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商品撮影を行ってクライアントに渡した写真は原版こそ手元にないものの失われた写真ではない。はじめからこうなるのを承知しているのだから当然の成り行きで「手元にない」だけである。私が経歴やら背景やら伏せて写真を撮影していた話は別記事に書いた。このとき入稿したポジは、もしかしたら誰かがどこかにしまい忘れたままになっているだけかもしれないけれど、どうがんばっても探しようのない状態になっている。いまどきならメールアドレスを頼りに編集者を探すなどできるかもしれないが、連絡手段は電話とファクシミリの時代であり、事務所や自宅が転居しているとあってはいくら相手の古びた名刺を持っていてもどうしようもない。ああ今なら写真はデジタルデータだから原版なんて言葉は死語だね。
先日、ボツカットになったポジをスキャンした画像をここに掲載したが、OKが出たカットは預けた出版社が倒産し、倒産と同時に当然のこと社屋への立ち入りが禁じられたため正真正銘の失われた写真になった。このとき私は未払いのギャラ問題を抱え債権者の一人だったのだが、処理にあたっていた弁護士にいくら訊いてもポジの在り処がわからないどころか、まあこの程度ならと体良くあしらわれて終わった。最近は出版にまつわる業界で倒産の報をしばしば聞くので同様の体験をしている人もいるだろう。あっ、いまはデジタルなのか。
いま過去のフィルム資産をデジタルデータ化しているのだけれど、手間がかかりすぎるためすべてをデータ化するのは無理だ。でもこの作業を通して、過去に自分でボツと決めたカットが意外なほど面白いものだったりして、ほんとうだったら全フィルムをデジタル化すべきなのはわかっている。これと矛盾するのは承知のうえで言えば、あれこれ写真撮影に対して小賢しくなってはいるが、撮影しているもの、撮影した結果はいまと対して変わらず、だったらこれから自然体で撮影すればよいだけとも感じる。どれもこれも、一目で私が撮影したものとわかる。わからないようなら、これはこれで問題だよね。
失われた写真の中には、もう今からでは撮影できない被写体そのものが地上から消えたものばかりだ。惜しい、悔しい、は事実だけれど過去に拘泥したり、過去を自身のなかで過大評価するのはよろしくない。ここから先どうするかだけ考えればよいことなのだろうと思う。
Photo by Fumihiro Kato. © 2016-
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