Milvus 135mm の話

以前、中望遠が好きだとする想いをここに書いた。私は超広角を常用しているけれど、物体の形状がデフォルメされるアングルは大嫌いで、もともとこういった性格のため何事も端正な中望遠が好みなのだ。初めて買った交換レンズはミノルタの135mm F3.5の質流れ品で、ヘリコイドのグリスが劣化していてこれでもかと力を入れないとピントを合わせられなかったが大好きな焦点距離だった。ところが、Canon FD の135mm F2を最後に135mmはとんと縁がないままだった。FDの135mm F2の開放付近は当時でもかなり甘く、現像や紙焼きで調子を整えるのに苦労した。フードはコンタックス用のかなり深いものを使っていたが、こういった理由で甘さが軽減されるものではないので結構四苦八苦しながら使ったものだ。

ずっとご無沙汰だった135mmだが、まあいろいろ考えるところありでMilvus 135mmを手に入れた。というのもツァイス以外の135mmはカタが古いか、納得できないものしかない。135mmと言えばS社の明るいレンズがサードパーティーにはあるけれど、寒色傾向なのではなくコーティーングが悪いのでまったく色のりしない。フルカラーだろうとモノクロにするにしても、色のりが悪く色のディティールが適切に記録できないのでは話にならない。この話も以前したが、淡い彩度や微妙な明度違いの色が入り混じってディティールを構成している部分を、色のりが悪いレンズは色の差としてちゃんと記録できない。ディティールはモノクロのチャートのようなものではないのだ。つまり解像していないのと同じであり、いくら数値性能がよくてもダメなものはダメだ。というか、使いどころが違うのだろう。だからMilvus 135mmなのだ。

コシナのツァイスは、現在のところ1ヶ月に2回しか出荷されていない。製造ラインを山ほど用意できないのもあるが、そもそも大量に出荷するようなレンズではないのに1ヶ月に2回出荷だ。そもそもMilvus 135mmを所有して使っている人は多くなく、135mm単焦点は他の単焦点と比べても人気がない。これでも四六時中出荷できないのは、検品がとても厳しいためハネられる個体が多いからだ。公差や規定値の振れ幅をかなり小さく取っているのだろう。この2回の出荷にラインナップされている全品目が出荷される訳ではないので、私の場合はすんなり手に入ったけれど店頭在庫以外はタイミングを逃すとやたら待たされる可能性がある。こうした製造の厳しさは、手にとったときのみっちり詰まって隙間がないような感触からもわかる。無駄に重いだけではない。(なお大手量販ではありえないが、中小の小売ではツァイスのレンズの在庫がないのに「在庫あり」としている例がしばしばだ。客を逃したくない一心で、儲けより販売機会を優先するので注文が入ったとき店員が大手量販で買ってきたり、倒産品などを買って販売するのはまだ良心的かもしれないが、「今さっき在庫がなくなったので発注します」ということもある)

で、Milvus 135mmのピントリングの位置だが、世の中に出回っている中望遠レンズと比較するとかなりマウント寄りだ。不思議なもので、他のレンズの癖が手にしみ込んでいるため、使い始めは指が鏡胴の先を探って迷子になった(ゴム貼り部分以外を操作してもレンズを繰り出せるのだが)。どうしてこんな位置にするかなあ、だったのだ。指がMilvus本来のピントリングの位置を憶えた段階でわかったのだけど、この位置に左手の指がくると自然と脇が締まるようになっている。脇だけでなく、右手と左手が理想的なカタチになる。こうした設計がツァイス、コシナいずれのものなのかわからないが、かなり写真撮影がわかっている人によって決められたピントリングの位置だ。これにはちょっと驚いた。

こうした観点でツァイスの新レンズを見ると、どのレンズもほぼ同位置にピントリングがあり、Milvus 135mmだけが特別ではないのがわかる。

偶然や設計上の制約から決められた位置ではないのは確かなのだった。

コシナツァイスの分類で現在Classicと呼ばれている旧レンズとMilvus 135mmの光学系は同じで微調整を施した違いしかない。Classicの135mmは同分類の中ではMilvusのラインがはじまる直前にラインナップされただけに設計が新しく、前々から評判が高いものだったので「どちらでもよいな」と思っていた。Classicはフードのマウント部が銀色メッキで、開口部に銀色はないだろとココだけがネガティブな印象だった。こんなこととどうせなら新型だろうしで、Milvus 135mm一択の選択をした。

現在Classicに分類されている15mmはずっと使用しているので、古典的な設計のClassic 50mm、85mmなどは別として、Milvusに通じるツァイスの感触はなんとなくわかっていた。抜けがよく、レンズの枚数が多いにも関わらずクリアなところなどだ。Milvus 135mmもまったく同じ傾向で、ほとんど肉眼と変わらぬ視野を得られる。肉眼の視野は周辺がむにゃむにゃとなる分だけ割をくい、むしろレンズを通して見るほうが隅々まですっきりしている。これで写りが悪かったら意味ないが、両レンズとも繊細に細部を捉えてくれる。私は顕著な二線ボケやうるさいボケを除くと、ボケ研究家のような違いのわかる目を持っていない。ただ、ツァイスのボケはみんなが言うほどよいものとは感じないので期待はしていなかった。実際にはMilvus 135mmで懸念するようなボケは経験していないので満足している。

色の再現や写りは日本のメーカーと明らかに違うもので、どちらが良くて悪いといったことではなくそれぞれが個性だ。またこうした違いがあっても、誰もがそうしているようにアウトプットを自分なりに標準化するものだし、そうしなくても最終出力を見てレンズの銘柄を当てることはまず不可能だ。しかし、やはり国民性なのか伝統なのか言語化不可能な領域に違いがある。たぶん(まったく根拠はないが)緯度の違いが太陽の高度の違いになり、これに伴う光、これに伴う気候条件の違いになり、肉眼で物体を見る感覚の差になり、レンズの個性の違いになるのではないか。日本だって、関東と東北では太陽光と空気感が異なるのだし。

脱線して肉眼で捉えるものの感覚について書いてみる。瞳の色はメラニン色素の濃度によって決まるが、緯度が高い地域で発生した民族には瞳の色が薄い人が多く、やはり太陽光の強さが影響しているものと思われる。これは明るさの感覚の差となって現れ、瞳の色が薄い人は暗所を色が濃い人より明るく感じている。こうした視覚の差は部屋の採光や照明など日常からして違うものにし、ライティングや露光値決定の違いにも現れる。ヨーロッパの特に北方の民族には、アジアの民族一般の採光や照明の標準が明るすぎると感じられるようで、直接照明を嫌い間接照明が一般的なのもこうした違いによるものだ。電灯が発明される以前の演劇でヨーロッパでは日本の歌舞伎ほど役者が白塗りしていなかったことを思うと、明暗の差はEV1以上の感覚の差なのではないかと想像される。

これだけ違うのだから明るさによって左右される色への感覚が異なって当然で、より明るく見えるなら同じ色が明度上がりして見えて当然であり、濃縮味のある色調でないとペラペラ派手派手に見えるのかもしれない。そもそも他人が見ている色と自分の感覚が同じなのか違うのかどうにもわからないもので、稀に錐状体が青・緑・オレンジ用の3種ではなく4種ある人がいて異なる色覚で外界が見えているらしい。正確な色再現という表現を日頃から疑いもなくしている私たちだが、チャート上の色と写真撮影された色が一致しているとするのは一般的論でしかなく、紫外線域が一部見えている特殊な人はまったく異なる次元で色の同一性を語っていることになる。ここまで極端ではないとしても、瞳の色の濃度差によって明るさへの感覚が変わるなら理想とする色調もまた違うだろうし、肌表現の理想も変わるだろう。

肌のメラニン色素が薄い民族は、白っぽい肌表現を好まない傾向がある。血流を感じさせる赤さに、さらに日焼けが伴うメラニンの色がのっている状態が理想だ。このためラテン系、ヒスパニック系の肌色がセクシーな肌色とされる傾向があり、アジア人の美白願望と明らかに異なっている。なので、肌色表現の如何が問われるレンズではツァイスやライカなどに暖色傾向があり、この点に関して数十年前の日本のレンズは結構無頓着だった。冒頭で触れたように、レンズの色の再現性はコーティングで整えている。硝材と硝材の厚さによって透過する光のスペクトルは異なり、複数のレンズを組み合わせる撮影用レンズでは表面反射を抑えるためだけでなく、透過する色を調整するためコーティングが利用されている。カールツァイスのコンタックスブランドがヤシカ、京セラで復活したときのT*レンズの衝撃は、コーティングによる色の再現性の衝撃でもあった。ただし暖色傾向といってもメーカー個々に理想が異なり、赤(またはオレンジ)だけ影響を受けるものではない。

で、Milvus 135mmの色再現だ。Milvus 135mmの色再現について、私は赤(またはオレンジ)よりも植物の緑の領域に国内メーカーとの違いを顕著に感じる。植物の緑は、実際にはかなり黄色成分が多いものだ。つまり赤からオレンジを経て黄色の領域が影響を与えた色となる。また鉄の赤錆のような色、赤土や濡れた砂の色についてもツァイス独特の発色があり、一言で言えば濃密だ。これが「正確な色再現」なのかどうかは前述の要素もあるし、他の要件もあるから私はわからない。で、この世界に存在するあらゆる物体のうち人工物を除くとほとんどのものがシアン、青、マゼンタ、紫以外の赤から緑の領域の色で占められている。このため暖色傾向を示すレンズは色のりを実感しやすいとも言える。暖色傾向の反対が寒色傾向だが、これは暖色に対する反語ではなく「色のり」しないレンズ特有の色再現を表す語だ。特別にシアンや青が濃厚に撮影できる訳ではない。

青空の色が濃厚に鮮やかに撮影できるレンズ、あるいはこうした傾向があるセンサー(あるいは回路)が一部で持て囃されているらしい。こうしたレンズやセンサーは寒色傾向とは言わない。これらは、波長が比較的短い青に固有のピークを持たせマゼンタや紫に転ばない特性を持っている。これはこれで価値観のひとつであり個性だろう。これが「正確な色再現」なのかどうか、またまたなんとも言えない。でもこうした特性で困ることはない。困るのは、色のりしないレンズで、こうしたものは往々にしてカラーバランスもまた悪い。緑やマゼンタがふとしたことで突出したり色が飽和したりする。どこの何について書いているか、ここまで読んでいただければ明白だろう。

Milvus 135mmはとてもまっとうでくそまじめなレンズだ。単焦点中望遠として最長の焦点距離なので、物体のフォルムが崩れにくく、遠近感の圧縮はあるが心理的に迫ってくるほどではないので、こうした焦点距離の特性からもくそまじめ感がある。開放から像の崩れや解像の破綻がなく、絞りは本来の用途である明るさと深度の調整の意味だけに存在する。周辺光量の変化も安定していて想定が外れることがない。ここがツァイスの15mmと違うところで、基本は同傾向だがもっとフリーなマインドというか図々しいというかだ。ただどちらも私の肉眼とシンクロする焦点距離で、ここに45mmを加えるとほとんどこうした画角で私は景観を見ている。このためズームでズームリングを回すより、スタスタ歩いていて止まったところがいずれかの焦点距離にふさわしい状態になっていて構図を取るだけなので気楽だ。この3種の画角のうち、やはり焦点距離が長く鍵穴から覗くような体験となる135mmには発見がある。抜けが格別によいので、肉眼が強化されたように感じられる。

まあ、こんな感じだ。

Fumihiro Kato.  © 2018 –

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Profile

F.Hiro.K
加藤(文)文宏 / Fumihiro Bun Kato a.k.a Hiro.K
写真家・作家 / Photographer Author
・北海道北見市生まれ。
・大学卒業時までに詩集「無題あるいはサラバ」、同「Cadenza」発表(共に絶版、在庫なし。「Cafebza」別装丁私家版のみあり)。
・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。
・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他)
・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。
・不二家CI、サントリークォータリー企画・取材、Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告、武田薬品工業広告、他。アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材、MIT Museum 収蔵品撮影 他。
月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。
・長編小説「厨師流浪」で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」他、小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。
・獅子文六研究。
・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。
・各メディアにおけるスチル撮影。
・オリジナルプリントの製作、販売。
・JSAHP正会員
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