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ま、生きていれば選択を迫られ決断しなければならない局面が多々ある。ほんと多々ある。で、どうにも臆病な方向を選び安パイに走り、それがよかったのか悪かったのかわからない中途半端な結論に落ち着くことも多々ある。そして数日から数ヶ月経ち、決断が妥当だったか悩んだり、またこういう方向を選んでしまったのかとがっくりしたりする。
選択を迫られ決断しなければならないとき、私は「あの人ならどうするか」と心でつぶやく。あの人とは、葛飾北斎であるとか尊敬するアートディレクターだったりだ。人生を肯定的に捉えた人々を思い浮かべる。「北斎だったら、そんな安易な方向に流れないよなー」なんて思うと、安全安全とっても安全な中途半端で無難な決断に至らない。挑戦的になる。しかも、決断の結果が凶と出ても「北斎なら、受け入れるよなー。というか、結果をおもしろい方へもって行くよなー」と思える。
うんうん、これをごまかしと言いたい人は言えばよい。
つい最近も「浅葉克己さんなら、どうするか」と自分問いかけた。こうして凶の目が出ても、浅葉さんのせいにはしない。「ぜったい結果をおもしろい方へもって行くよなー」と、「面白くできなかったら、私がつまらない人間なだけだ」である。
Fumihiro Kato. © 2016 –
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