知事が追悼文を送るのをやめたそうだ

その人の名前を書くのも、顔を思い出すのも嫌なので知事とだけ書くが、関東大震災時に虐殺された朝鮮人を追悼する挨拶文をこういった催しに出すのを某知事が今回はやめたと報道されている。震災時に亡くなった方すべてへの追悼文を書くので、個別には追悼しないという理由だ。この件にまつわる違和感を「いかがなものか」と言うのは簡単であるが、違和感に止めるのではむしろ後々害悪になるだろうから、ちゃんと考察しておいたほうがよいだろう。害悪とは、朝鮮人に関係した過去から現在までのなんらか出来事について、なにごとも穏便に処したほうがよいとする空気が、いま以上に醸成されかねない問題だ。

知事の決定の過ちは、二点あると考える。

ひとつめは、自然災害により被害を受け亡くなった方と、自然災害後の人災で虐殺された方は異なるものである点だ。したがって、両者を自然災害で亡くなった方として追悼すればよしとする姿勢は誤りである。ふたつめはひとつめの理由をなぞるものであるが、先の東日本大震災において震災と津波で亡くなった方だけでなく、福島原発事故後のデマと風評被害により数多くの人が苦しみぬき自死された方もいた教訓が、まったく反映されていない点である。

関東大震災に端を発するデマは、あの芥川龍之介までもが信じ込み朝鮮人伐倒の自警団に入ろうとしたのを菊池寛に流言飛語であると諌められたほどのものだった。このとき新聞は朝鮮人が日本人の命と財産を奪おうと計画している、カクカクシカジカの謀略を行なったと盛んに報道していたのである。今日、冷静に考えれば井戸等に相当量の毒を入れらたなら、震災直後に毒殺された人々がかなりの数にのぼったであろうし、やや情勢が落ち着いてからも毒の被害が出ているはずだろう。しかし、こうした死者を検視した医者はひとりもいないのであった。また、朝鮮人の中に火事場泥棒が存在したとしても、全朝鮮人が謀略を計画実行している訳ではないから、誰彼となく虐殺されてよい訳ではない。

福島原発事故後のデマもまた、無名ではない情報発信力のある数多くの人物が騒ぎ立てていた。そして、新聞にとどまらずマスメディアもまた積極的に科学的根拠のないデマを拡大再生産したのである。防護服に身を包んだ人物の顔のアップを表紙いっぱいに載せ放射能がくると煽った雑誌、福島県からの避難者のクルマが高濃度に汚染されていると煽ったジャーナリスト、ありもしない被害を長らく連載した新聞と、すべて書き連ねるのが不可能なほどの報道量であった。いまだに、このような論調でものを語れば、あいつは原発村から金をもらって書いていると言い出す輩が存在する(たとえば私に長らくストーカー行為と嫌がらせを続けた亀田賢治と彼と楽しくやってる連中もそうだろう)。放射線被害で二度と健康な子供は産めない、あの県出身の女性とは絶対結婚してはならない、あの県の産品は二度と食えない、などと言われた(現在も言われ続けている)人々の苦痛と苦悩はいかばかりか。

関東大震災時に虐殺された朝鮮人と、現在もデマでいたぶられ続けている東北の人々は、ことの遠因は地震であったとしても自然災害だけによって苦しめられた人々ではない。人災の被害者なのである。これまで知事が虐殺された朝鮮人に対して追悼の意を表してきたのはこうした理由からであり、これをやめるのは惰性で続いた無意味なものをなくす意図でなく、被害者をまったく追悼する気がないとされても文句は言えまい。このような体質の知事と、デマとデマに煽られた民衆の関係からは、別のものごとも思い起こされるのであった。豊洲移転阻止のあの一連の茶番劇である。豊洲の新市場から有害物質が検出されたにはじまり、地下の構造がどうこう、水が溜まっている、設計からして市場にふさわしくないと様々な情報が知事から、共産都議から発信され報道された。しかし、これらは検査そのものが杜撰であるばかりか科学的根拠がなかったうえに、案の定築地から有害物質が高濃度で検出されたり、不衛生な運用をせざるを得ない問題などが出てくるわ出てくるわだった。つまり知事はデマをもって民衆を動員して、自己に都合よく政治を動かす人であったのだ。さらにメディアは、こうしたデマをデマと見抜けなかったばかりか、検証することなく報道し続けた。知事が意図的に使用したデマを、いまだに総括しないメディアと言論人ばかりである。

Fumihiro Kato.  © 2017 –

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Profile

F.Hiro.K
加藤(文)文宏 / Fumihiro Bun Kato a.k.a Hiro.K
写真家・作家 / Photographer Author
・北海道北見市生まれ。
・大学卒業時までに詩集「無題あるいはサラバ」、同「Cadenza」発表(共に絶版、在庫なし。「Cafebza」別装丁私家版のみあり)。
・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。
・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他)
・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。
・不二家CI、サントリークォータリー企画・取材、Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告、武田薬品工業広告、他。アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材、MIT Museum 収蔵品撮影 他。
月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。
・長編小説「厨師流浪」で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」他、小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。
・獅子文六研究。
・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。
・各メディアにおけるスチル撮影。
・オリジナルプリントの製作、販売。
・JSAHP正会員
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