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面光源という単語は多くの人が知っているし、中には面光源の質について語る人もいるけれど、面光源の大きさについては「大きければ大きいほどよい」くらいにしか説明されない。もちろん光の面は大きければ大きいほどよいのだろうが、光源を設置するスペースが限られていたりや、光源が大きいゆえに遮光しなければならなくなるなど、そうそう大きな面光源を用意してばかりはいられない。では適切なサイズはどうやって割り出せばよいのだろうか。
ライティングには撮影意図と直結した目的が必ずあるので絶対と言えるような答えはないのだけど、必要とされる面光源の大きさは被写体の大きさ相応のものだろうとは言えそうだ。被写体が大きければ光の面は大きく、被写体が小さくなれば必要な光の面は小さくなる。「光源と被写体の距離」と「奥行きの深さ」は考えないものとしたとき、おおよそ以下の図に示した関係が成り立つ。
フィギュアを撮影する際に直径1mを超えるアンブレラや同等なソフトボックスを使う人はあまりいないだろう。使っても差し障りはないけれど、この条件ではこうしたサイズを使用するメリットが一切ない。いっぽう人物の全身像を撮影しようとするとき、小物を撮影するのによさそうな直径30cmまたは各辺30cmの光の面は点光源でしかない。もしクリップオンストロボの発光部と同等サイズのフィギュアなら、発光部を覆う小さなソフトボックスでも問題なく面光源として機能する。このように点光源であるか面光源であるかは、相対的なもので絶対的なサイズで語るべきものではないのだ。
だが実際にはライティング機材は被写体からある程度離した位置に設置することになる。なぜなら画角内に機材に写り込むからだ。人工光源から発せられた光は平行に進むのではなく、放射状に直進する。したがって、人物の全身像を撮影するからといって必ずしも被写体の身長分の高さのある面光源が必要になる訳ではない。以下の図は、明るい室内から漏れる光で暗い屋外にいる人物が照らされている状態を想定した模式図だ。光が漏れる窓の高さが人物の身長より低くても、窓から距離を置けば全身が照らされることを表している。明るい室内をソフトボックス、人物を被写体と考えるなら、先に記したようにソフトボックスのディフューザー面の高さは被写体の高さより低くても(小さくても)問題ないのがわかる。
次に、光源と被写体の距離をどんどん離した状態を想像する。光は放射状に広がり進むのだから、先の例で言えば人物の身長より相当巨大な物体も照明できるはすだ。しかし実際には(あたりまえながら)不可能だ。開口部のサイズが人の身長ほどあっても、遠くスカイランを成しているビルの窓は米粒ほどの点光源にしか見えない。しかも、ビルの室内の照度がいくら高くてもこうなっては離れた位置にある物体に何ら明るさの影響を与えることができない。
こうした光の減衰について、距離とEVの関係として以前下図を示したことがある。
光源から放射状に光が放射されるとき、放射する光は球状に広がる。この光の球は半径が大きくなるほど光の密度が疎になる。これを図示すると以下のようになる。
ライティングではストロボのチューブ等が光源であるが、アンブレラやソフトボックスなど拡散装置を使用するとき開口部を光の源として考えることができる。こうした装置は開口部以外は閉じているので光の放射は360°全周ではなく特定の方向に限られる。このとき、あたかも球体を開口部の形状で切り出したような光の放射が行われ、被写体との距離は球の半径として理解される。光束の密度は光の源からの距離の2乗に反比例する(逆2乗の法則)。かなた遠くにあるビルの窓の明かりが、この光を見ている者に対して何ら明るさの影響を与えないのは、あまりに距離が離れすぎていて光束がまばらになっているからだ。同様に、光源=ライティング機材と被写体の距離を決めようとするとき、この光源の明るさに左右されるとしても、人工光源の明るさには上限があるため限られた選択肢しかないと言える。
面光源のサイズは闇雲に大きくしても意味がないのは既に確認済みだ。被写体の大きさをカバーするサイズがあればよい。また光は放射状に広がるので、光源から距離を取れば面光源のサイズは被写体そのもののサイズでなくてもよい。しかし、光束の密度は光の源からの距離の2乗に反比例するので、距離をとりすぎればライティングの意味をなくす。次に示す図ではアンブレラを例にしたが、他の拡散用機材であっても光の中心部と周辺では照度が異なり周辺に向かうほど暗くなるのは変わらない。また拡散用機材ごと拡散される広さや拡散の性格が違うが、距離の2乗に反比例して暗くなるのは変わりない。アンブレラは被写体がある側(開口部側)と正反対の向きに光を照射させ、傘の内面で乱反射させることで面光源を得る装置だ。光の方向を制御する仕組みがないのを逆手にとって、被写体の特定の向きに対して強い影が出にくい特性がある。オパライト(ビューティー・ディッシュ)はアンブレラに似ているが、光源は被写体側(開口部側)を向き、光の直射を避ける反射板で正面向きの光を背部に反射させる。アンブレラの傘に相当する主に金属でつくられている部分は反射がより強いため、乱反射する光はアンブレラより芯がある。ソフトボックスでは光は開口部に向かって照射され、内面の反射とディフューザーによって拡散光をつくるため比較的指向性のある光が得られる。それぞれの装置ごとの特性は、被写体が至近距離にあるほどはっきりし、離れるほど曖昧になる。これは光が距離の2乗に反比例し暗くなることに加え、光の中心部と周辺部の性質の違いが曖昧になるからだ。こうして距離を取りすぎたときの光は、遠方にあるビルの窓がいくら大きくても点光源にしか見えないように、ただただ影響力がない点光源じみてくる。
一概に何mまで離せる、何m以上は離せないと言えるものではないが、光源の出力、拡散装置の種類と特性、拡散装置の開口部の大きさ、被写体の大きさの関係から光源と被写体の妥当な距離が導かれる。例えば、天井や壁面にバウンスさせ満遍なく光を回す場合は固有の性格をおびた光は要求されないので、光量が確保されるなら光の面と解釈される天井面や壁面と被写体の距離は比較的大きく離すことができる。拡散装置を使用し特性を生かそうとするなら天井や壁面にバウンスさせる場合と同様には考えられない。光量減と特性の曖昧化が生じるので、おおよそ4.0mが限界ではなかろうか(あえてするメリットが限りなく薄くなる)。もし4.0mあたりや、これ以上離して固有の性格をおびた光を求めるなら光量増が必要になる。光量を増やすにはストロボなどの発光部を複数使用することになるが、このように巨大な拡散装置は製品化されていないので、バウンスボードで箱状のものをつくり開口部にディフューザーを貼る、あるいはディフューザーを張り巡らし後方からストロボを直射するなど工夫が求められる。既存の拡散装置を使う場合も「逆2乗の法則」と照らし合わせながら考えることになる。もし距離1mで1m四方の光の面が得られるなら、2mでは2m四方になり光量は1/4になるということだ。このとき光量と拡散装置固有の光の特性が確保できるなら、理屈の上では人物の全身像が撮影可能と言えよう。なかなか理屈通りにはならないため1.0m未満またはこの程度の一辺を持つソフトボックスで人物の全身像を撮影するのはきつい。したがって長辺を人物の身長に近づけた長方形の開口部を持つライトボックスが使用されたり複合的な方法が採られるけれど、面光源のサイズと光量のおおよそのバランスは「逆2乗の法則」で把握できるはずだ。オパライト(ビューティー・ディッシュ)は比較的至近距離から発光させて固有の特性を生かしたいので、直径50cm程度の装置の場合は顔だけ、半身像なら75cmを超えるものを使用したくなる。アンブレラは、内面白色、内面シルバー、開口部にディフューザーを貼るなどそれぞれ特性が異なり、特性を活かすならオパライト程ではないがあまり遠ざけずに使用するか光量を増やすべきだろう。このときのアンブレラのサイズは、ここまで説明してきたように距離と被写体のサイズ次第である。ソフトボックスも同様である。オパライトはやや特殊な感じだが、あまりにも大きな拡散装置は必要なく、これらの考え方に沿った大きさの拡散装置を使って満足な結果が得られない時は何かが間違っている、光量と距離や装置の使用方法のバランスが狂っているとみたほうがよい。
拡散装置の光の質については好みがあるし、ときどき難しい発言をする人がいるが、基本は装置の開口部が概ね均一の明るさなっているか否か問われる。ここまでに挙げた拡散装置ではアンブレラが比較的無頓着というか、製品やブランドの違いが現れにくく、これは構造が単純だからだ。他は思いのほか違いがあり、違いは照度のばらつきとなって撮影に影響が出る。私が前述の縦長のソフトボックスを使用しないのは、長辺方向の明暗の差が大きすぎてメリットが感じられないからだ。光は球形(あるいは半球形)に広がるので一灯だけでは縦方向がどうしても暗くなり、出力を増しても明暗差の比率は大きく改善されない。なので大きなアンブレラに大光量を当てるか、先に説明したような複数の発光部を使用する方法を用いたほうが結果がよいし何かと簡単だと感じる。面光源の大きさは、こうした光の芯の部分というか使える部分のサイズも考えなくてはならない。開口部周辺に使えない光があるなら、これらも距離に応じて広がり、芯の部分の光が減衰するのと同様にさらに使えない光になるのだ。使えないなら使わなければよいとはいえ、こうした光が弱いとはいえ被写体や背景などに漏れ当たるなら遮光の必要が生じる。遮光するくらいなら、出力、拡散装置、距離の最適化をはかったほうがよいのである。
Fumihiro Kato. © 2018 –
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