お金の話とロバート・フリップと

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基徳教徒ではないけれど、ローストする丸鶏を買ったりとまったりしながら日頃あまり聴かないアルバムを聴いて過ごしている。そうこうしながらKing Crimsonのロバート・フリップの日記を読んでいたのだけれど、2008年6月13日の項になんだか切ないお金の話が書かれていた。1991年にロバートフリップと彼が主催するギタークラフトのコンサートツアーを企画したのだけれど、多額のロイヤリティー不払いがあったためサウンドシステムを調達できなくなりギター(D’Angelico Excel)を売って用立てたというのだ。King Crimsonは1972年に最初の解散を迎え、ここから9年の間ロバート・フリップは半引退とソロの模索期に入り、1981年にアルバム「discipline」で再びクリムゾンとして活動を開始、1991年は次なるダブルトリオ期と呼ばれる編成に至る谷間の時期にあたる。King Crimsonは名だたるバンドであるし、その音楽は過去のアルバムが未だにすべて販売されているくらいなのだけれど、フリップだけでなく他のメンバーも証言しているように莫大なギャラが懐に転がり込んでくるタイプのバンドではなかった。さらに、現在は評価がうなぎのぼりでも「discipline」からの三部作は当時まったく評価されなかった。私は大好きで三部作を貶す連中と大喧嘩をしたくらいなのだが、世の中の風潮からしたら私は変わり者だったのだ。つまり、ロバート・フリップとしては何かと懐寂しい時代だったのだ。で、この日の日記にはD’Angelico Excelの話だけでなく、1966年のフェンダーストラトキャスターを売るから欲しい人は連絡を頂戴とも書いているのだった。

これまで何度か言及した話ではあるが、ロバート・フリップの凄いところは過去からデモテープもアルバムの録音もコンサートの収録物もすべて管理して手元で保管し、後ろ足で砂をかけるようにして出ていったメンバーの歌唱・演奏印税やら何やらしっかり払い続けたところにある。音楽家にとってどうでもよい評価かもしれないけれど、契約に縛られバンドを維持し続けなくてはならない状況に常に置かれつつ、ちゃんと音楽を創造し続けながら、さらにお金の収支を透明にしていたのだから凄いのだ。しばしば誤解されてどっかからお金が出ていると思わがちだが、バンドがアルバムをつくるとか作家が著作を出す際のプレスマシーンが稼働したり印刷機が回る経費以外、録音するとか執筆するための資金はバンドや作家が捻出するのだ。作家が著作をものするための経費と、バンドが録音する経費はとうぜん後者のほうが莫大なものになる。したがって、所属事務所などが資金を出せば原盤権など諸権利が奪われ、バンドは作曲印税、作詞印税、歌唱・演奏印税くらいしかリターンがなくなり、さらに自分たちの作品でありながら録音物を自由に使用できなくなる。ロバート・フリップがデモ、アルバム音源、ライブ音源といったすべてを丁寧に管理できたのは、資金を自己管理していたからだ。ただし所属していたEGレコードやユニバーサル・ミュージックと楽曲管理やロイヤリティーの不払いで法廷闘争になるくらい、たいへんな目にあっている。

現在ロバート・フリップは自らのマネージメント会社でありレコードレーベルを運営して、作品の販売権を世界地域ごと各レコード会社に託している。日本では現在のところWOWOW(WHD)がKing Crimsonの作品を販売していて、こうなった経緯は想像だけど日本公演の収録と放映がきっかけになっているのだろう。WOWOW(WHD)がCDや他の物販ができるのかと思う人もいるだろうが、前々からWOWOWは映像ソフトをCDショップに卸しているから販路はまったく問題ないのだ。こうした販路だけでなく、ロバート・フリップの会社DGM(ディシプリン・グローバル・モバイル)は音源のダウンロード販売も行なっている。原盤権どころか、デモテープ、ライブ音源までがざっくざく宝の山のように手元にあるため、リミックスしたり、リマスタリングしたり次々とKing Crimsonだけでなく所属アーティストの作品をリリースしている。で、こうして過去の音源が新たな商品となった際には、前述のように参加ミュージシャンにロイヤリティーが支払われるのだ。ちなみに元Led Zeppelinのジョンポール・ジョーンズもDGMからアルバムを発表している。ジョン・ポール・ジョーンズはロイヤリティーの透明性でフリップと意見が一致して合流している。

他人の懐具合なんて聞かされなければ知る由もないものだが、ここ何年かKing Crimsonはドラマーだけで三人もいて、盟友メル・コリンズのホーンが加わった6人、さらには8人編成で世界ツアーを繰り返している。これだけのアーティストにギャラを払いつつツアーの一切合切を仕切るのだから、資金力がなくてはどうにもならない。日本公演の際は、これだけの大所帯を舞台での配置同様にしてリハーサルする広くて高そうなスタジオを数日間借り切っていたし、サウンドシステム調達のためギターを売却せざるを得なかった90年代と比較にならない財政の健全化がはかられているのは確かだ。1991年から始まるダブルトリオ期も大所帯であったけれど、ドラマー同士、ベースとチャップマンスティック同士はそれぞれのメンバーが証言しているように相手を気遣って演奏する難しさがあったというが、ロバード・フリップ曰くギャラが大変なことになってまったく儲けが出なかったらしい。同様か、それ以上の大所帯で毎年世界ツアーをこなせるのだから現在はどういったことになっているのか、なのだ。

ロバート・フリップとKing Crimsonの歴史は、「In The Court Of the Crimson King」によってアルバムデビューした直後にレコード会社との契約があるにも関わらず主要メンバーが離脱したりと難儀な話の連続であった。レコード会社はコレと目をつけたバンドに対して三枚アルバムをつくらなければならないといった契約を結ぶ。ファーストアルバムでバンドが空中分解状態になったフリップは何としても残り2枚をつくらなければならなくなり、元メンバーにセッション的に参加してもらったり、ジャズ畑のミュージシャンと組むなどした。セカンドアルバムの「In The Wake Of Poseidon」やサードの「Lizard」はバンドでつくり溜めていた曲やコンセプトの使い回しでは足りなくなり、アルバムのコンセプト、作曲から編曲、ディレクションと孤軍奮闘してまとめあげ録音した。録音資金の管理、コンセプトの管理とデビュー直後の20代で大プロデューサー並みの仕事をこなさければならなかったのだ。胃が痛む日々であったろうけれど、結局のところこの時期の活動が現在のフリップとKing CrimsonとDMGに結実した。だが当時の日本の音楽メディアはフリップを強権発動の強引なワンマンと皮肉っていて、こういった曲解や音楽家は無軌道無頓着なほうが好ましいとする論調で長らく本邦では難解なワンマンバンドと位置付けられていたりもした。自己プロデュースやバンドのプロデュースについて冷たい目を向け、自然発生最高な子供っぽい態度だったと言える。

実家が不動産業で自身も大学で測量学を学んだロバート・フリップは、お姉さんのパトリシアがスピーチ術の大先生だったりして、やるときは猛進するけれどマネージメントが堅実なのは、そうしなければならない状況に追い込まれただけでなく血筋かなと思わされる。そもそもデビュー時にアトランティック・レコードに対して通常の印税率10%でなく12%を要求している。でもこういった話は前述のように、お涙頂戴大好き、天真爛漫大好きな日本では毛嫌いされた。風向きが変わったのは80年代半ばから90年代くらいからで、音楽メディアが変わったのではなく世の中そのものが成熟したからだろうと思われる。ロバート・フリップと契約する音楽メディアはたいへんだろうけれど、自らとメンバーが音楽をつくり続けるために情熱だけではどうしようもなくお金がなくてはならないのだし、去っていったり解雇した元メンバーや元メンバーの遺族にしても正当なロイヤリティーが支払われ続けるのは正しいのだから仕方ない。破滅型のミュージシャンやバンドがあっても別に構わないのだが、こういった場合かならずロイヤリティーの不払いや原盤権の喪失、音源が他人の手に渡って誰にもロイヤリティーが払われないまま俗悪な内容のCD等が発売されたり、権利を巡ってドロドロの争いをすることになる。長らくアルバムを発表しないアーティストがいて、つくる理由がないから発表しない人がいる一方で、制作する資金が管理できていなくて発表できない人も多いのだし。

音楽産業は典型だけど、他の分野だって基本は同じだ。写真は広告が一大市場で資金から機会まで他人の褌で相撲を取って横綱か関取か幕下か騒がしいけれど、これはスタジオミュージシャンとして渡された楽譜を期待通りに演奏するようなもので、では自分自身の創作はどうなんだという話になる。他人の褌で取る相撲の格で、ときどき創作の機会を得るのはスタジオミュージシャンがご褒美でソロアルバムをぽろっと出すようなものにすぎない。自らの創作を持続させるためには、かなりシビアな自己マネージメントと自己プロデュースをしなければならないのだ。この辺りはロバート・フリップがやっているのと変わりないものを、創作の裏でちゃんと実行し続けなければならないのだ。写真に限らず、文芸、美術、舞台だって同じ。で、プロデュースやプロデューサーという名称が最近は流行っているけれど、誰かを抜擢して適当な企画で売り出すなんてプロデュースでもプロデューサーではない。才能を持続可能なものにして、その才能に見合う舞台をつくり続けるのがプロデュースであり、ここにお金の問題は基本中の基本なのだ。思い出してもらいたいのは、できるだけ自分の取り分を多くして商売のネタであるはずの才能を安く買い叩きたい人の存在である。レコード会社でさえそうであるのはフリップとKing Crimsonの例を見ても明らかで、ではフリップが法廷闘争をして結果的に潰されたかというと逆である。あちこちに「仕事をくれてやる。安い金でやれ」という話がある。才能側からは「作品を勝手に改変された」「思い通りにつくることを否定された」という声もある。重要なのは、才能がある者、才能をもとに何かを創造創作した者が偉いのであって、売り手側は煎じ詰めれば横丁に立っている自販機と変わらない点だ。自販機に頭を下げて陳列に加えてもらう必要なんてないし、こういうことをやったら立場はずっと変わらない。安いと思ったら作品を売る必要はないし、創作の本質を矯める要求をされたら毅然と断ればいい。どんな新人であっても、才能があるほうが偉いのである。こうしてチャンスを逃したり干されるだろうか。ここでこの文の冒頭に戻ってもらいたい。ロバート・フリップとKing Crimsonは未だ健在であり、ますますお盛んなのだ。

 

Fumihiro Kato.  © 2017 –

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・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なり人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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