レンズの柔らか、甘い、使えないは違う

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写真がデジタル化され、さらに高画素化が飛躍的に進んだことで、フィルムを使用していた時代と比較しレンズは格段と設計から製造まで高度なものが要求されるようになった。アラが目立つようになったのだ。

レンズの難しいところは計測される数値だけでは評価しきれず実写に結びつかないところだろう。また数値以外の実写で得られる状態は、はっきりしない言葉や比喩でしか表現できず、さらに見る人それぞれの価値観や撮影実態の違いが輪を掛けるため、更にわかりにくい曖昧な評価しかできない。こうした表現のうち共通認識として通用するのは、「柔らかい調子」「硬い調子」「甘い」「シャープ」などだろう。しかしこれらもまた人それぞれであり、どこを見て、何を重視して表現しているかによってまったく正反対の意味を持つことさえある。

こういった事情があるので注意深く書くが、「柔らかい調子」と「甘い」が紙一重だったのはフィルムの時代で終わった気がする。そして、かつて「柔らかい調子」だったレンズを高画素化したデジタルカメラで用いると総じて「使えない」ものであったりする。本来の柔らかさはトーンを余さず記録できるレンズへの形容と思われるが、フィルムを使用していた頃は曖昧な描写ふくめて「柔らかい」と言っていたように思う。最低限以上解像しているが収差が多く曖昧な描写で、曖昧さとトーンの関係が混ぜこぜだったのだ。しかし「柔らかい調子」とされたすべてのレンズが前述のような訳でなく、デジタルカメラに装着してようやく本質が生かされるものもあった。

私は80年代から90年代に85mm F1.2、135mm F2を使用していたが、当時としても開放付近は使えない領域だった。この時点と大差ない段階で設計され製造されているデジタル化以前あるいは過渡期の同レンズもまた同様だ。しかし製造され相当量が売れているはずだから、「使えないことはないよ」という人がいても不思議ではないし否定しようとは思わない。私は中判以上のフォーマットを使用する頻度が高く、大フォーマットになるほど拡大率が小さくて済むフィルムのセオリーで、ライカ判の大口径中望遠の開放付近は使いようがない曖昧すぎる描写と感じているだけだ。いっぽうニコンに鞍替えしてから同時代の105mm F1.8や28mm F2を使ったが、これらは(先に挙げたものより暗いかもしれないが)「使えるよ」と感じたし実際にあれこれ使用した。ただ、突き詰めて使用したとき「柔らかい調子」は曖昧や不都合になり、最終的には人にあげたり売り払った。こうした経験から、いくつかのことを学び、デジタル環境に統一した際のレンズへの評価軸が定まったような気がする。

Ai sの105mm F1.8で問題になったのは、色収差とパープルフリンジだった(パープルフリンジは色収差が原因ではないとされ、まだ本質的な原因解明に至っていないようだが、諸収差を改善すると消えるのは事実だ)。これらをひっくるめてここでは乱暴に色ズレとするが、こうした曖昧さや必要のない変な描画がデジタルでは目立つうえに、RAW現像時にある程度消しされてもやはり違和感が大きい。大雑把に言えば(いまどきは少数派になったが)パープルフリンジが出るレンズは使えないのだった。80〜90年代のやたら大口径のレンズは更に使えないと言える。パープルフリンジは主に逆光時被写体の輪郭部に赤紫系の光の縁取りとして生じるけれど、さらに強い明暗差が強いというかレンズに強い光が入るとき(これをパープルフリンジとしてよいかわからないが)同じ色で変な領域が記録される。後者はデジタル高画素化以後に設計されたものでも発生するケースがあり、物体の輪郭線に沿っていないだけ後処理が簡単であったり無視できたりする。ただしこれもあまりひどいものや邪魔なものはどうしようもないし、私の処理法と価値観からの感想であって他の人にとっては大問題だろう。

私はミノルタで写真を憶え、フィルム現像と紙焼きはMC、MDロッコールレンズに合わせたものをレシピにしたので、あの柔らかな調子が大好きだった。でもMC、MDロッコールはデジタルで使えるか否かとなると、ネガやポジをスキャンしたけれどデジタルカメラにレンズを装着して撮影していないのでなんとも言えない。しばしばこうした古いレンズを使いフィルムからスキャンして評価を下している人がいるが、これはスキャン前提の評価にすぎない。スキャン前提で撮影して作品をつくるための評価なのだ。MDロッコールの85mmはとても好きで、いまだにこれで撮影したいと思うけれど、たぶんデジタルカメラに装着したらがっかりするだろう。これは色のズレだけでなく、曖昧さが鼻につくと想像されるからだ。ではMDロッコールの85mmは低レベルのレンズかとなれば違い、フィルムを使うならよいレンズで使い手がある。冒頭に書いたが、デジタル化でアラが目立つようになったのだ。

機材を売ったり買ったりで世話になっている某カメラ屋さんの話では、いまどきはキリっと撮れるのが当たり前になって、キリっと撮れるレンズから写真に入った若い世代の人は古いレンズの曖昧さや変なところが新鮮で、こうしたレンズを中古からよく選んで買っているという。これは否定しようがないし、もしかしたら新しい潮流をつくるきっかけになるかもしれない。でも、甘くて使えないレンズに四苦八苦したり、買ってがっかりした経験があり、デジタル化によってレンズ以外にも大きなメリットを経験した私は、年寄りの感想としてやはり使えないレンズは買いたくないと思うのだった。そして、個人の感想ではあるが古いレンズは生まれたとき想定されていたフィルムを記録媒体として使うのが本筋であり、レンズも喜ぶのではないだろうか。

現代でも「柔らかな調子」のレンズはあり、以前と違うのは(私の中の分類に過ぎないが)柔らかAと柔らかBの2タイプある点だ。どうせなら新顔で話をするが、所有はしていないが試したことのあるAF-S NIKKOR 105mm f/1.4E EDは解像し同時にトーンが豊富に出るように思う。使っているものとしてはツァイスの2/135がこれだ。変なレンズを8bitのデジタル絵としたら、64bit以上の階調と色を持つものくらいとことんトーンが出る。これらをAとしたとき、うまく表現できないが物体の表現について丸く角は立っていないがちゃんと解像しているレンズというものもある。名付けてBタイプは私がサブ的に使用しているAF-S NIKKOR 18-35mm f/3.5-4.5G EDで、これも「柔らかな調子」だと思う。人工的なシャープネスをカットして神経質さを抜いた感じのような。価格帯はたいそうな差でも、どちらも使える「柔らかな調子」で、変な曖昧さはない。ニコンは硬調とする評判は、きっと戦後すぐの時代の他が圧倒的に曖昧だった時代のものだとしても、現在は鮮鋭度だけでなくトーンを重視しているのがわかる。レンジは違うとしても、ツァイスの2.8/15とNIKKOR 18-35mmは住み分け使い分けできるのだ。レンズの柔らか、甘い、使えないは違うという話を書き、もしかしたら理解不能な妄言だったかもしれないが、使えるレンズの対比、柔らかなレンズの対比としては両者が好例と言えそうだ。

Fumihiro Kato.  © 2017 –

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・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なり人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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