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先日、撮影をしていてブランドロゴの写りをどうするかという場面があった。店舗に取り付けられているロゴがよく見ると破損しているうえに照明によってテカりが生じていたのだ。来店するお客さん視線では気づかないだろうが、写真が使用される場面・媒体では(かなり)気になるのは明らかだった。
テカりについては現場で対処するとして、破損は修理しないかぎりどうにもならない。しかし再撮のスケジュールの目処が立たない。ということで、後処理で加工する判断をした。現像時のマスク処理をしてアレコレすればどうにかできるかなという読みもあった。
もしデジタル化以前のフィルム撮影だったら「これはもうしかたないですね」で終わった。後処理で、というのがデジタル的な発想と判断だ。
現像時にマスクを切ってロゴを修正しながら、「たしかにうまく調整できているけれど、これだったらロゴを描いて貼り付けて自然に見せる処理を施したほうが話が早いかもしれない」と感じた。
ロゴをパスで縁取ってデータ化する(きれいにつくれるなら、パス化しなくてもロゴのビットマップデータでもよいだろう)。グラフィックデザインでロゴを素材化するのと同じだ。こうしてつくったロゴを、現像後の画像に貼り込んで明るさや色調や馴染みをPhotoshopで調整する。
マスク調整と素材の張り込み合成。どちらもやってみた結果、どちらも自然に仕上がった。画像を見比べて後処理が施されていると気づく人はいないだろうし、どちらも品質に問題がない。
ロゴ素材をつくって貼り付けて調整するのは撮影者の仕事ではなくグラフィックの仕事なのだろうと思うけれど、まあやってみたという話だ。この案件ではアートディレクターやデザイナーなどがからんでなく、ロゴが破損していたためとはいえ不完全さが残る写真を納品したくなかったのもある。後々AD、Dその他の人の手に写真が渡ったとき「このロゴ、撮影した奴も気づかなかったのかよ」と言われるのはつらい。
こういうことをやりだすと、次回以降あたりまえのように求められるからどうなんだというのは理解している。だからやる以上は十分に話し合い撮影時に料金交渉をしている。そして、事例を具体的に示さないと話の筋が見えにくいが直近の仕事写真をここに掲載するわけにはいかないのを理解してほしい。ありのままの状態を変更した「ないものを付け加えた」写真は文末に他の例で紹介するので仕上がりのテイストとか質とか想像する助けにしてもらいたい。
さて、写真、CG、イラストの境界についてだ。
フィルムで撮影していたとき、紙焼きで覆い焼きや焼き込みなどの操作をしても、紙焼きになってからスポッティング処理をしても写真以外の何かになったとは言われなかった。デジタル写真で同様の操作をしても、写真ではなくなったCGだと言い出す人はいないだろう。
ではマスク処理でロゴの見かけを修正して理想に近づけるのはどうか。今回はロゴが本来そうだったようにマスクを描いて、トーンの幅(中間値の位置)、明るさ、コントラスト、めりはり等々を調整したが、この写真はCGだと言う人がいそうだ。
もうひとつ作成した写真は完璧なロゴそのものを合成した。ロゴから素材をつくり、これを写真にはめ込んだうえで馴染みを自然にする処理はCGとかイラストなどと言う人が増えそうだ。「存在しないものを描いた」のだからもはや写真ではないという指摘だ。
写真、CG、イラストの各定義は別の機会に別の人が考えるだろうから、撮影者としてどこまで手がけるかについて話を進めようと思う。
報道や科学など「ないものを付け加えてはならない」「ありのままの状態に限りなく近い写真が求められる」分野以外、必要に応じて何をやっても構わないし、つくりあげたものが目的に叶うなら呼び名は写真だろうとCGだろうとイラストだろうと何だってよいと私は考えている。
そして様々な問題をはらむ可能性はあるが、これからますます撮影者が「ないものを付け加える」作業へ踏み込んでいかなければならなくなるだろうという気がする。
うまい表現が見つからないので「ないものを付け加える」と便宜的に書いたが、調整ではなく修正や変更を、しかもかなり広義の修正や変更を撮影者がやってとうぜんの時代がくるように思う。これは発注額がどうこう、仕事の規模がどうこうと無関係ではないが、まったく別の要因からも背中を押されるはずだ。
「後処理で、というのがデジタル的な発想と判断である」と前述した。撮影現場で対処したほうが写真のしあがりがよく、さらに必要な労力もすくないなら後処理をする意味がない。また労力が多少かかっても、仕上がりのために現場で対処したほうがよい場合がある。しかし後処理で対処したほうがしあがりがよく、よっぽど簡単なら現場で苦労する必要はない。
こうした判断が可能になっただけでなく、写真のデジタル化で撮影した人にとっての最終形が大いに変わった。紙焼き納品では撮影者が暗室作業までやる例は珍しくなかったが、ポジで納品するなら現像はラボの仕事だった。ラボへの指示があったうえで現像済みのポジになるとしても、撮影完了までで手離れしていたようなものだ。デジタル化以降、RAWデータから汎用フォーマットへの現像は撮影者がやって当然の仕事になった。さらにフィルムでは考えられなかった幅でトーンや色その他を調整可能になった。
現像と調整の延長に、この記事で取り上げた「ないものを付け加える」のを含む修正や変更がある。フィルムで撮影していた時代は撮影者の仕事と別もので、まるで海で隔てられた大陸どうしのようなものだったがデジタル化で地続きになった。デジタル写真を撮影しているならコンピュータがあり、現像ソフトとともにPhotoshop等のソフトウエアも所有しているのが普通だから作業は文字通りシームレスにつながっている。
かつて動画の撮影者は編集、特殊効果の仕事までしなかった。こうした分業は未だに残っているが、デジタル化以降は撮影者がすべてやるのもまた普通になった。撮影から完パケまでが可能になったのは、撮影後の処理一切を撮影者のコンピュータでできるようになったからだ。
これがよいことかどうかは、たぶん関係ない。写真、撮影者、それぞれの意味がデジタル化で変わったのだとしか言いようがない。
最後に。以下の写真がないものを付け加えた、調整ではなく修正や変更を施したものと言われたらあなたはどう思うだろうか。この写真は私の手によってないものをいくつか付け加えられているが、見る人が写真でもCGでもイラストでも好きなように呼べばよいと考えている。

© Fumihiro Kato.
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