人間は後片付けが苦痛である

このシリーズというか、こういったお題の一連の日記が自己啓発っぽくてイヤミな感じが気になっている。まあ独り言の延長だからこのまま続ける。で、昨今のあれこれでほんとうにクサクサしていたのだけど、ここを読んでいる人は多分知っているアレの面倒臭さは、ひとつも自分が前進しない後片付けでゴミをパッパみたいな点にある。これに限らず、誰かが汚した後をきれいにするのは本能というか心が面倒臭さに悲鳴を挙げるなあ、と。そうこうしている時、ああ作品のためのロケに出てないなと気付いた。忙しい方からしたら、私はこの手の撮影に頻繁に出かけているように見えるかもしれない。しかし、他者から見る私と、私から見た私は別個のものだから、なんて言われようと本能に忠実に従おうと考えるのだ。

今回は衝動的に「出かけよう」と心が律動したので、「何処へ」という本質的な目標設定が抜け落ちていた。まったくべらぼうな話で、どこでもよいとすら思ったのだ。私は何処へ出かけても私の写真に仕上がるし、ね。ハハハハ、才能って怖いね。なんだけど、いつものようにグーグルのMapと航空写真をつらーっと海岸線沿いに移動させつつしていたら、あっという間に一時間が経過していた。そして「ああ、先のことを考えるだけで人間は楽になるのだ」と今更ながら気付いたのだ。

写真の話のついでに書けば、私は暗室作業がまったく苦にならないどころか大好きだった。ところが、世の中の人の意見を集約すると「暗室は苦痛」となる。で、いまどきのデジタル明室作業もまた私は苦にならないどころか大好きなのだ。したがってRAW現像が「得意ではない」「考えたくない」「苦痛」という人の気持ちがまったくわからない。たしかに暗室でも明室でも、同じような画像を機械的に枚数だけこなす作業は私だってつまらない。単調さがつまらないけど「苦痛」とは違う。これもまた、わからないなりに「先のことを考えるだけで人間は楽になるのだ」論で説明できそうで、暗室(または明室)作業を「後片付け」と思い込んでいたり、そうとしか考えられないから苦痛なのだ。私はと言えば、暗室(または明室)作業は「後片付け」でなく撮影と同じ「先のことを考える」時間。撮影中に頭の中で「次はあれをこうしてこうしたい」と次々目標を設定しているのと変わりない。

ほとんどの人が自分にとって好ましい現像レシピを持っていると思うし、もし持ってないならちょっと考えたほうがよいけれど、私も当然のこと自分なりの進め方に沿ってデータから画像を生成させている。こういったレシピをベルトコンベアのごとく流して自動化できるかとなると、そんなことはない。被写体が違えば、そのつど何らかの課題が登場する。で、課題はとても小さな存在だ。駐車枠に車を収めようとして、真っ直ぐか少し斜めになっているかの違いみたいに。課題となるものは駐車枠そのものに車が入らないような話ではない。したがって課題が克服されていても、されないまま完成に至っても、他人からしたら変わりないものに見えるだろう。この課題に私はワクワクするのだ。「次はあれをこうしてこうしたい」って。

私の日常のすべてがこうだと良いけど、大概が「得意ではない」「考えたくない」「苦痛」なのである。だったら「暗室は苦痛」がわかるだろと言われそうだ。でも、まったくわからない。わかるための努力をする必要もないし、他人は他人だし。思うのは、私は幸せだということのみ。写真を撮影していて現像が苦痛とする。フィルムの時代だったらラボがあったし、いまどきもデータからの現像を人任せの人がいるけど、これはほんと不幸だ。何が不幸か書きはじめると悪口になるかもしれないから書かないけどね。と同じく、大概のことが「苦痛」な私もまた不幸なのである。

幸福なのか不幸なのかはっきりしろ、だよね。ただこういった白か黒かしか許さない問いかけほど馬鹿らしいものはない。なぜなら、人間は白と黒が混ざり合うグラデーションまたはグレーな存在だからだ。あるいは白と黒がマーブル模様を描く存在かもしれない。もちろん私は白、黒、グレーでできている。白黒抹茶あずきコーヒー柚子桜くらいいろいろある。とことん心底つまらない人間によって私がクサクサさせられていたのも、こういった分野をまったく楽しめないからで、よくもまああんなのと世間話を、ほんのちょっととはいえ会話できる人間がいるものだと。他人から見たら、小さな画像から犯人の自宅を特定するあれこれを嬉々として行っているように感じられるかもしれないが、私はクサクサしながら理詰めで考えていただけだ。で、これを黒側の色調とすると、対する白側が飲み込まれた状況なのだ。このまま放置すると、白なんてあったのかしらとなる。だから、後片付けとしか思えないものはすっ飛ばして、心の律動にしたがって「出かける」のだ。法務局人権擁護課のメールをほっぽらかして。

悪口は暇人の悪しき嗜みだから、なるべく悪口にならないように書こう。人間だれしも「苦痛」でしかないものがある。そして、苦痛の大半は後片付けである。何が後片付けに該当するか、人それぞれ違う。そして、誰しもがふとしたきっかけで苦痛ばかりと気分が落ち込む。しかし、こんなときだって心に律動するものがある。律動しているのだけど気づかなかったり、どうせ危険だから、どうせ失敗するからと抑制が働くので、ぱあっと明るい方向へ進めない。これが抑鬱状態だ。あの人たちは苦痛さえ避けて通ってきたので片付けるべきものは何もなく、これは本来安楽なはずなのに幸福だ! 不幸だ! と他人の点数づけに忙しい。こんなことをしていれば他人の幸福が妬ましくなるのは当然である。特に私のような才能の持ち主に対してはね、ハハハハ。あの人たちの苦痛を誰かがずーっと肩代わりして時が過ぎ、いざ自分だけで後片付けをしなければならない状況に直面すると針小棒大に「先のことなんて考えられない」と自堕落になる。こうして、ますます他人の幸福が妬ましくなる。人間とは幸と不幸が混ざり合った存在であるなんて考えもしない。

苦痛は、季節の山菜のほろ苦さがちょうどいい。実際のところ、人生なんて生のまま山菜を齧るくらい苦いものかもしれないが、「春の味だな」と澄まし顔でいたいものだ。ま、だいたいの人はこうしている。口の中がしびれるくらい苦くなったら、そっと隠れて甘い水を飲む。このときばかりは、後片付けをほっぽらかして。他人がいま苦い思いか、甘い心持ちかなんて関係なく。

 

Fumihiro Kato.  © 2017 –

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Profile

F.Hiro.K
加藤(文)文宏 / Fumihiro Bun Kato a.k.a Hiro.K
写真家・作家 / Photographer Author
・北海道北見市生まれ。
・大学卒業時までに詩集「無題あるいはサラバ」、同「Cadenza」発表(共に絶版、在庫なし。「Cafebza」別装丁私家版のみあり)。
・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。
・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他)
・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。
・不二家CI、サントリークォータリー企画・取材、Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告、武田薬品工業広告、他。アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材、MIT Museum 収蔵品撮影 他。
月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。
・長編小説「厨師流浪」で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」他、小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。
・獅子文六研究。
・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。
・各メディアにおけるスチル撮影。
・オリジナルプリントの製作、販売。
・JSAHP正会員
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