デジタルの透過光感との闘いと和解

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デジタルカメラを買ったのは、まだコンパクト型しか市場になかった時代で、当時キヤノンユーザーだった私はPowershot A5を選んだ。この機種は補色フィルターを採用していたうえに、デジタル写真が確たる方向性を見出せていなかったため、画質は現在と比較するのもおこがましいものだった。皆が見慣れているデジタル写真の「調子」を各社各機種が獲得するまで数年を要し、この間に補色フィルターは淘汰され、画素数はドッグイヤー的に増加していった。

皆が見慣れているデジタル写真の「調子」とは、ディスプレイが透過光により表示されるものであるのでポジ(リバーサルフィルム)に似た透明感を基本にしているように思う。初期のデジタルカメラがネガ的だったとするのは正しくないだろうけれど。ただ言えるのは、各社各機種はこのような調子を目指して、デジタルカメラをチューンしていったのは間違いないということ。ほらフジのニコンボディを使った一眼レフが吐き出すデータの「調子」が絶賛されていたではないか。これこそ、フィルムで見慣れたナニカをもっともわかっていたのはフィルム屋さんだった証明ではないだろうか。

ただし綺麗になったデジタル画像を喜びつつ、私は納得いかない部分があった。総じてポジ的だったからだ。前記したように、まずディスプレイで確認するから透過光の影響を受ける部分はあれど、どのような環境からプリント出力してもだいたいがポジのダイレクトプリント的傾向を帯びている。ここから闘いがはじまったと書くと大げさに聞こえるかもしれないが、どうしたら反射原稿的な調子を出すかRAW現像を繰り返したの事実だ。

こういった実験は時として木を見て森を見ずに陥る。綺麗すぎるというか、一般に綺麗とされる調子に嫌気がさし、薄墨の濁りのようなものを作出したかったが、ただただ濁る絵づくりの袋小路にはまった。袋小路と完全に決別できたと感じたのは、Capture Oneで部分修正にガンマ値の可変が適応されるようになったときだった。彩度を抜きつつ、応答性の微妙さ、ざっくり言えばコントラストの加減が実現できてからである。こうしてようやくデジタル写真と和解できたのだ。

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Neoclassicism

 

Fumihiro Kato.  © 2016 –

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・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なり人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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