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撮影のデジタル化とは被写体像を計算機が扱える二進法の値、0か1かに置き換えることを意味する(とても大雑把な説明ではあるが)。この工程を標本化、デジタル化された像を量子化されたデータと呼ぶ。標本化と量子化については下の図を見てもらえば理解しやすいだろう。我々がピクセルと呼んでいる正方形の1区画に自然界の様々な状態を二次元の像として落とし込むとき、それぞれの1区画は計算機が扱える値でなくてはならない。区画ごとに、どの値を割り与えるか標本化されなくてはならないのだ。こうして区画が集合したデータにされて量子化が完成する。
これをまた大雑把な喩えで説明するなら、「ところてん」の押し出し器のような考え方で被写体が量子化される、と言える。ところてんは正方形の断面を持つ麺状の食べ物だが、もとは直方体のかんてんの棒である。ところてんの押し出し器の先には正方形のメッシュを持つ金網がついていて、長方体のかんてんを正方形の断面を持つ麺状に切り分ける。
ここでやっかいなのは、自然界の様々な状態はかならずしも標本化に用いられる区画の大きさや並び通りの形状や状態ではないことだ。上掲の図では被写体の斜めの輪郭を用いて説明しているが、曲線あり、グラーデーション状の階調あり、ピクセルの区画を横切る明暗比・彩度比ありだ。
上掲の図の被写体の色を仮に「1」とし、背景の色を「0」としたとき、互いに接し合う輪郭部を[0 1 0 1]のごとき値に置き換えると、元となる被写体とかけ離れたブロックノイズ状のガタガタした状態(シャギー)になる。デジタルカメラのセンサーが高画素=高密度化されたことで、ブロックノイズ状のシャギー表現がなくなったかに思われるかもしれないが、デジタル画像が正方形のピクセルを1単位として「1.3 0.2」などが扱えない以上、こういった標本化・量子化の弊害は避けられない。
もし色が複雑に隣り合っていたり極端な明暗差がある場合、単にシャギー状になるだけでなく本来は存在しない色や明度の輪郭が発生する。
たいがいの場合、本来あり得ない状態であっても1ピクセルごとはっきり目にすることはないので気になる程ではないかもしれない。屋外広告のように巨大な画像へ出力したときも、鑑賞する人は数十メートル離れているためやはりピクセルごとの齟齬まで気にしないだろう。なのだが、極端な齟齬が生じている場合はディスプレイサイズやA4サイズ程度の出力でも不自然さが現れる。また、JPEG出力する際はこうしたデジタル画像を8ピクセル(8区画)ごと再サンプリング(再標本化)して、近似の値を持つピクセルを同一の明度、彩度に丸めてファイル容量を減らすので齟齬が拡大される。より不自然なシャギー、明度、色が強調される結果になる。
人により画像を見たときの感じ方が違い、どんなに不自然でも違和感を覚えない人がいる。いっぽうで、鑑賞時の視覚の感度が高い人、経験値が豊富な人は、どこが悪いのか特定できないとしても強烈な違和感を覚える。デジタルくさい、とはこういった部分から生じる感覚である。
実はここまでで説明した標本化と量子化の工程は「大雑把」かつ基本的なもので、現在使用されている現像ソフトや画像調整ソフトは巧妙な方法で不自然さを減らしている。それは「ノイズを利用」したごまかし方だ。ノイズと聞くだけで蛇蝎のように毛嫌いする撮影者は多いが、デジタル化された画像からシャーギーなどを減らしているのが雑音成分なのだ。思い出してもらいたい。極端に高感度設定して撮影した写真は、輪郭がランダムに不明瞭であったり階調が十分に捉えられなくなっているが、他方でシャギー成分などが感じられないものになっている。これは不明瞭でシャープさのない写真とも言えるが、デジタルくささの元になるシャギーあるいは明度や彩度に差がある輪郭は「見た目のシャープさ」を構成する成分でもあり、どっちもどっちのあり様なのだ。
デジタル画像が正方形のピクセルを1単位として「1.3 0.2」などが扱えないことを前述した。常に[0 1 0 1]といった値でデジタル画像は構成されている。こうして馬鹿正直に1ピクセルあたりの値を割り当てた状態が、前掲の標本化・量子化の模式図である。ここに「ゆらぎ」を伴ったノイズを与える。ゆらぎは、規則的に変化する[0 0 1 0 0 1]のごとき値ではなく不規則に感じられる変化の値で、[0 0 1 1 0 1 0 0 0 1 1 1 0 0 ………..0 0 1 1 0 1 0 0 0 1 1 1 0 0]のごとき長大な周期であったり乱数的に変化する。このようなランダムに感知されるノイズを先の馬鹿正直な[0 1 0 1]のようなシャギー成分に与えると、ピクセルの連なりが比較的自然に見えるようになる。
この「ゆらぎ」を利用したノイズ生成のアルゴリズムは各ソフト同一の原理から導きだしているが、それぞれ微妙な差があり、このような観点からソフトを選択したり、ソフトを使い分けるなどしたい。だがランダムに生じるノイズを利用しても、まだ見る人が見ればデジタルくささや不自然さが残る。そこで、以前から説明しているように1ピクセルごと調整する必要があるのだ。
この画像はギャラリーに掲載した作品の一部を拡大したものだ。この状態にする前は以下の通り。
JPEG化もあり差がわかりにくいかもしれないが、輝度の差が存在する部分に縁取りがあり(嘴の上部がわかりやすいだろう。さらに縁取りの縁取りまで発生している)、いくらソフト側でシャギーを補正したからといっても形状が気になる部分があった。そこで輪郭と縁取りが気にならなくなるまで手作業でピクセルを埋めて補正していった。ここまでやる必要があるか疑問視されるかもしれないが、WEB用の低解像度・小サイズの画像はまだしもプリントサイズによっては気になるのだ。まだ詰められるとは思うが、やりすぎると狙いと違う「過剰な曖昧さ」が生じるなどの弊害もある。この縁取りはアンシャープマスクの白っぽい縁取り類似のものだからだ。どこまで詰めるかは経験を頼りにするほかない。たぶんプリント時に、またプリントサイズに合わせて検討して調整を施すことになるだろう。
さて、ノイズを利用した曖昧化による自然な画像を導くソフトの機能と、Photoshopなどに実装されている「ディザ合成」は同じ原理だ。写真を主に調整している人にとって、ガサガサした見かけになるディザ合成は何のための機能か気が知れないものかもしれない。ディザ合成は、色や彩度や明度が荒く存在している(ぼかし状に存在している)箇所ほどガサガサしたドットが散らばる。これをピクセル単位の視点から見るとこれら濃淡が入り混じっている、つまり上掲の模式図の輪郭部のように濃淡が接しあっている状態と同じで、ここに「ゆらぎ」を伴うノイズを付加している。したがって、私が手作業で行っている1ピクセルごとの調整をディザ合成が補ってくるはずだ。現状では自信を持って紹介するだけの方法を会得できていないが、将来的にディザ合成での処理が可能になる(置き換えられる)ことだろう。
というのも、ノイズを利用した適切化は画像処理に限ったものでなく、音楽をデジタル録音したり、アナログ音源をデジタル化する際にも利用され、自動化されているからだ。音楽は連続する音の変化だ。これを1秒間に何回と決めて標本化して量子化されデジタル音源にする。なめらかに変化をする波形を、時間軸で区切り標本化すれば画像における輪郭部のシャギー様のギザギザに切り取られる。ここをできるだけ滑らかにするのは、ここまでに説明してきた処理とまったく同じだ。違いがあるとすれば視覚ほど聴覚は鋭敏でない点だろう。私たちの視覚は、色彩の検知、輝度差の知覚、分解能ともに他の生物と比較しても高度なものだ。だからオーディオ界と違い、映像分野にプラセーボ効果やプラセーボ製品が存在しないとも言える。こうした視覚の鋭敏さを侮っていると、撮影者より感覚が鋭い鑑賞者が現れ「あの写真、不自然だね」と言われかねない。だから、不自然さ、デジタルくささを抜くのだ。
なおオフセット印刷の網分解は、擬似的なディザ合成、ノイズの付加と同じと言える。インクジェットプリンタがインクを打つ際のコントロールも同様である。オフセットはフルカラーで300〜350ppi程度と比較的荒い分解である一方、インクジェットプリンタでは擬似的により密な分解を施すなど同じ印刷であっても細部の表現性が異なるので、目的にあわせて調整の必要性と程度を見極めたい。
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