Jaco Pastorius と Weather Report

まったくもってベタなタイトルである。ベース奏者で作曲家の Jaco Pastorius(ジャコ パストリアス)は Weather Report (ウェザー リポート)のメンバーであったし曲の作曲者でもあり、プロデュースもしているし、Jaco Pastorius 在籍時の Weather Report こそ黄金期であったと書いてもそうそう異論は出て来ないはずだ。ただし、これから私が書こうとしているものは Weather Report のなかでの Jaco Pastorius のおきまりとも言える活躍話ではない。

私がコントラバスやエリクトリック・ベースを弾き始めたのは中学一年からで、この頃ベース関係の音楽雑誌を買うといつものように Jaco Pastorius についての記事や楽譜があったものだ。だから当然ながら彼の存在は知っていたし、毎日どこかのFM局でかならず流していた Weather Report の曲も聴いていた。なのだが、私は Weather Report がどうにもこうにも好きではなかった。シンセがピーピーなっているフュージョンが嫌いだったのだ。理屈でなく、肌感覚として。だから Jaco Pastorius は天才的で超絶技巧の人とは知っていても、ほとんど共感できなかった。あのハーモニクスだけでメロディーを奏でる奏法を、ベースマガジンの記事を見ながら真似したりしたけれど。

人は最初の出会いがすべてともいえるところがあり、初対面の印象を修正するのは難しい。このため30代の半ば過ぎになるまで、 Jaco Pastorius と Weather Report のどちらも教養の中のナニカでしかなかった。ある日、仕事を終えて銀座をぶらぶらしながら立ち寄ったCDショップで「この中から3枚買うと安くなる」的な棚があり、数合わせに買ったのが Weather Report 最後のアルバム「This is This」だった。自宅に帰り期待せず聴いたのだが、記憶の中の音とスピーカーから流れてくる音の間に奇妙な違いがあった。オーディオ装置の良し悪しを言っているのでなく、曲そのものの印象が違ったのだ。フュージョン全盛の時代から音楽は一周どころか三周、四周回ったところまできて、あの頃かっこよかったジャズとロックのミクスチャーはダサさの象徴にさえなっていた。一方、 Jaco Pastorius はベース奏者にとってはジミヘンなみに株価は昂騰を続け偶像化の末に神にさえなっていた。「This is This」の時点で Jaco Pastorius はメンバーでなく、しかも亡くなっているので、あたりまえだが演奏に加わっていない。このような「This is This」を聴き、もしかしたら Weather Report ってありかもしれないと感じたのだ。たぶん私の耳と心に幾重にもかかっていたフィルターが消滅していたのだろう。

このような出来事があった後、私は Jaco Pastorius が参加している Joni Mitchell のアルバムを買ったり、ベース少年だった頃から手に入れたくても買えなかった Al Di Meola の初ソロ作「Land of the Midnight Sun 」を買った。「Land of the Midnight Sun 」でもっとも感動したのは、 Jaco Pastorius が参加している曲「Suite-Golden Dawn」だった。Jaco Pastorius が演奏するリズム隊そのもののベースラインが鮮烈で耳から離れなくなったのだ。あの16分音符系で刻み続けるリズム。こうして私にとっての Jaco Pastorius はフレットレス・ベースを使い音楽性豊かにかつ超絶技巧でメロディーを取る神ではなく、すさまじいまでのノリをつくっていくリズムの神になったのである。この神のみがつくり出せるリズムを求めて、これ以後 Weather Report や Jaco Pastorius 関連のCDを買うようになった。

Jaco Pastorius が一人でリズムを刻んでいるだけのトラックが音源化されたら、私は間違いなく買うだろう。彼のベースは音色からピッチまで、これしかないと言えるくらい選択が正しい。このうえで、リズムもまた正確無比だ。わかりやすい16分音符系で刻み続けるリズムだけでなく、四つ打ちや二つ打ちの空間が空いた音も、ここしかないポイントで弦を鳴らしている。リズムの抑揚もまた、これしかない的確なものだ。フレットレス・ベースは指板にフレットが打たれている一般的なエレクトリック・ベースと異なり、音の立ち上がりが遅れる。とうぜんのこととして Jaco Pastorius は音の立ち上がりまで計算のうえ、というか練習を重ねて肉体に染み込ませて正確かつ的確なリズムをつくり出しているのだろう。そして音が厚い Weather Report では、こうした Jaco Pastorius のリズムよりソロやオブリカートなど目立つ部分に人々の興味が集中するのは当然で、これも尋常ではない神の技ではあるが私は耳をそばだててリズムを牽引する彼のフレーズに聴き入っている。これくらいリズムのノリが気持ちよいのである。

バンドを前へ前へ牽引する Jaco Pastorius の問答無用で説得力あるグルーブは、過去にここで私が言及した Paul Jackson の呪術的なリズムの推進力とまったく別種のものだ。呪術的と言い表したように、Paul Jackson は呪文を繰り返しこれでもかとつぶやくようなフレーズとリズム感でアフリカ大陸由来のファンクをつくりあげていく。地の底から古代の記憶が蘇るかのような印象のものだ。別の側面を別の喩えで言い表すなら、後輪駆動のクルマの後輪に似た推進力である。模型の自動車でも実験できるが、クルマを後ろから押すと前はふらふら左右に流れやすい。だから、後輪駆動のクルマはカーブの曲がりが良く回頭性が優れているとされる。 Paul Jackson のベースは、後方からじわじわものすごいトルクでバンドを前へ押し出す感があり、上に乗っかる演奏はけっこう自由に左右へ動きやすい。いっぽう前輪駆動は、模型自動車のフロントに糸をつけて引っ張ったときの挙動そのもので、引く方向を意図的に変えない限り左右にぶれることがない。 Jaco Pastorius のベースは前輪駆動のクルマがそうであるように、音楽を前方からぐいぐい引っ張っていく。このとき他の演奏者の自由度が低いなんてことはないが、Jaco Pastorius が描くグルーブをトレースしつつ冒険を試みるようになる。

Jaco Pastorius 在籍時に Weather Report が黄金期を迎えたのは、それ以前の模索期の課題が総括されていたことや、Jaco Pastorius がプロデュースに関与しアイデアが反映されたことが大前提としてある。ちょうどよい時期に Jaco Pastorius がやってきたとも言え、このように考えると Jaco Pastorius は類稀なセンスと技能でベースの守備範囲を広げバンドに貢献したという世の中で一般的に指摘される言説そのものになる。もちろんその通りだが、私は前述した Jaco Pastorius のグルーブの特性が Weather Report にぴったり合っていたからと付け加えたくなる。 Jaco Pastorius が自らのバンドを率いたら鬼に金棒だろうと誰しもが思うところで、 彼の演奏を愛している人たちは Weather Report 以後の活動を支持しているが、私はちょっと引いた姿勢で音楽を聴いている。これはまだ Jaco Pastorius をわかっていないせいで、なぜ腰が引けるか合理的な説明ができないところが正にそうだ。

Jaco Pastorius はクスリに対してクリーンな演奏家だったが Weather Report 時代にドラッグを使いだし、精神的な病を増幅させ悲惨な状態になる。これが死の原因となった、サンタナのコンサートの裏口に飛び入りさせてくれと駆けつけ警備員に追い返された後、泥酔してクラブに入ろうとしたところをガードマンと乱闘になり脳挫傷を負うといった一連の出来事の遠因だ。プロとして十数年、もしかしたらもう少し短い活動期間で、ここでもちょうど Miles Davis が電化しファンクやロックに接近した後に勃興したフュージョンと彼は歩みを同じくしたと言える。いまどきはフュージョンなどと言うと、コンプレッサーがいっぱい効いたギターをピラピラ弾くような軽薄な印象が伴うが、Jaco Pastorius や Weather Report のメンバーはまったく違うものを追い求めていた。このフュージョンが Jaco Pastorius の死の前後から一気に衰退した。Weather Report (に限らない)が研究開発生産した音楽のつくり方、やり方を、吸収した他の演奏者やバンドの限界点が低かったにもかかわらず、こうした演奏者やバンドが量産され気の利いたBGNに成り果て飽きられたのが衰退の理由ではないだろうか。そして基礎研究を行う Weather Report 他が解散したあとは、誰もフュージョンで研究と実験をしなくなったのである。もしJaco Pastorius がクスリと病気を克服して生きていたらなんて悲しくてやりきれない仮定ではあるが、何を生み出していただろうかと考えずにいられない。どんなグルーブを生み出していただろうか、と。

Fumihiro Kato.  © 2017 –

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Profile

F.Hiro.K
加藤(文)文宏 / Fumihiro Bun Kato a.k.a Hiro.K
写真家・作家 / Photographer Author
・北海道北見市生まれ。
・大学卒業時までに詩集「無題あるいはサラバ」、同「Cadenza」発表(共に絶版、在庫なし。「Cafebza」別装丁私家版のみあり)。
・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。
・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他)
・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。
・不二家CI、サントリークォータリー企画・取材、Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告、武田薬品工業広告、他。アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材、MIT Museum 収蔵品撮影 他。
月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。
・長編小説「厨師流浪」で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」他、小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。
・獅子文六研究。
・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。
・各メディアにおけるスチル撮影。
・オリジナルプリントの製作、販売。
・JSAHP正会員
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