多様性とゴミ屋敷

私は物心ついてから集団に易々と馴染めない性格で、三人以上が集まればいつも違和感を抱いてきた。こんな自分は、マジョリティグループのみそっかすだろうとひしひし感じつつ今日まで生きてきた。もうほんと、ひしひしと。で、多様性を認めよう、多様性を受け入れようと口先だけで言う人たちに、ずっと薄ら寒い視線を送ってきた。政治的正しさを錦の御旗として正義面で多様性を語る人々は、多様性の実現即イライラの増加であるという事実を認めようとしないし、イライラすることをどんなときでも悪と決めつけるから、私は彼らを軽蔑するのだ。

私はマジョリティグループのみそっかすとして同調圧力が大っ嫌いで、こんな私を周囲は不快に感じているのを知っている。同調圧力が発揮されそうになるたび、私はとことん抵抗してきた。すると人々はイライラしはじめ、ときには喧嘩を売られた。理想通りの多様性が認められる世界は、もちろん私にとってありがたいのだけれど、理想通りに成立するはずがないのを身をもって知っている。そして私がどうこう関係なく、不快な気持ちを抱くなというお説教が、正義不正義関係なく無理なのも知っている。

世の中の人々はさまざまで「これだけは勘弁」の線引きもさまざまだ。調整不可能と言い切れるくらいさまざまである。人の数だけ常識が存在すると言ってよいだろう。このようにさまざまな人が、さまざまな価値観と常識を持った状態で隣り合っているのが世界だ。なのに、価値観や常識の相違が表立って衝突していないとすれば、双方が切羽詰まっていないからだ。こうした均衡状態にあるとき、正義面した人から多様性を理解しろと言われたなら、言われた側は「ちょっと待て」となる。これまで相互不可侵の暗黙の了解があるところに、どちらかはそのままでいいから片側が我慢し譲歩しろとされたなら、場はいっきに切羽詰まる。マジョリティグループの中でさえ、こうなる。

かく言う私は、「不快だから切り捨てよう。排除しよう」という紋切り型の考えかたには同調しないし、それどころか反対である。なのだが、価値観と常識の相違による紛争を、多様性なる教条を振りかざすだけで仲裁できるはずがない、と考えている。

感覚のずれや常識のずれの均衡が破られる切羽詰まった状況になると、生活はぐらぐらと揺さぶられる。世の中の揉め事のほとんどがこれだ。相互不可侵なんて言っていられなくなり、「平和な生活を取り戻すには相手をこちらに合わせてもらうほかない」となる。たとえばゴミ屋敷が隣近所に存在しているなら、「不快だから排除しようとするのは当然だ」となる。多様化は結構なれど、現実はもっと複雑で、口先で理想論をぶてるほど簡単なものではない。誰もが知っているゴミ屋敷問題ひとつとっても、価値観と常識が衝突しあうなか仲裁案として「多様性」を訴えてもどうにもならないのは明白だ。だから多くの人が、ゴミ屋敷未満あるいはすれすれの事案に憤っている。

異文化の衝突について、私は「花開富貴」という長編小説を書いた(文藝春秋刊)。横浜中華街を舞台にした「花開富貴」は細腕繁盛記的なモデル小説なのだけれど、ここに日本の中の、日本人、中華系、朝鮮系、それぞれの社会の摩擦、それぞれの家庭内の摩擦を取材をもとに描写した。史実に沿って、モデルとなる家庭と人をフィクション化している。このような小説を書くくらい私は異文化が並存することに肯定的なのだけれど、異文化間や異なる常識間の摩擦は戦争に等しいと確信した。「こんにちは」「はいどうぞ」なんて、あり得ないのだ。あなたが「はいどうぞ」でも、別の誰かがいらいらしはじめるだろう。好むと好まざるを問わず、あなたは戦争に巻き込まれる。こういたった戦争は、どんぱちもあれば外交的手腕が振るわれる場合もあるのだが、衝突に耐えられないなら多様性理想論なんて捨てるべきだ。むしろ多様性なんて認めないとはっきりしている方が、綺麗事を語らないだけ相手を信用できる。

ゴミ屋敷なんて喩えをしたことで薄々気づかれているかもしれないが、まあ似たような状況が私に降りかかってきたのだ。日本語が通じる相手なのに、価値観と常識、文化が違えば言葉はまったく通じない。約束もまた、約束にならない。相手は考え方が違う人たちで、その違いを納得して生活しろと言われても了承できるはずがない。とうぜんここに摩擦が生じ、戦いがはじまる。戦いによって心身ともに消耗するけれど、もし手をこまねいていれば何も解決しないまま時ばかりが経過し、不快感を抱えたまま生きることになる。ということで、当面の平和は勝ち取ったが、まだ他の人々は戦わなければならない様相である。これら他の人に、「人それぞれの価値感や常識、文化を認めて丸っと受け入れてあげましょう」なんて私は軽々しく言えない。いや、こんなこと言わない。

異なる文化や、異なる価値観や常識が衝突するのは当然である。これが普通だ。これらが調和するのは、戦いによって勝敗が決してからだ。調和とはいえ、どちらも納得する場所に着地するとは限らない。不満たらたらかもしれないし、不承不承かもしれない。ただし相互不可侵の暗黙の了解として調和が訪れる可能性は否定できない。調和することで相互にメリットがあれば、相互不可侵は維持される。同化もあるだろう。口先だけで多様性を説く人にはわからないかもしれないが。ま、ゴミ屋敷的状況をつくった張本人から捨て台詞を吐かれ、とことん敵対されたままなら、理解するかもしれないね。

 

Fumihiro Kato.  © 2017 –

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Profile

F.Hiro.K
加藤(文)文宏 / Fumihiro Bun Kato a.k.a Hiro.K
写真家・作家 / Photographer Author
・北海道北見市生まれ。
・大学卒業時までに詩集「無題あるいはサラバ」、同「Cadenza」発表(共に絶版、在庫なし。「Cafebza」別装丁私家版のみあり)。
・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。
・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他)
・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。
・不二家CI、サントリークォータリー企画・取材、Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告、武田薬品工業広告、他。アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材、MIT Museum 収蔵品撮影 他。
月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。
・長編小説「厨師流浪」で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」他、小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。
・獅子文六研究。
・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。
・各メディアにおけるスチル撮影。
・オリジナルプリントの製作、販売。
・JSAHP正会員
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