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Robert Fripp (ロバート・フリップ)と書いて誰であるかわかる人は音楽ことにロックに明るい人だけだろう。Robert Fripp はサイケデリックな時代に幕を引かせたバンド、King Crimson を今日まで率いているギタリストであり音楽家だ。King Crimson のデビューアルバム In The Court Of The Crimson King (クリムゾン キングの宮殿)はものすごい表情をした赤い顔のジャケットとして有名だが、内容(本質)が古びていない点もまた凄まじいものがある。Deep Purple のギタリスト Ritchie Blackmore は当時「おいおい凄いのがデビューしちまったよ。これから俺たちはあんなやつらと競わないとならないのか」とこぼしている。
In The Court Of The Crimson King の衝撃は、ヘビーなロック、恐ろしいほどの演奏能力、ジャズやクラシックなどを咀嚼したうえで融合している点、これら革新性、歌詞と曲の世界観が卓越していることなどを挙げられるが、こんな言葉よりまずは一聴してみるべきだ。だが King Crimson は瞬く間に空中分解し、2枚目以降のアルバムは Robert Fripp がメンバー選定からコンセプト、プロデュースに至るまで苦心しながら録音され、ツアーが行われた(ツアーが行われなかったアルバムも存在する)。King Crimson が本来の意味におけるバンドとして In The Court Of The Crimson King 以来の密度で In The Court Of The Crimson King を超越・克服したのは 「Larks’ Tongues in Aspic」(太陽と戦慄)に至ってからだ。この時期のメンバーの演奏能力と作曲能力とインプロビゼーションは邦題通り戦慄ものである。ただし、このメンバーで3枚のアルバム(ライブ盤等を除く)を残しKing Crimson は一旦解散する。
King Crimson はメンバーの移動が目まぐるしく、Robert Fripp が提示するコンセプトが端から見ても強固であったため、Robert Fripp のワンマンバンド、専制君主などと呼ばれる時期が長かった。こうした印象は音楽メディアによってつくられたところが大きく、Robert Fripp のインタビューは本当に彼が喋ったのだろうかと思わせるもので、まあとにかく独善的であり魔術に囚われた人のようであったり、屁理屈屋のように翻訳されていた。私も当時はこのまま信じていたのだが。
どうもあの時代の翻訳は脚色がひどいのではないかと思うようになったのは、ここ20年くらいのマイナーかつマニアックな音楽雑誌に掲載されたインタビューでは紳士的で論理的な Robert Fripp の言葉が掲載されていることや、Robert Fripp が主催するレーベル(といってよいのかな?)DGMのホームページの記事などの理知的な彼の言葉を知ってからだ。プロレスラーや野球選手なら主語は「俺」、文化人なら「私」として翻訳されがちなおかしな事情があるが、人称代名詞を「俺」にするか「私」にするかでだいぶ印象が操作されるアレみたいなものである。それと40年近く前の音楽雑誌はほんとうに取材していたのかさえ怪しく、どこどこが報じたとされる紹介記事も適当を極めていたのは間違いない。
もしRobert Fripp の身長があと10cm高く、イギリス紳士的ではあるが美貌というほどでもない顔が David Sylvian くらいだったら、偏屈、嘘つき、暗いやつ、ギターは恐ろしいほどうまいが独裁者なんて言われなかっただろう。そして現在のインタビューのように発言が精緻に訳され、変な印象を拡散されることもなかっただろう。また King Crimson の音楽が不可解なものだなんてことにされず、David Sylvian の JAPAN がみょうちくりんな音楽性でありながら若い女性から支持されたような具合になっていたはずだ。そしてロックのギタリストでありながら椅子に座ってギターを弾くRobert Frippのやり方が嘲笑されることもなかっただろう。こういった点もまた、彼が特殊な人とされ、特殊な人のままにされた原因でもある。
10歳くらいから現在まで King Crimson を聴き続けている私は、同時に Robert Fripp を追っていることになる。いや Robert Fripp が何を考え、いかに曲として昇華させ、どう演奏するか追うため King Crimson を聴き続け、 King Crimson が解散または休止している間は Robert Fripp のソロやプロジェクト等を聴いてきた。破壊しないと前進できない、破壊しないと新たな構築は不可能、論理的に詰めないと自由な活動はできない、他人と違うことはできない、のようなものは Robert Fripp から学んだというか自然のうちに影響を受けていた。
私は Robert Fripp のやり方は正しいと思うが、世間の大概は馬鹿らしいであるとか変なものとしていた。前述の Ritchie Blackmore は「たしかにファーストアルバムはすごかったが、2枚目、3枚目となってくると Robert Fripp のギターはなんだか訳のわからないのものになってさあ」みたいなことを言っている。ロックそのもののフォーマットを疑い、フォーマットの革新をどうしても計らずにいられなかった Robert Fripp は、このようにわけがわからないことをする人、変なことをする人枠に整理されがちなのは説明してきたとおり。こうした流れをメディアが拡大再生したのだが、ミュージシャン同士ですらこれである。ロック特有のいっぱつガーンとやっちゃれ主義の悪い側面で、これがジャズやクラシックにはないものだ。ジャズやクラシックではいつまでも同じことしかできない奴は馬鹿とされる。才能がまったくないとされる。いまどき大家とされる過去のクラシックの作曲家はいかに次作で新しい試みを実現するか、それこそバッハの時代から繰り返してきたのである。
現在もロックのフォーマットを拡張しロックであり続ける King Crimson はドラムを三人から四人へと増やし絶賛活動中であり、過去の演奏を管理している Robert Fripp は過去を現在に位置付ける録音を販売中でもある。こうしてアルバムを出したり世界ツアーをしているのだから、やってきたことは間違いではなかったのだ。むしろ、ほんとうに理解できない人は別として、多くのギタリストは Robert Fripp にしかできない思考と演奏に嫉妬してこそこそ悪口を言っていたのではないかとすら思う。
つくっては壊し、自ら否定し、新たな種まきをして育て、構築して惜しげも無く壊す。したがって King Crimson の音楽は様々に変化するし Robert Fripp もまた変わる。こういった変化はバンド名をブランドとして売り続けたい産業にとってはやっかいであり、伝統芸能的に変わらないバンドや奏者のほうが圧倒的に売りやすいし儲かる。なのに、King Crimson と Robert Fripp は生き残っている。まあ、嫌いだとしたい人がそっち側にいるのも理解できるし、だから好きだという人もそっち側にいるのも当然だ。大々的ヒット曲が必須であったりアルバムチャート常連でなければ音楽家でないとするほうが異常で、こうした流れが現在の音楽産業ぼろぼろ現象の原因なのだけどね。
悪口、嘘、後ろ足で砂、揶揄なんてものは嫉妬であり新たなものを生み出せない人のせいぜいの対抗措置なのだろう。いつまでもとうに草ぼうぼうの荒地に留まるほか他に何もできない人が、才能と構築性に向けた負け犬の遠吠え。と、いうことだ。 Robert Fripp へのあれこれに限らず、世の中はこういうものだ。
ついでを書けば、曲と録音を初期のものから完全に管理し、後ろ足で砂で出て行ったメンバーにも正しく印税が行き渡るようにした点にも Robert Fripp の先見性が見て取れる。口で言うのは簡単だが、ここまでできる人は彼くらいのものだろう。
Fumihiro Kato. © 2017 –
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