内容が古くなっている場合があります。
思い通りにならない夏の太陽と撮影、風景を前にして何を考え撮影しているか、と題して二つの記事を書いた。これらの記事は、照度差が激しい被写体をどうやって撮影したらよいだろうか、どうやって現像したらよいだろうかという内容だ。いまどきはカメラ内蔵の露出計が高度化して、スポット測光しかも受光角を微調整したり、分割測光で評価測光を実現するなど単体露出計の出番は以前と比較しだいぶ少なくなった。夏の強烈な太陽光下で陰影がきつくても、RAW現像時にほんのすこし手を入れるなら満足のいく画像が得られる。
なのだが、ほんとにこれでいいの? いつも成功するの? と私だって悩むのだった。「RAW現像の鉄則」といっても私が私に課しているに過ぎないが、ある一線を超えて過剰な操作をしてもよいことはなし、なのである。「ある一線」は人それぞれの価値観や美意識によってどこにどれだけの一線があるか変わるだろう。しかし、いずれにしても無理やり整えたものは、そのとき達成感があったとしてもロクな画像になっていない。これを回避するには、やはり撮影時に補うものは補い、整えるものは整えておかなければならないのだ。とすると、単体露出計を使用して脳みそに相談する他なくなる。
風景に限らず、ある部分の輝度が写真としてどのように描写されるか把握するには反射光式露出計が必要だ。入射光式露出計は、どれだけの光が入射しているか被写体そのものの影響を受けず知ることができるが、部分ごとすべて標準反射板と等しい反射率である訳がないし、これらの部分に接近したり入り込んで測光できるとも限らないので万能ではない。とはいえ反射光式の露出計はカメラに内蔵され前述の通りだから、スポット式露出計の必要性は近頃はとんと減ったかもしれないが、存在意義は変わらないのだ。カメラのファインダー内のインジケーターを追いながらスポット測光によって得られた情報を考えるより、ひとつ機材が増える面倒臭さはあるものの反射光式スポット露出計を使うほうがいろいろ容易い。ストロボを使用するときカメラの露出計でオート露出ならまだしも、マニュアル操作をするなら単体露出計しか測光の方法はない。デジタルカメラがポラ以上に素早く撮影画像を再生できるとしても、トライアンドエラーで無駄な時間を費やしたり袋小路に迷い込むくらいなら事前に正確な測光と判断をしたいものだ。
反射光式スポット露出計を使う前にやっておかなければならないのが、使用するカメラのラティチュード(latitude)の幅と応答性の把握だ。ラティチュードは音響の世界で言うところのダイナミックレンジに相当する「露光の寛容度」である。[暗黒=0]から[光そのものまで=255]の明るさに対して、適正露光量を与えたときいったいどの範囲まで階調を伴って描画できるかの、階調描写が伴う範囲がラティチュードである。ざっくり言えば、黒つぶれと白つぶれしない範囲だ。これはフィルムを使用する際はフィルムの銘柄ごと、現像の方法ごと異なる。デジタル化されたカメラでは、カメラごと、設定感度ごと異なる。あるデジタルカメラでは階調をぎりぎり伴っていた部分が、別のカメラでは黒つぶれまたは白とびしている場合があるのは皆よくしっている。なので、カメラごとの特性を事前に把握していないなら、スポット測光で様々な輝度を示す部分を比較しても意味がないのだ。(まあだいたいはラティチュードの幅だけ把握していれば大丈夫だが、厳密性が要求されたり追求したいなら応答性も把握しておくことになる)
ラティチュードを扱うとき不可欠なのがEV(Exposure Value)だ。Exposure Valueは文字どおり露光量の値、露光値だ。しばしばEVは明るさの単位であると説明するケースが見受けられるが、これは正しくない。正しくない理由は後述する。
私たちはシャッター速度(TV)と絞り値(AV)に相関関係があるのを知っている。シャッター速度1段は絞り値1段と等価で、シャッター速度を1段速く変えても絞りを1段開ければ露光量は変わらず、逆にシャッター速度を1段遅く変えても絞りを1段閉じれば露光量は変わらない。ここで単位としての「段」をいきなり使ったが、写真をいくらか撮影している人にとってシャッター速度や絞りの値の1単位が「段」であることに何ら疑いを持たない。この単位「段」を用いれば、「露光の量」が表せそうである。しかし、フィルムでもデジタルカメラでも撮像媒体には感度があるので、感度が明らかにならなければ「露光の量によってもたらされる結果」がわからない。釈迦に説法だろうが、適正露光量1/8000秒 F16とだけ示されても撮像媒体の感度であるISO感度が100の場合と200の場合では、露光した結果関係が異なるのである。ならば、ISO感度100を基準としてシャッター速度(TV)、絞り値(AV)の三者から、「露光の量」を把握できるようにすればよい。ISO 100、シャッター速度1秒、絞りF1.0のときの露光量を[ EV 0 ]とし、シャッター速度と絞り値1段と関係づけると以下のようになる。
手元に単体露出計があるなら表示をEVモード、ISO感度を100にして環境光を測光してもらいたい。ここで得られたEV値に注目しながらISO感度を上げ下げする。するとEVの値もまた変化する。このことからわかるように、同一の明るさでありながらISO感度によって値が変化するのだからEVは絶対的な明るさを示すものでなく、ISOの値が係数となっているのが理解されるだろう。このため掲出した表は、ISO感度100の場合であるのを但し書きとして入れている。
EVから照度(撮影対象の明るさ)が推し量られるが、厳密にはEVは明るさの単位ではない。EVは撮影対象の明るさを露光相当の結果として表す単位なのだ。つまり、これが露光値だ。そして露光値は「段」そのものの正体とも言える。『すべての段はEVから生じる』と憶えればよいだろう。EVの理屈がわかれば、露出計が示したEV値から露光量が同じである多様なシャッター速度と絞りの値の組み合わせがわかる。多くの撮影者は日頃から「段」を用いて「1/125 F5.6なら1/60 F8でも露光量は同じだ」と瞬時に判断しているはずだ。これで済むため敢えてEVの値とすべてのTVとAVの組み合わせを暗記していないし、EVとはなんだろうと首をひねる人もまたいる。これはこれでよいと思うし、TVとAVの組み合わせを丸暗記するなんて不毛だ。ましてや関数を現場で計算する必要性はまったくないと言ってよい。そういうことは、撮影より理論が好きな人に任せればよい。『すべての段はEVから生じる』、ただこれだけだ。
EVそのものの説明が長くなったが、やっとラティチュード=ダイナミックレンジについてだ。
写真を撮影する際、大概は画角内に様々な輝度が点在している。撮影時に何らかの方法で露光量をISO100 EV10と決め露光したとき、この様々な輝度はどのように記録されるだろうか。EV10に収まらない箇所は明るく暗くそれぞれ描画される。場合によっては、輝度の最小0または最大255となってディティールが描画されない箇所が生じるかもしれない。では画角内で輝度の最小0または最大255の部分だけが、黒つぶれや白とびするのだろうか。実際には、フィルムもセンサーも輝度のある範囲のみディティールを記録できるだけで、この範囲の外は黒つぶれや白とびした状態でしか記録できないのである。このディティールが記録される範囲がラティチュードだ。ではフィルムやセンサーのラティチュードが様々であるとしても、平均的にどのくらいの広さがあるのだろうか。おおよそであるが、経験的に8〜10EV程度だろうと私は把握している。
8〜10EVはシャッター速度でも絞り値でも8〜10段だ。任意のシャッター速度に対してF5.6で露光したとき、絞り値で明暗双方向に4〜5段もラティチュードの幅があることになる。この例では、F5.6からF32、F5.6からF1.0の範囲になる。多くの人は、まさかそんなに広い訳がないと感じるだろう。その通りだ。ディティールをこんなに暗い箇所、明るい箇所にも感じられるならローキー、ハイキーなんて表現は成り立たないことになる。写真に必要なディティールを感じ取れる範囲は、せいぜい明暗それぞれに2〜3段(あるいはここに±1段)くらいのものだ。8〜10EV程度の範囲がラティチュードであるとだけ説明している文章に当たったら、説明者はろくに写真を撮っていないか資料をそのまま書き写しているだけと思ったほうがよいだろう。カラーネガはラティチュードが広いので写ルンですのように露光量を調整しなくてもよいとされるのは、損失は生じていても「ネガに何らかのディティールが残っている」の意味で、棒焼きしただけでは黒つぶれ白とびを免れない。これはデジタル写真にも言え、十分なディティールが残っていないとしても現像時に調整すれば潜在していたディティールを掘り起こすことができる。ここで思い出してもらいたいのが冒頭に書いた鉄則「ある一線を超えて過剰な操作をしてもよいことはなし」だ。
以下の、上下の概念図を見てもらいたい。フィルムやセンサー(およびセンサー周りの技術)のラティチュードは、一般的に中間調で応答性が穏やかで、中間調を穏やかにするため結果的に明暗側で性急になっている。このような特性によって中間調を豊富にし、明暗のしまりをよくするチューニングがもともとの特性に付加されているのだ。概念としてはこの通りではあるが実際には多様な応答特性を持っているので、使用するカメラのラティチュードの特性を事前に知らないなら単体反射光式スポット露出計をつかって各部を測光しても有意義な使い方ができない。さらに各部の反射率は質感や色の明度によっても変わってくる。
なんだか面倒臭いなあ、がここまで読んでくださった方の正直な感想だと想像される。もっと面倒臭い話をするなら、入射光式露出計で照度の絶対値を測光したうえで、明暗部、色の違いの輝度を反射光によって測光して、どの部分をどのようなトーンで記録したいか考慮しなくてはならない。では、こういった教科書的な方法を私がいつもやっているかとなれば、「いいえ、やっていません」なのだ。入射光式露出計だけだったり、カメラ内蔵の露出計だけで済ますケースがほとんどだ。こうしてほんどのケースは経験値を頼りに思い描いた画像を得られる。写真を意識的に撮影している人は、だいたいこんな具合で失敗していないはずだ。だから、面倒臭ければ省略できるところは省略しても問題はない。なのだが、ほんとにこれでいいの? いつも成功するの? と話のはじまりに戻ることになる。また新たな試みをするとき、こうした面倒臭い作業を経たほうが狙いが明確化し予想外の失敗もなくなるのである。
Fumihiro Kato. © 2017 –
Unauthorized copying and replication of the contents of this site, text and images are strictly prohibited. All Rights Reserved.
なお当サイトはTwitterからのリンクを歓迎しません。