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料理をつくることが苦でもなんでもなく楽しみでさえある私も、パンだけは手を出していなかった。オーブンで丸鶏を焼くときも、燻製釜でベーコンをつくるときも難しいと思わないがパンだけは発酵からしてなんとなく面倒に思われたのだ。遠い記憶のかなたに母が自宅でパンを焼いている姿がある。母もまた様々な料理にチャレンジする人だったが、材料の計量やら一次発酵、二次発酵の加減などあんちょこと首っぴきで作業をしていて、これが原風景でもあるためパンは面倒と思い込んだ次第。その昔、自動パン焼き器は存在していなかったし、オーブンは実家に導入されていたがなんとなく日常から遠い存在だったのだ。だが私はことあるたびに丸鶏をオーブンで焼いてローストチキンをつくっているのであって、目を離しても何ら問題なくすこしくらい所定の時間をすぎてもおおごとにならないオーブンの楽ちんさを知っているのだった。なら、パンごとき焼けないことはないだろうと思い立ったのだ。
気になっていたのが最近流行の捏ねないパンである。元はニューヨークのベーカリーの主人が考案したもので、ニューヨークタイムスの人気料理記事にも類似のものが掲載され、日本にどどっと上陸したのだ。「捏ねないパン」、どうだろうこの響き。パンづくりと言えば発酵と捏ねる作業がまず思い浮かぶくらいで、こういった重要でコツや労力が必要なものを省けるというのだ。捏ねないパンのレシピは多数出版されているが、どこまで本気で取り組めるか未知数で本を買うのが癪だったため、あちこち調べまわって確実そうなレシピを二、三点収集した。これらはそれぞれ単位や細かな差異はあったが、ざっくり言えば本家があるものだけに共通項のほうが多かった。なので、これらのレシピからポイントを抽出し作業に取りかかることにした。
強力粉とイーストと塩と水を混ぜながら、ふと思ったのは「捏ねないとはいうが、この時点で捏ねているではないか」という疑問だった。もういちど抽出レシピメモを読み返すと、二次発酵前のガス抜きと整形のための捏ね作業が省略できる、のだとわかった。こうした手順は母のパンづくりを見ていたのでしっかり記憶していたが、この段階の捏ね作業は別段難しいものでも手間でもないのだった。むしろ、発酵まで任せられるパン焼き器がなかった時代は一次発酵の温度管理と時間のほうがややこしかったように感じられる。では、別段難しいものではない捏ね作業が省略されると何かよいことがあるのか、だ。はたと気づいたのは、小麦粉を巻き散らかしながらある程度広い場所がないと捏ねるのもままならないところが省けるというメリットだった。私はうどん打ちをするのだが、うどんの何が面倒でやっかいかとなれば延しの作業なのだ。うどん屋さんのガラスで区切られた向こう側で職人さんが麺を打っているが、ああいうスペースは家庭にそうそうないのだった。私は延しにテーブルを使用しているけれど、専用でないと作業も後片付けも大変なのである。これと、同じ。捏ねないパンはボールの中で作業がほぼ完結しているため、準備やら片付けやら掃除が楽なのである。とはいえ、このハードルが極端に高いかとなると疑問符がつく。私の母だって台所でやっていたのである。そして面倒なのは捏ね作業より発酵の管理だったのだ。
捏ねないパンは常温で長い時間かけて発酵させることによって、基本的に温度管理はしない。温度管理に神経質にならずおいしいパンが焼けるのだから、確かにコロンブスの卵だ。ならばネーミングは「発酵に神経質にならなくてよいパン」でもよいではないか。しかし、もうすこし気の利いたネーミングにするとしても、それでも「発酵」ではダメだ。まず「発酵」という字面からして気難しいし、私は母の作業を四六時中見ていたからすっと頭に入ってくるが科学アレルギー症を発症する人もいるだろう。「捏ねない」または「こねない」は肉体に訴えかけるものがあり、はっきり作業の手抜きができると教えてくれる。そう、これが捏ねないパンのレシピの成功の元だったのだ。では誇大広告的なネーミングかとなれば、たしかに二次発酵後の捏ね作業が省略できているから詐欺ではない。
もう一度書くけれど、捏ねないパンのレシピが受け、おおむね失敗せず立派なパンが焼けるのは一次発酵の管理を放棄した点で、これこそが実態なのだ。では、いままでのレシピは何だったのだろう。そこで私はパンの歴史と製パン業について調べてみた。こうして見えてきたのは、定刻までにパンが焼けないと(当たり前だが)商売としてのパン屋はやっていられないという事実だった。パンづくりで微生物の活動にすべてを委ねる発酵の工程で、人間がコントロールできるのは温度だけである。したがって製パン業では一次発酵の温度管理が重要になるし、ここが所用時間だけでなく味や食感にとってのキモになる。となればパン職人は、発酵は何度で何分とレシピをつくらざるを得ない。このパン職人のやり方を、そのまま家庭用のレシピに水平移動させたことでパンづくりが面倒臭くなっていたのだ。家庭でパンを焼き自家消費するなら、おおよその時刻に焼きあがり、おおよその命中率で味が担保されていればよい。捏ねないパンの元祖レシピをつくったニューヨークの職人氏は、こういった製パン業ならではの縛りを解いたのだ。パンを日本人の米のように常食する欧米人でさえ、発酵を気温なりの成り行きに任せるパンづくりを忘れていたのだろう。なにしろパンを専門に焼くパン屋さん出現以前のやり方なのだろし。
では私はパンを焼けたのか、である。食感や味について課題を残しながらも、ちゃんと食べられるパンが焼けた。まさかこんな日記を書くとは思わなかったので、ありものの光でパシャっと撮ったいい加減写真をご容赦いただきたい。
さて、課題とは何か。捏ねないパンで使用が勧められる通り強力粉をつかったが、食感が軽いフランス風の準強力粉を使ったほうが個人的によいように思った。あと、フランス風のパンにつきもののクープ(割れ目)を入れるのにカミソリを使用するのは知っていたが、きれいに割れてくれなかったのでここはなんとかしたい。ほんとうに簡単であったか、である。一貫して作業がボール内でできるのはたしかにうれしい。ただし気温と時間任せの発酵工程は一長一短だ。ずぼらにやってもパンが完成する入門編としてはすばらしい。なのだが、夏冬の気温差が大きすぎる日本で、気温任せにするのは無理がある。私は空調が効いた部屋で発酵を開始させ、就寝前に空調を切りパン生地を冷蔵庫の野菜室に入れた。ほら、どうなるかわからないから考えなければならない。経験値を高めるほかない。もう、この段階で「捏ねないから簡単」を逸脱している。我が家の古い電子レンジ兼オーブンにさえ発酵モードがあるのだから、こちらに任せて10分程度でちゃちゃっと済ませたほうがよっぽど楽かもしれない。
勉強は楽しい。実践は楽しい。課題は楽しい。精進は楽しいのである。
Fumihiro Kato. © 2017 –
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