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SADEをファーストアルバムからサードまで私はLPで買っている。1984年のファースト「Daiamond Life」はCDプレイヤーを持っていなかったからだが、1988年のサード「Stronge The Pride」の頃はプレイヤーを買ってしばらく経っているはずなので経緯が我ながら不思議だ。1984年は私が大学進学とともに東京大田区にアパートを借りた年で、サードアルバムまでのSADEの音楽が確固たるものとなった期間と私の大学時代はシンクロしている。学生生活とともにスタジオアシスタントをしたり生意気に撮影仕事をもらったり後半は広告代理店に潜り込んで仕事をしていて、もっとも記憶が鮮明であるべきだろう時期なのに、様々な出来事があちこちに分散したままモザイク画を描いているような全体像しか思い出せない。確実なのは、たいした身入りがない身であったにも関わらずSADEのアルバムを発売と同時に買い続けたくらいSADEが好きだったということだ。
その後、LPで買ったアルバムもCDで買い直すことになる。そして、カセットテープの時代はすべてカセットにダビングし、CD-Rの時代はCDに焼いて四六時中聴いて現在もリッピングしたデータを持ち歩いて聴いている。なので、とっちらかった記憶の中でSADEの音楽とともに時代と私の境遇と風景が一組になっていて、これらがSADEを聴くときフラッシュバックして蘇る。SADEのアルバム発表時期を知って入ればバブル期の音楽なんて言えたものではないのだけど、世の中ではカフェバーでかかっていた夜のイメージのある音楽にされがちだ。こうした見られ方に異議はあるけれど、曲をいつも持ち歩き聴いていた私の中にもバブル期の思い出があり、同時代を生きた誰かさんの記憶を否定なんかしたくない。でも世の中が華やかに騒がしかったバブル期はただただ忙しく二足の草鞋を履いて都内を駆けずり回って終わり、後の空白の20年は個人的に悔しくて悲しい思い出ばかりで、SADEを一歩引いて聴けるようになったのはここ数年だ。SADEが存在しなかったら、私は二十代から四十代を耐えられただろうかと思う。だから私にっとSADEはおしゃれなBGMなどではないのだ。
SADEの存在はたぶんFMラジオで知って、こうなるとSmooth Operatorを聴いてアルバムを買いに走ったのだろう。どこに惹かれたか思い出せないけれど、バンドとしてのSADEの世界観がファーストアルバムから確固としていて迷いがなかったのが好ましかったのだろうと今は思う。SADEはバンド名でボーカルはSade Aduと知ったのはアルバム中面やライナーノーツを読んだときだ。ここはしばしば間違えてはならないポイントのように言われるけれど、両者を混同しがちなのは単に人名がバンド名にされているだけでなくバックのメンバーの仕事がプロ然とし不必要な自己主張をしないからだろう。ジャズやジャズ色がつよいグループにありがちな楽器間のソロ回しもしない。このためSade Aduのボーカルが引き立ち、彼女の存在感が大きくなる。こういうこともあって、しばらくの間Sade Aduの独裁色の強いバンドと思っていた。でも、これは勘違いだった。
確かにSade Aduは運転中に車を止められて警官をぶん殴るくらい気が強い人である。ミューズのような美しい顔や姿は同時に意志と自我の強さを示している。私はこういう女性が大好きだ。でも音楽をちゃんと聴くと、バンドとしてのSADEに存在するグルーブはベースのPaul Spencer Denmanによって支配されているのがわかる。SADEの前身となるジャズ、ソウルを演奏するバンドがSade Aduの加入によって分裂し、彼女とともに独立したのが現在の姿だ。このときからバンドメンバーにドラムスはいない。キーボードレス、ギターレスのバンドは珍しくもないがリズム隊のうちドラムがいないバンドは珍しい。ここからもわかるようにベースが音楽の生命そのものを生み出し、Sade AduのボーカルとStuart Matthewmanのギター、サックス、Andrew Haleのキーボードが音楽の広がりを与える構造になる。SADEの音楽はSade Aduの低くクールなボーカルを最大限に生かすため、ここは逆説的でも変化球ロジックでもなく彼女のシャバダバなアドリブによるスキャットさえ採用していない。作曲から録音、ステージに至るまで目的を明確にするため計算し尽くされているのである。SADEの音楽的または作詞のアイデアはPaul Spencer Denmanのグルーブなくしては実現できず、こういった理由からだろうSade Aduのソロ作というものは存在しない。これをワンマンバンド、独裁バンドとは言えないだろう。
SADEとして活動しない期間、Sade Adu以外のメンバーはバンドSweetbackとして活動している。Sweetbackはたぶんアシッドジャズに分類され、ボーカルにはSade Aduより女性的な声質のメンバーを入れているけれど、世の中の評価はあまり好意的とは言えないようでアルバムはヒットと言い難い状況にある。とはいえ、私はSweetbackが嫌いではない。ジャズ、ソウル系のSADEとアシッドジャズのSweetbackという音楽的な違いを別にすると、SADEにある物語性というかそうでなくなてはならない必然性がSweetbackには欠けるまたは抽象性が高い点に違いがある。ここがデビュー作から世界的ヒットを記録しグラミーショー新人賞に輝いたSADEと、高い音楽性と完成度を持ちながら音楽市場で目立った動きがないSweetbackの違いにもなるのだろう。Sweetbackのボーカル曲だって切ないなんとも言えない雰囲気があるけれど、Sade Adu姐さんがひと声発声するだけでかたちづくる世界観には及ばないのだ。これはメンバーもわかっていて異なる目的でSweetbackをやっているのだろうし、Sade Aduも独自の世界をつくれるSADE以外の活動をする必要を感じないのだろう。
Sade Aduが他のメンバーの前に現れSADEが結成された瞬間から、物語性も音楽的世界観も完成していたはずだ。SADEという意志はこうして生まれた。あとは歌詞が紡がれるのを待てばよいだけ。こうしたピタッとパズルのピースがはまり揺るぎなくなる情景が目に浮かぶのは、私が撮影周りや広告の仕事をチームでやっていた経験からくるのだろう。でも、SADEほどの巡り合わせは私にはなかった。むしろ現実は絶望的な巡り合わせばかりで、SADEがいかに凄いのかを思い知らされる。SADEのコンサートDVDに収録されている会場ロビーでの聴衆へのインビューを観ると、皆がそれぞれいっときの幸福を全身で味わっているのがわかる。美の女神と女神が紡ぎ出す物語に出会いにやってきている聴衆は、私の姿でもある。才能は自らの経験以上の経験を作品に与えることができる故にSade AduとPaul Spencer Denman、Stuart Matthewman、Andrew Haleが聴衆すべての人生の総和を抱えてはいないだろうが、稀なる出会いによってSADEはこれを可能にした。だからSADEは尊いのだ。
Fumihiro Kato. © 2017 –
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