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他人からしたらどうでもないことだったかもしれず、実際に経験した者でなければ理解できないかもしれないが、とてつもないストレスが体を破壊していたのは事実だ。ナニがどうしたかの話は、あえてここに書かない。なのだが、不条理きわまりない通り魔的なにかだったとだけ補足しておこう。このサイトを探れば出来事の一端くらいは拾い読みできるかもしれない。まあ、そういうことで現在は一時的に退院して次回の手術まで肉体的にも精神的にも滋養をつけている段階だ。
こうして思うのは、いま死ぬわけにはいかない、である。通り魔というか、あの知能と人格がともに劣った(しかも)痴呆の気がある人物に、やりかけの、途上の、まだまったく未完の仕事を邪魔され前途を絶たれるなんて、私としてはまったく許せないのだ。作品をとにかくつくり続けなくてはならないのだ。人にはそれぞれ独自の生きる意味があり、そのために必要な修練があるが、これが私にとっての「意味」である。つまり、こうしなければ生存している意味も意義もないのだ。他人からしたらどうでもないことだろうが。
なにごとにも共通する話へ拡張するなら、継続させた者が勝者なのである。スタートダッシュで他者を周回遅れにしたとしても、最終コーナーにも至れず棄権したランナーは記録にさえ残らない。自らの先が、生命あるいは才能いずれにしても長くないと悟ったなら短距離走にクラス替えしてゴールを踏み越えるほかないのである。トラックのスタート地点に立ったら、あとは走りきらなければならないのである。敬愛する美術家、音楽家を振り返るとき導き出される事実だ。こんなことは誰もが理屈のうえでは理解しているし、私だって理解しているつもりだったがなにもわかっていないに等しかった。
Fumihiro Kato. © 2017 –
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