行く45mm、15mmと比べると使い所の幅は狭いよ。70-200mmのほうが70mmからある分だけ使えるケースは広がると思うでしょ、でも違うんだよなあ。これはおいらの場合であって他人の感性は知らないけど、肉眼の動きとシンクロするのが45mmと15mmで時々135mmなんだな。風景を撮るのは、肉眼で見たものの総合的な気分や雰囲気を写真にしてると思うのですよ。風景の中にある固有のなにか、たとえば……杭とか建物とかを抽出して撮りたいわけではないと。だから、あんまり長い玉は使わない。その場でいいなと思う固有の何かなんだけど、それだけを撮影すると面白くもへったくりもないんだよね。さっきの杭の大きさの話にもどっちゃうけど。

おいちゃん:いつも15mm使う人って、あんまりいないよね。
おいら:人それぞれだし(笑) ただ、超広角を使ってると悟られないような使い方になってるよ。
おいちゃん:それは意識してるの?
おいら:意識してたら常用するのは疲れちゃうんじゃないかな。垂直方向にパースの誇張がつかないようにしてるけど、これだけでグロテスクな感じが減って「広角でしょ」的なくらいで収まるんだよね。絵をうまく描く人で写真が下手くそな人は、レンズの物理的な効果に頓着しないし、奥行きとかのパースもファインダー像を見ないで脳内で勝手に翻訳してたり、ファインダーの四隅というか画角がどこまで写してるかも同じように見てないんだろうな。なんのためのファンインダーなのかと。
おいちゃん:じゃあ、けっこうファインダーを隅々まで見てるってことか。
おいら:見るけど、時間は短いと思う。あと水準器は欠かせないとかね。塊ごと見てるというか、要素の比率や位置関係には気を使ってると思う。

おいちゃん:超広角は寄れっていうよね。
おいら:それは広角まで、とおいらは思うね。超広角の激しいパース描写は、寄ると物体の変形が著しく目立つんだよ。むしろ、ある距離以上は寄るなだな。じゃあなんのために超広角を使うのかというと、余白。また言うけど、世界観を示す余白のために超広角を使ってる。それとですね、古典絵画から近世までの風景画を観ると、パース感は別として画角に相当するものが超広角っていうのが大量にあるんだよね。で、これらで何らかの対象に激しく寄って描かれているかというとまったく違う。なぜ写真だけは広い画角のとき被写体に寄らなければならないのか。変だろ。
おいちゃん:そりゃ被写体が小さくなるからで、何を言いたいかわからない写真になるからだ。
おいら:だったら画角が狭いレンズで撮影すべきだろうなあ。超広角をカメラにくっつけてるほうがおかしいという話だよ。
おいちゃん:えっ?

おいら:整理すると、な。引きがない状況で、巨大な物体を画角内におさめたいから超広角。これは異論ないだろ。たとえば建築物を引きがない場所で撮影するなら超広角だ。引きがあるなら、もっと画角が狭いレンズを普通は使うよね。こういう超広角を、パースが誇張されるのを面白がってサイケデリックな風潮が蔓延した60年代から70年代に人物の撮影なんかに使う人が出てきた。篠山紀信も、女性ヌードを変形させて喜んでた時代があって代表作にもなってる。素人が魚眼レンズではしゃいでるのと同じ。この時代から超広角の使い方はあんまり進歩してないんだな。形状を変形させないで、パースのダイナミックさを生かしつつ静かな構図を取ろうとすると、主たる被写体には寄りたくないし、むしろ余白の世界観を尊重したくなる。って、ことかな。
おいちゃん:水平垂直もそうだけど、形が大きく変わるのを嫌ってるよね。
おいら:そうだね。これは生理的な好き嫌いで、感性がそうなんだろうな。はじめて28mm広角を手に入れたのが10代の半ばからおしまいくらいの時期で、どうしても広角が欲しかったんだよね。そのときから広角特有のアングルで生じるパースのデフォルメが大嫌いだった。続いて大学入学で上京した直後に20mmを中古で買った。これで実験的な静物を撮影してパースのデフォルメを利用したくらいのもので、あとは変形を排除する撮り方だったと。
おいちゃん:筋金入りだ(笑)

おいら:しかしなんだけど、いくらパースの誇張で変形するのを嫌っていても避けられないものがあるわけですよ。
おいちゃん:んー、なんだろう。
おいら:うまく説明しにくいけど、「あごの下」と自分の中では言ってるもので。
おいちゃん:それじゃあ、わからんよ(笑)
おいら:えっと、この写真で説明するよ。超広角で撮影してる写真がこれで、視点の位置つまりカメラは赤丸のところにある。


おいちゃん:こうやって示すと、けっこう高い位置にカメラがあるのがわかるな。
おいら:おいらの身長なりに日常的に風景を見てる高さだ、これは。
おいちゃん:なるほど。
おいら:写真は二次元だから図で説明できないけど、灯台より手前に視点の位置、カメラの位置があることになる。このときの状態をざっくり描くとこうなる。

おいら:画面の上は視点位置から見上げた状態になる、と。すると、肉眼ではこんな風に見えないのに、灯台の上側が……そうだなあ、人間があごを上にぐっと逸らしたときみたいな状態になって、だから「あごの下」現象。これが気になるわけ。上だけに発生するのではなくて、下側もそうだし、左右の端側も中央中心の視点位置からの距離というか位置関係相応に、方向は違うけどむにゅーんと変形して見える。

おいちゃん:ああ、そういうことか。だったら、もっと視点を上げれば気にならなくなるのか。シフトレンズとか?
おいら:解決策のひとつかもな。あとは距離を取って、画角内に占める灯台のサイズが小さくなれば気にならない程度になる。ほんのわずかな高さ、距離でこれは気にならなくなるんだよ。で、最近別の方法があるのに気づいた。
おいちゃん:なにそれ。
おいら:複数のカットに分けて超広角相当分を撮影してパノラマ合成でつなげる。ただしこれだと広角とか準広角を使うのがふさしいわけで、パースの効果は使うレンズに依存するので見た目が違うことになる。それとパノラマ合成特有の癖っていうか、遠近法を使わない限り回転しながらの視点にならざるを得ない。でも遠近法の合成は上下3段、横も3点以上にしようとするとシビアでちょいとやっかいで、円筒法や球体法が楽というね。遠近法はやっぱりシフトレンズが楽そうで、なんだったら人力でつないだほうがとも思ったりする。
おいちゃん:それでパノラマ合成のことを書いてたのか
おいら:おいちゃん、ほんと優秀な読者だよな(笑) まだパノラマは直感的に現場で計算できない部分があるし、1点から超広角の視界で観た風景に魅力を感じるからテーマが変わったときに本格的にやるかどうかだね。

おいちゃん:話は変わって、そう言えばF8固定なんでしょ?
おいら:ほぼそうだね。他の絞りを使う理由がないから。135mmだけは開放を積極的に使ってる。そういえば最近、15mm F2.8の開放を実験していてなかなかよさそうだけど、サイトに上げる小さなサイズでは魅力が伝わらないね、これは。
おいちゃん:F8だけでいいの?
おいら:超広角なら至近距離から無限遠にピンが回るし、45mmでもよほど至近距離にピンを置かない限りパンフォーカス的になるわけ。しかも、レンズのもっともおいしい絞り値だし。中途半端なボケは、「なぜ?」という余計な要素になるんだなこれが。135mmくらいになると絞ってもピント位置から数十センチ、数メートルが曖昧なボケになって、特に前ボケが鬱陶しくていらいらするんだよね。さっきの岩礁と杭くらいなら気にならないけどね。とすると、そういうの以外は開放ねらいの構図と題材にするほかなくなる。かなり場所と被写体を選ぶのが望遠だね。というか、大判を使っていた時代は標準域でもピンを回すためアオリだったと。

おいちゃん:なんだかまとまりのない話になったけど、いいのか?
おいら:いいんじゃないか。で、質問とかして?(笑)
おいちゃん:じゃあ結局のところ構図って何だ?

おいら:構図かあ……。何を言いたいかがないと構図は決まらないし存在すらしない。何を言いたいかはっきりしてれば、頭で考えるまえに体が動いて構図が決まる。ということ、じゃないですか?
おいちゃん:それはセンスの話になるなあ。
おいら:だったらねえ、技術があって頭と体に身についていても最適な構図は決まらない。経験値で構図の大枠は決まる。って、話じゃないですか。ブツ撮りが天才的な人でも風景がうまいとは限らないです。それは興味とか撮らなくてはならないって気持ちが薄いってことと、風景での経験値が足りなければ構図の引き出しがないから無理ってことで。精神論より、後半の引き出しの数だと思うんだよね。パターン化なんです。ただ被写体や環境が変わればパターンを基にいろいろ変えないとならない。あとパターンがないと、パターンを崩すことも不可能だよ。怒涛のようにさらに言うと、超広角をつかってるなとか望遠だなと観た人に言われるようなものはダメです。そういうところに真っ先に感づかれるのは、本質がちゃんと整理できていない。

おいちゃん:わかったようなわからんような気がするけど、そうなのかね。
おいら:なんだったら、また構図とかロケーションの選びかたで話をしよう。
おいちゃん:またかよ。まだ続くらしいですよ(笑)

Fumihiro Kato.  © 2018 –

Unauthorized copying and replication of the contents of this site, text and images are strictly prohibited. All Rights Reserved.

 

Profile

F.Hiro.K
加藤(文)文宏 / Fumihiro Bun Kato a.k.a Hiro.K
写真家・作家 / Photographer Author
・北海道北見市生まれ。
・大学卒業時までに詩集「無題あるいはサラバ」、同「Cadenza」発表(共に絶版、在庫なし。「Cafebza」別装丁私家版のみあり)。
・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。
・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他)
・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。
・不二家CI、サントリークォータリー企画・取材、Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告、武田薬品工業広告、他。アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材、MIT Museum 収蔵品撮影 他。
月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。
・長編小説「厨師流浪」で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」他、小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。
・獅子文六研究。
・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。
・各メディアにおけるスチル撮影。
・オリジナルプリントの製作、販売。
・JSAHP正会員
Translate »