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ダサジャケとして有名かつ珍品アルバムという呼び名が定着している感があるけれど、ジョー・パスの「Better Days ベター・デイズ」を私は愛している。ジョー・パス(Joe Pass 1929-1994)はハンプティダンプティまたはゆで玉子みたいなつるっとした頭の名ギタリスト。白人なんて言葉は最近では政治的に正しくないナニヤラとされるかもしれないが、黒人(これもまた)のルーツミュージックから生じたジャズにおいて、やはりリズムの取り方、フレーズの構築など血が争えないものがあり、ジョー・パスは白人的であることを隠さないギタリストだ。端的に言えば、ノリが違う。彼が1971年に、女性ベーシスト キャロル・ケイ(Carol Kaye)運営のマイナーレイベルから発表したのが「Better Days」だ。
「Better Days」はジョー・パスの経歴の中では珍しく西海岸風フュージョンまたはファンク、ソウル系の演奏でまとめられている。ファンク、ソウル系のコンセプトのもと結果的に西海岸風フュージョンになったとも言えるかもしれない。70年代はジャズが衰退へ向かい、ファンクが勃興する年代だ。こういった時代の雰囲気に迎合するためファンクに向かったのでなく、キャロル・ケイがやりたいようにプロデュースしてここにジョー・パスが乗ったのではないか。もし売れ線を狙っていたら、このアルバムで聴ける肩の力が抜けた演奏にはならなかっただろう。実に自然な、のびやかな気分が横溢したアルバムだ。
キャロル・ケイはいまだ健在の女性エレクトリック・ベース奏者で、ギタリストデビューを含めるなら芸歴はとんでもないものになる。14歳でジャズギタリストとしてデビューし、あるときベーシストがコンサート会場に来ないハプニングがあり彼女がピンチヒッターでベースを演奏して大好評だったのでベーシストの仕事が増えた。どのくらい増えたかというと、絃を張り替える時間さえないため仕事があるたびスタジオやコンサート会場近くの楽器屋で新品のベースを買うほかなかったと言われ伝説が語られ続けているくらいだ。モータウンレーベルが西海岸支店を開設してから同レーベル、ザ・ビーチ・ボーイズからフランク・ザッパまであらゆるところで仕事をし、録音は膨大なものになる。モータウンレーベルとの関係でもわかるように、彼女の指向性の中にはジャズから発したファンクな音楽がある。モータウンの名ベーシストジェームス・ジェマーソンがいるが、長い間彼が演奏したものと思われていた録音が実はキャロル・ケイであったとユニオンの支払調書から判明したなんてことからも、彼女がいかにファンクなプレイヤーか理解できる。
ただ(政治的正しさに適切か不明だけど)白人であるキャロル・ケイのベースは、やはり黒人のノリと明らかに違う。横に揺れる拍の掴み方が、黒人ほど振れ幅が大きくない。ジョー・パスと同じように。またジェームス・ジェマーソンのフレージングが的確で天才的であると同時にメロディアスなのが、たぶん黒人的ルーツからくるものだろうと思うしかないのに対し、彼女はかなり論理的に自由な動きをしている。だからキャロル・ケイのベースとジョー・パスの相性は悪くない。キャロル・ケイがアルバム「Better Days」を企画したのも、二人の共通項があり、時代の流れがあり、自然な成り行きだったのだろう。そして、参加ミュージシャンは彼女の人脈の広さと強力さを反映して一流どころばかりだ。こうして70年代初頭に後の西海岸フュージョンの先駆け、典型とも原型とも言える演奏が実現した。
私はベースを弾いてきたので耳がベース耳になっている。だからどうしてもジョー・パスよりキャロル・ケイ寄りの聴き方になる。一部にキャロル・ケイは下手くそ論があるけれど、これは正しくない。彼女はベースのブリッジ寄りにスポンジのミュートを置き、いまどき主流の指弾きではなくピックで演奏するため、サスティーンのないボボンボンと古い音づくりになるので下手なんて言われるのではなかろうか。また前述のように黒人のノリの演奏ではないのも、黒人のノリをコピーする白人の演奏が一般的な現在では違和感があるのかもしれない。ジェームス・ジェマーソンがなんであんなフレーズを思いついたのか不思議であるし、そっくりコピーできても彼のような新たなフレーズを生み出すのは技術があっても不可能だ。一方、キャロル・ケイのフレージングに驚くべきものがあるけれど、解析して分析すればたぶん第二のキャロル・ケイ的なものになる。こういった点は深く聴き込まなくてもなーんとなく感じるものが伝わり、彼女は軽んじられているのだろう。下手くそが、あれほど重用され無数の録音を残すだろうか。
解析して分析してと書いたが、キャロル・ケイ自身がこのようして自らの音楽を構築していた可能性が高い。彼女は世界ではじめてエレクトリック・ベースの教本を書いた人だ。教本が書けて、この教本がベストセラーになり、スティング、ジョン・ポール・ジョーンズ等々の名ベーシストが買い求めて未だに絶賛し、しかも彼女は大学の教壇に立ち、いまだにワークショップをこなしているのは、自らの音楽をきちんと説明できるからだ。ジェームス・ジェマーソンは唯一無二な名演奏家であり、彼のような人は二度と出てこないと書いてもホラ吹きと後ろ指をさされないくらいの天才だが、たぶん自らの経験と音楽を誰にもわかるように説明できなかっただろう。どちらがよいかではなく、キャロル・ケイはこういう才能の持ち主なのだ。したがって「Better Days」の成り立ちも、のびやかで自然な気分横溢のアルバムではあるけれど、ダサジャケとも呼ばれるかわいいデザインだけれど、時代と音楽への洞察を元にしているのだろう。こういったものを居丈高に叫んだり、スローガンにしたり、眉間にしわ寄せて考え込んだりしないで、さらりとやってのけるのがキャロル・ケイなのだ。
自分がやっていることを説明できる。で、これを自慢したりしないが結果は残す。これだけでもシビレるミュージシャンだ。
Fumihiro Kato. © 2017 –
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