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私は年末から相当に心身とも弱っていたのだが、どんな難問であっても整然とことを進めなければならないのだった。ここを誰が読んでいるかわからないのだけれど、ということで一般的な話に寄せてあれこれ書いていこうと思う。
人は生きていれば理不尽に直面して、往々にして我慢を強いられたり、基本中の基本の権利を侵害されたまま日時が経過したりする。このようなとき、「これくらいは我慢しなければ」「皆がどう思うだろうか」などとさらに自分を我慢の縄でがんじがらめにしがちで、とても疲弊する。ところが法はよくできたもので、大昔からの人間の行動と社会を観察した結果として、こういった日常の理不尽や権利侵害について解決の道を示している。というか、法とはどこか遠い世界の決まりごとでなく、日々のあれこれを滞りなく、そして円満にするためのものだ。つまり、私やあなたの「我慢」「不快」についての処方箋である。
ところが私たちの多くは日本国の法律をすべて頭に叩き込んでいる訳ではない。また、法を適切に用いて問題を解決するノウハウに長けている訳でもない。なので、弁護士が代理人となって現実世界を解決に導いてくれる。家を建てるなら建築家や大工さんに相談し、魚を買うなら魚屋さん、餅は餅屋さん、法をもって問題を解決するなら弁護士の先生なのだ。
弁護士と聞いただけで「お高いんでしょう?」「どこの誰に頼んだら」と多くの人は身構えがちである。だいたいではあるが初回相談30分または1時間5000円、あとは問題の大きさ、作業の大きさによって弁護士報酬が変わるので、一概に「お高いんでしょう?」とは言えない。法テラスというお安くできますシステムがあるけれど、いろいろ思い通りに進まない点が難だ。弁護士事務所に話を持ち込んだときの30分または1時間5000円の料金は「我慢」「不快」に消耗することを考えれば高いと言えず、歯科医に数週間かかり治療する経費を想像すれば妥当なものと言えるだろう。「どこの誰に頼んだら」については、弁護士ドットコムなる検索サイトがある。弁護士ドットコムでは、弁護士の得意分野、休日営業しているか、料金表などの絞り込み検索が可能だ。得意分野は、とても重要である。
以前から私は、カジュアルにと言えば語弊があるかもしれないが、「我慢」「不快」を強いられているなら弁護士を頼ろうと書いてきた。不要な「我慢」「不快」は心身の健康によくないからだ。とことんつらくなるばかりだからだ。また早く手を打たないと、つらさだけでなく「我慢」「不快」を強いている相手に既得権が発生するなど相手に利する結果に至るからだ。だが弁護士に頼るだけでなく、私たちも多少は我が国の法と、法とはどのようなものかを知っておきたい。「なんとか知恵袋」のような情報源に当たるのでなく、法律の原文、法律家による解説くらいは目を通しておきたい。
こうすると安易に誰かに同意したり、屈したり、署名捺印したり、できなくなる。口約束ですら、後々自らの権利、財産が侵害されるもとになるのだから、「えっ、こんな大切なことなのに契約書つくらないの?」という感覚になる。私の父は、この手のことで半生を裁判に費やし、だからといって奪われたものをすべて取り返せなかった。このつらい日々を目の当たりにしているので、「これくらいなら別に口約束でも」的な口上をまったく信用しない。ちゃんとした約束事を結ぶのが嫌という相手は、「面倒だから、だったらいいよ」「俺を信用しないのか」と背を向けるかもしれないが、これは自分が是が非でも求められていない証拠であり、こんな相手にへつらう必要などないのだ。
カーディーラーで車を買う際のあれこれを思い出してもらいたい。かなり面倒なこと、契約書に相当する書面、ローンを組むなら与信のための調査とかある。百万単位の車を売ったり買ったりするのだから当然と誰もが疑わない。「これくらいなら別に口約束でも」と口にする人も、車を買うならこの流れを疑いもせず従っている。なのに、あなたとの関係では「自分を信じろ」とばかりに上段に立ち、「面倒だから、だったらいいよ」「俺を信用しないのか」とさえ言う。おかしいよね。
いずれにしろ、とにかく毅然として粛々と、である。
「我慢」「不快」が強いられる客観的かつ具体的な兆候があったり、実際に「我慢」「不快」を強いられたら、何が原因であるか整理したい。と同時に、これは法的瑕疵が相手にあるか検討することになる。この過程で、箇条書きで「問題点」「経緯」「法的瑕疵」「解決したい点」が導き出されるだろう。次は相手に対して、毅然とした態度で「問題点」「経緯」「法的瑕疵」「解決したい点」を告げる。ま、この段階から弁護士に依頼してもよいだろう。前述のまとめがあれば弁護士との相談に無駄な時間を割く必要がなく、理路整然としていればしているほど弁護士も喜ぶだろう。とにかく、記録し整理し文書に残すのだ。
では、このように毅然として粛々と行動したことで私やあなたは失うものがあるか、である。周囲は「揉め事にするな」「相手だっていろいろあってのことだし」「そうやると、あなたのことを付き合いにくい人だと吹聴されるよ」と言うかもしれない。ん、だけどだ。これって、揉め事を抱えたままにしろ、理不尽な相手の要求や行動を容認しろ、権利侵害等をする人に味方するよ、といった意味なのだ。ほら、ほっといたらやりたい放題の人だけが得する状況を肯定する気まんまんでしょう? つまり現状ですらなにがしかを侵害されている側は、さらにこれだけ失っている。ようするに「あなたのためだから」とお為ごかしに言う人々は元からあなたの味方ではない。毅然として粛々と行動したくらいで失うものなどないのだ。
こうしてみると、これまで信頼してきた友だち、仕事仲間、隣人等々なんてものは、利害一致の極細糸で結ばれた頼りない関係だとわかる。「安易に誰かに同意したり、屈したり、署名捺印したり、できなくなる」とした私の言葉に説得力を感じるはずである。信頼関係は「情」ではなく、実績の積み重ねなのだ。実績は、ただひとつの出来事で崩壊する可能性を秘めている。なれば、信頼関係は蟻のひと穴で決壊する堤防と言える。堤防に決壊しそうな穴があるなら粛々と埋めもどすほかない。もし堤防そのものが脆弱なら、いちど取り壊して造りなおすほかない。素人が壊れそうな堤防や壊れた堤防を修繕できるだろうか。できないなら、専門家に頼って当然だ。すべては自分自身を守り、大切にするためなのだ。
再度、問う。弁護士の相談料と諸々の料金は高いだろうか。堤防が壊れそうなら工事費が必要だ。こういった一大事に、金をけちるのは愚かだ。また重病が発覚したとき、治療費に数十万、数百万かかるとしてもほとんどの人が金を工面する。これらと同じである。
Fumihiro Kato. © 2017 –
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