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King Crimsonとの付き合いが40年になる。イギリスから遠く離れた極東の列島でKing Crimsonを聴き続けてきて、彼らの活動歴の中で好きなのがジョン・ウェットンが在籍した期間と、Disciplineからの三部作の期間で、9年間の解散期をはさんでしかも音楽性が変わったというのにひと連なりにして好きで好きでしかたないのだ。好きな理由を、この期間のドラマーがビル・ブルーフォードだったからとずっと思っていた。私はベースを弾くのでベーシストのジョン・ウェットンが好きだったし、ロバート・フリップの唯一無二のギターだってもちろん好きだ。なのだが、この期間のKing Crimsonは途中脱退したジェイミー・ミューアと彼の影響を受けたビル・ブルーフォードのドラムあってのものだと思っていたのだ。たぶん、こうした評価そのものは間違いない。というのも、様々なライブ音源を聴くとビル・ブルーフォードが熱くなっているとき必ずバンドとしてKing Crimsonの演奏が凄まじくなっているのだ。だからU.K.を除けばジョン・ウェットンのソロ作、参加作、お仕事作より、ビル・ブルーフォードのリーダー作、ソロ作、参加作がたくさんCDラックとハードディスクに収められるに到った。
King Crimsonが40周年記念盤を送り出し始めて7年になる。彼らのアルバム「RED」の記念周期は私のファン歴相当であるので気になってしかたなかったが、他を含め40周年記念盤をすべて買い始めると物量たるやものすごいもので消化不良を起こすのは間違いないので飛びつくようには買わなかった。ところが、これらは通常盤ではないので在庫僅少になってきた(再プレスしているのだろうけれど)。で、やっぱり買うことにしたのだ。40周年記念盤の基本構成は、当時のアナログテープ起こしでデジタルリミックスを施したものと、オリジナルミックスのリマスタリングと、5.1chサラウンドミックスで、ここにオーバーダビングする前のテイクなど資料的価値のあるテイクや興味深い音源が付随するものだ。ジョン・ウェットンとさよならをして第一回解散となるアルバム「RED」を40周年記念盤リミックスで聴いたら、これまでのKing Crimson観がひっくりかえった。ジョン・ウェットンのベースが、ロバート・フリップのギターの6弦から低音側に拡張されたG・D・A・Eの弦として聴こえたのだ。
アルバム「RED」のリミックスは元のミックスを大幅に改変する性質のものでなく、とにかくクリアに、そして本来はそうあるべきだったろうダイナミックレンジの広い音にする職人技的な細部の詰めでまとめられている。音のシズル感が際立っているのだ。こうなると「せいの!」でメンバーが演奏しはじめたのを間近で聴くような感じになる。「RED」でのジョン・ウェットンのベースを完コピしたことがなかったので驚いた訳だが、彼がファズを効かして歪みきった音色にしているのは昔からとうぜんわかっていたとしても、左手がネック上を低音側からボディー寄りにある高音のポジションまで実に幅広く動いているのは発見だった。ジョン・ウェットンはベース奏者として一流以上の人であるが、技巧派の奏者がなにかと派手な動きをしたがるのに対して奏法に複雑なものがなく、基本はルートを中心にフレーズを組み立てている。King Crimsonではこれでもかとソロもしくはソロ的なフレーズや対旋律を弾いているけれど、基本はルートと5度を手堅く明示する演奏だと感じてきた。これがリミックスされクリアさが増したことで、ギターやバイオリン、メロトロンに埋もれがちだった部分がはっきり前に出てきた。すると音色も、タッチも、インプロビゼーションでの動きも、ロバート・フリップと一体化して感じられるようになった。まるで、ロバート・フリップのギターが6弦から先に拡張されているかのように。ジョン・ウェットンの持ち味とロバート・フリップの持ち味は別物であるし、インプロビゼーションは互いを挑発する趣きなのだが。
チャップマン・スティックという楽器がある。ギターの音域相当の弦とベースの音域相当の弦が貼られた細い板のような形状のほぼ全体が指板の楽器で、爪弾くのではなく指板上のポジションを両手の指でタッチして音を出す。演奏する様子は、まるで鍵盤を弾くように手と指が動く。ギターの演奏では指板のポジション押さえる片手の指、弦を弾く反対側の手の指またはピックと左右の手が役割分担されるので、自ずと同時に発音できる音の数が限られピアノを弾くようにはならない。音程の移動も、基本的に4度の音程差で張られる弦と、これをネックの上で高音へ低音へ移動する運指が構造から強いられ、ピアノで選択されるような音の移動は不得手な楽器だ。チャップマン・スティックは音域が広いだけでなく親指を除いた指の数だけ発音可能で、音から音への移動は鍵盤楽器のそれに近いものが実現できる。ざっくり言えば、ギターとベースを同時に弾けるような楽器かつ運指の自由度が高い楽器だ。Disciplineから参加するベーシストであるトニー・レヴィンがKing Crimsonに持ち込み、ギター2台とチャップマン・スティック(そしてビル・ブルーフォードのドラム)で緻密な織物のようなポリリズムを生み出している。
「RED」でのギターとベースは、チャップマン・スティックを使った演奏とは違うけれど、まるで二つの頭脳を持った一人の音楽家が演奏しているかのような風合いだ。ジョン・ウェットンはDisciplineで再結成されたKing Crimsonにオーディションというかデモテープというか試作のとっかかりの時期に関わっていながら結成時に呼ばれなかったのもあり、後々までかなり未練たらたらの発言をしていたけれど、これはやはりKing Crimsonでの活動がとても充実したものであったからだろう(フィル・コリンズもドラマーとして関わり再結成に加わることがなかった)。ロバート・フリップ、ジョン・ウェットン、ビル・ブルーフォードの顔ぶれが揃うのは1973年の「LARKS’ TONGUES IN ASPIC」からで74年の「STARLESS AND BIBLE BLACK」同年の「RED」で解散に至った。この期間の切ないまでの疾走感や音楽性が極限まで昇りつめる異例な速度は、やはりメンバーの才能と何より相性のなせる技だったろう。どのバンドでもメンバーは一体感だけでなく不和を抱える。King Crimsonも例外でなく、「RED」に向かう過程や「RED」の録音時も不穏な空気が漂っていたのがロバート・フリップの日記やライブ音源から読み取れる。あまりに関係がギクシャクしていたため「RED」のアルバムジャケットの三人のポートレイトは同時に撮影されたものでなく、一人ずつ撮影しデザインされる際に合成されたものだ。ここまで冷え切っていても、「二つの頭脳を持った一人の演奏」になっているのである。
King Crimsonはデビュー時から評価の高いバンドだが、金が儲かるバンドではなくカルト的人気に支えられていた。この状況が変わりはじめたのは「RED」の発売前で、それまでヨーロッパと日本が主な市場であったがアメリカツアーが異様な盛り上がりを見せるようになった。とうぜんのことヨーロッパでも同様な状況であり、ここにアメリカ市場が加わるのだからカルト人気のバンドからメジャーへ脱皮する好機だった。アルバム「RED」は解散前提で制作されたが、アメリカでは発売直後から高評価であったため約束されていた成功を自ら絶ったとも言われた。すくなくとも日本では、バンドとして音楽でできることの極限に到ってすっぱり活動をやめたこともあり、叙情的な曲には悲痛なまでのリリシズム、激しい曲には有終の美のような思いを感じる人が多い。
この後、ジョン・ウェットンはプログレ系のU.K.を結成し、プログレのエッセンスを3分間に凝縮したようなポップなバンドAsiaで商業的成功を納めるが、のちに活動の支点がぐらついてくる。U.K.のデビュー盤の邦題は「憂国の四士」で、これはレコード会社がつけた題名であるがパンク全盛な時代に対する「憂国」であり、この時期に方法論としてプログレを選択したジョン・ウェットンも音楽界の趨勢への何がしかの抵抗があったように思われる。対して、ロバート・フリップは9年間の模索期に入る。主な活動はアンビエントあるいは音響を追求するフリッパ・トロニクスでのソロ、アメリカのパンクやニューウェイブへの接近やセッション、ディスコへの接近、デヴィッド・ボウイなどの録音への参加だ。ロバート・フリップはロックが方向転換の時期にあったのを客観的に受け止め、これまでの方法論では何も解決できないのを悟っている。ここが二人の決定的に違うところで、Discipline期に突入する直前のセッションでジョン・ウェットンがロバート・フリップの意図を読み切った(ごく普通のバンドなら合格の)演奏をしても再結成にお呼ばれしなかった理由ではなかったか。
Discipline期はエイドリアン・ブリューとロバート・フリップのギター、ベースとチャップマン・スティックのトニー・レヴィン、ドラムのビル・ブルーフォードがポリリズムやミニマルなフレーズを繰り出す演奏になる。メロディーと歌詞はあっても過剰な意味づけを避けている。ジョン・ウェットンはとんでもない変拍子入り乱れるベースラインを弾きつつ苦もなくボーカルがとれるくらいなのでポリリズムも問題ないだろうが、彼の激しい情念と叙情性はDiscipline期と相容れないものがある。とはいえ、40周年記念盤の「RED」と「Discipline」を聴くと歴史は断ち切られてはいるのだか通底するナニカを感じる。アルバム「Discipline」でチャップマン・スティックの演奏が二人のギターと絡み合って複雑な層をつくるとき、もちろんトニー・レヴィンの演奏は個性溢れるものだが「三つの頭脳を持った一人の演奏」になっている。ここにビル・ブルーフォードを加えると「四つの頭脳を持った一人の演奏」だ。正確無比なロバート・フリップの超高速分散和音がシーケンサーでの打ち込み演奏のようだと言われるけれど、私は「四つの頭脳を持った一人の演奏」になっている点をもってシーケンサーのようだと感じる。チャップマン・スティックの導入はベースでは不可能な領域を可能にするためであるけれど、こうした発想の端緒にジョン・ウェットンとの濃密な一体感があったのではないかと妄想するのである。
前述のとおりジョン・ウェットンはロバート・フリップと性格がまるで違う音楽家だった。ロバート・フリップはセンスと超絶技巧の人であると同時にプロデューサー的視点で常に音楽全体を見ている。対するジョン・ウェットンにはプロデューサー的視点が希薄だ。これがAsia以後のジョン・ウェットンの迷走や停滞の原因だろう。第一回目の解散をあっさり決め自分が立ち去ろうとしたロバート・フリップと、彼の提案した初期メンバーのイアン・マクドナルドを呼び寄せバンドを維持する案にこだわったジョン・ウェットン。プログレと情念を音楽性の中心に据え続けていたジョン・ウェットンと、問題意識の解決策として最善の方法論を模索し続けてスタイルが変遷するロバート・フリップ。こうして音楽家としての活動が別物になったが、ロバート・フリップはジョン・ウェットン死去に際してフィル・コリンズをドラムに迎えた三人のセッション音源を追悼曲として発表している。死去直前の最期のクリスマスをジョン・ウェットンとともに過ごし写真をDGMのブログで公開している。ここにはアルバムやインタビューなどからは知る由もない二人の関係が溢れ出している。拮抗や対立の時間が去り、ジョン・ウェットンにとってもロバート・フリップにとっても「LARKS’ TONGUES IN ASPIC」から「RED」に至る時期は何もにも変えがたいものになっていたのだろう。二つの頭脳を持った、あたかも一人の演奏者であったことが。また、トリプルドラムからダブルカルテットと変遷する現在のKing Crimsonは「LARKS’ TONGUES IN ASPIC」から「RED」に至るアルバムから選曲してコンサートの中心に据えている。King Crimsonの各時代を鳥瞰するようにかなり古い曲まで選曲されていることと、エイドリアン・ブリューをフロントマンとして選択せず解雇して再始動し始めたことは、破壊による構築ではなく、再評価と再解釈による客観化からの構築をロバート・フリップが目指しているかのようだ。もしかしたロバート・フリップは音楽家として活動できる残り時間と人生の残り時間を意識しているのかもしれない。ジョン・ウェットン、ロバート・フリップともに精一杯走り続けてきた。年下の私も歳をとり、二人について思うことがこうして様々あるのだ。
Fumihiro Kato. © 2017 –
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