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写真がデジタル化されてもフィルム時代のなごりが画像およびプリントのアスペクト比として残っている。アスペクト比について、いずれ workshop で触れるつもりだが、この様々な判型の比率の違いはかなり大きく無視できるものではない。
上図で5×7を赤線にしたのは、個人的にもっとも心地よいアスペクト比だからだ。あくまでも主観であるが、2×3のライカ判では長辺がやや長すぎ、4×3では短辺が同様に長すぎるように感じる。4×3は5×7とたいした違いはない、とする人がいても反論しないし、その意見を尊重する。くどいようだが、主観の問題だからだ。注意深く書くなら、5×7は縦構図の際に気持ちよいが横構図では長辺がつまって感じられ苦しい。もちろん主観としてだ。5×7の例としての写真を以下に掲載する。
写真ではトリミングもまた表現方法のひとつなので後処理でアスペクト比を変更できる。ただノートリ・フルフレーム時のフォーマットは撮影時の感覚を大きく支配するので無視できるものではない。あるいは、最終的にアウトプットする際の比率として何かを感じざるをえない。私は長らく6×7と6×6を主たるフォーマットとして使用してきたが、6×6は縦横の差がない割り切りのよさがあり、6×7は経済的な比率だった。経済性とは、媒体のアスペクト比に合わせるときデザイナーにとってトリミングとレイアウトの余地が大きく(同時にトリミングしても拡大率に無理がなく画質低下につながりにくく)、しかもフィルムは120(ブローニー)であり、カメラ本体の可搬性もぎりぎり許容範囲であることを指す。
「2×3のライカ判では長辺がやや長すぎ」ると書いたが、ライカ判のアスペクト比は黄金分割比の 1:1.618 にかなり近い。黄金分割は安定、均衡に寄与するとされるが、同時に動感がはじまり収束へ向かうまでを緊張感を維持させたまま表す「構図上の序破急」表現のうえで美点がある。なにも表現されていない白紙状態では「2×3のライカ判では長辺がやや長すぎ」る感じを受けるが、ドラマチックでありつつ収束感もある構図が取りやすい比率としてライカ判の判型は好適だろう。例として、Neoclassicism シリーズの画像を貼ろう。全体の動き、主たる動きを支える物体、視線をあつめたい物体。これらを意識しつつ、Neoclassicism シリーズは撮影している。
Neoclassicism シリーズでは、一目瞭然の黄金比に準じた構図だけでなく、隠された黄金比による構図を心がけている(というか、無意識に構図を選択している)。Neoclassicism シリーズ は、構図の観点からいまのところ2×3以外のアスペクト比の使用は考えられない。5×7には愛着にも似た気分を感じるが、ここでは用いるつもりはない。上に向かい、回転方向に屈曲もしくはわずかな位置のブレを示す Neoclassicism シリーズの構図において、5×7は横に漫然とした余白が大きくなりすぎ緊張感がなくなるのだ。
広告にしろエディトリアルにしろ、印刷媒体は紙を効率的に用い経済性を損ねない判型が採用される。写真は角版であっても、切り取られレイアウトされても最終的な画像のアスペト比を媒体の判型が決めると言ってよいだろう。(最終的にトリミングされるとしても)4×5、4×3あたりが経済寸法の比率に近く、ライカ判の2×3は長すぎる。今回は、こういった経済性とは別のアスペクト比の話をしてみた。
Fumihiro Kato. © 2016 –
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